自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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先鋭は大御所になるかルーティンになるか


一時期撤退したジャンポールゴルチェが日本に返り咲き、銀座に出店している。
先鋭的で、斬新、でも繊細でちょっとわけがわからないゴルチェのデザインがもてはやされたのが10年以上前になる。
その後エルメスのチーフデザイナーとして招かれ、そして今のゴルチェのラインになっているわけだけど。
見た感じも昔の鋭さはあまり変わらないように思える。。。

ゴルチェに限らず、デサイナーは作品を作り続けなければならない。
才能やセンスは当然必要で、それでも圧倒的な評価を受けるのは初期。
発展し、評価される。
事業としても伸びる。

だがそれが2年目になり3年目になり、5年、10年、15年となる。
長く続けることができるのは、もはや才能とセンスではなく、生み出し続けることができるという強みとルーティンワークによる。

年月が経つにつれて先鋭的ではなくなり、少なくとも評価がそうなり、次の先鋭はまた新たに生まれてこちらは古くなる。
既にブランドや評価が固まっているので大きな冒険は能力的にも商業的にも難しくなる。
それがダメなのではなく、そういう現象が起こる。
継続して生み出し続ける強みとルーティンワークができない者は消える。

ところが、生み出し続けることができる者にとって、これは緩やかに自分を殺す毒薬になる。
もはや生み出す力が飛躍することはない。
そして強みを使えており、継続できるので失敗しない。
発想を斬新にすることはできても、何度か大きな評価を得ることができたとしても、それは生きず死なずの世界になる。
その世界で生きる方が幸せか、死ぬ方が幸せか。

たとえば作家の東野圭吾が、強みとルーティンワークによってベストセラーを生み続けている。映画化され、ドラマになり、小説も売れる。
ただし作品傾向はどうしても似たものになって来る。
才能は枯渇しない。しかし飛躍もしない。高いか低いかは別として、安定する。
大御所になることもある。
それが向いていることもある。だが向いていない時、または向いているがそうありたくないときどうするのか?
多才をはっきするのか?
幸せに視点を合わせるのか?

それを想定していくのが、優れた才能を持つ人たちの一番の大きな課題になる。

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