自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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優しさは資質の1つです ~人によって優しさを発揮するポイントは違います


昨日の講演で話した内容をまとめてみます。

資質・・・というのは、その人が純粋にその人である要素のことです。

後で社会的に、学習的に身につけたものではなく、最初から備わっているその人らしさというもの。

その中に強みも含まれるのだけど、今回は強みではなくて優しさの話です。

優しさは資質です。

優しい気持ちや優しくするという行為は、人によって異なります

地球の裏側で飢えている子供のことを考えると涙を流して何かをしなければという人もいれば、

捨てられた子猫を前にして何かの衝動に駆られる人もいます。

往々にして、地球の裏側に思いをはせている人は、子猫に興味はなく、

子猫の未来に気持ちを向けている人は、地球の裏側のことは頭にないものです。

優しさという資質にも自分が持っている得意分野やジャンルがあります

優しさがなければ存在しない二大行為に、思いやり感謝があります。

ただ単純に優しくすることや優しい気持ちを持つことが資質としての優しさではなく、

優しさを発揮できるストライクゾーンとして思いやりと感謝がある、という感じです。

思いやりは能動的です。

自分から相手に矢印が向いていて、相手のことを思って愛しんだり労わることです。

思いやりの名を借りた自己犠牲や、見返りを求める利害行為とは異なります。

感謝は受動的です。

自分が相手に向けて感謝するのだけども、自分が何かをしてもらったという前提があります。

感謝は優しい気持から自然とわき上がるもので、礼儀やギブアンドテイクというようなこととはまた違います。

思いやりも感謝も、優しさの資質からいえば「自然と湧いてくるもの」がベースになるので

実際、

自分が実は何に思いやりをもち、感謝しているのか?ということを知らなければ

普段自動的に行っている優しさを「別にそんなのやってない」こととして無意識で処理されてしまいます。

つまりは自分の価値を不当に下げ、さほど優しくない人間化してしまうということです。

これは強みを知らないので自分は何もできないと思っている状態と同じです。

自分が優しくされたこと(感謝)を1ヶ月ぐらい毎日、寝る前にノートにつける

自分がどれほどの分量の優しさを受け取っているか?ということが分かってきます。

どんな小さなことでも、人生を変える劇的なことでもどちらも箇条書きにして書き出します。

これだけで感謝分量は増えます

人に、物事に、生かされていることに、守られていることに、過去に、いろいろと感謝せざるを得なくなります。

優しさ分量が満たされると、今度は優しい気持ちがわいてきます

つまりは能動的に思いやりを持つことができるようになってきます。

(ごく一部、満たされれば満たされるほど図に乗るタイプの人もいます)

この方法でやると、感謝も思いやりも分量は増えるのだけども、

それよりも大事なことは

自分が得意とする感謝と思いやり・・・・資質としての優しさが浮き彫りになってくるということです。

自分が持っている優しさがこういうものだ、ということがわかったら

足りないところに目を向けるのではなく、

自分が自分として強く持っている優しさに向かってもっと優しくなることです。

優しい分量に甘えて自己中心的になるのは、つまりは思い上がりです。

(満たされているから思いあがることがあるけども、満たされていなくても思いあがることもあります)

自分の持っている自分らしい優しさが何か?に気がついたら、

今度はそれを似たような他の分野に広げることができないか?とやってみます。

例えば僕にとっては飼い犬のロンに対して世界で一番優しさを発揮しているのだけども、

他の犬にそれをおすそ分けできないか、

猫にはどうだろう?

付き合いの深くないAさんにだったらできるだろうか?とか

むしろ今喧嘩をしているBさんに少し応用できないか?

むしろ原子炉や放射能にはできるかな?・・・

などなど・・・・。

この優しさの連鎖が、誠実さを作ります

優しさの連鎖でできた誠実さを持っている人は、ときに優しさとしての厳しさも使うようになります。

この厳しさにも、自分が持っている自分の厳しさというものがあります。

それを知らずに使ってしまうと厳しさは暴力になります。

そしてどんどん話は膨らむのだけど、

強みを発掘しまくり、磨きまくり、使いまくると、真実を基準にするようになります。

優しさを連鎖しまくると誠実さを基準とするようになります。

その両方・・・・真実と誠実さを兼ね備えている人が、つまりは真摯な人だということです。

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