自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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全ては「分かる」からはじまる ~分かるシリーズ1


先日、強み発掘家で分析分野がものすごい山下さんからメールをもらう。

同じ強み発掘家で、感受性を武器にしている古嵜さんも「同じ疑問を持っている」という前提で

こんな質問をされた。

「「分かる」という認識系の強みと、「わかる」感性(=直感や感受性)は、厳密にはどう違うのでしょうか」

あぁ、なんかいいねぇ。こういうの。

頭の良い人の、本質に迫る質問って大好きです。

あくまで答えられるもの限定ね・・・

とりあえず自分に答えられるように書いてみようと思ったら、

発想が膨らみすぎたので、そのままシリーズにしてみました・・・。

こんな感じで連載しようかなと思ってます。

【分かるシリーズ】
全ては「分かる」からはじまる ~分かるシリーズ1
(この記事)
分かると理解するは違う ~分かるシリーズ2
直感で分かる、経験で分かる ~分かるシリーズ3
分かることには意味がない・・・ある? ~分かるシリーズ4
本質をつかんでも、見えないものが見えても何の意味もありません


早速第1話。。

携帯電話でも、地下鉄でも、量子力学でも、トリカブトの根を食べてはいけませんでもなんでもいいけども、

そういうのがいつはじまったのか?というと、

最初は必ず誰か1人か2人の発想・着想、冒険心、そして知りたい欲求から来ています。

発想・着想の目的地は「分かる」で、

冒険心の達成もやっぱり「分かる」で、

知ることができると、「分かる」になっていく。

それが直感的に分かるか、実験と検証的にわかるかというようなことは次回に回すとして、

ともかく、

全ては「分かる」を中心に世界が回っている・・・といっても言いすぎではないということです。

(いや、さすがに言いすぎかな・・・)

正確に言うと、分かりたいという気持ちや欲求(「知りたい」とか好奇心でもOK)

分かるための行動を取らせて→最終的に分かる状態に行きつきます。

この一連の流れを、一応全ては「分かる」からはじまるとします。

そうやってスタートした「分かる」の旅は、ほとんどの場合偶然によって目的地にたどり着きます。

で会った人に道を聞き、道に迷い、回り道をして、また人に聞いて。

人に出会うことや、枝分かれした道を間違った方向に行くのも偶然。

なんだけども、多くの人は

ガイドブックやガイドさんに頼んで、偶然など起こらずに体系的、論理的に物事が進むと思っています。

原因と結果の2つで物事はできていると思いこんでいて、

だから、悪天候によって飛行機が飛ばない・・・とかなると、グランドホステスに大がかりな文句を言ったりします。

(接客業はつらいのだよ・・・)

人間は、自分がやっていることに意味がないとか、全く狙い通りに進んでいるのではないとか、

目的地に着実に向かっているのに望み通りではないとか、

とにかく思い通りにならないことに対して苛立ちを感じるか、

最初から「これもまた意味のあることだ」と理由づけをします。

偶然の力の大きさをものすごく軽く見るようにできています。

ともかくも「理由づけされた偶然」によって、めでたく「分かる」にたどりつくと

それを信じたり、法則化や体系化しようとしたり、人に教えることで貢献しようとしたり、誇示したり、話したり、

自分にとってインパクトの強かった「分かる」ほど

ともかくも何としてもその物事を二次利用しようとする・・・なんていう傾向があります。

そんなときにこんなことが聞こえてきたりします。

「教えるともっとよく分かる」という系統の言葉。

反復によって心理的に「分かる」を強化する、したい、というメカニズムがせっせと働きだします。

が。

困ってしまうのは、そうしてガイドに案内された「分かる」が、偶然の可能性を無視した

「理由づけされた偶然」によって分かってしまったフリをしているのだけども、

本当は何が分かっていてということもあやふやだったりするし、

それよりも量の多い本当は何が分かっていないのか?ということには全く目が向かなくなってしまいます。

うーん。公平じゃないですね。物事の見方、分かり方が。

それでも人って、あくなき好奇心によって分かろうとし続けるわけです。

ほとんど分からないことだらけなのに。分からないことだらけだから。

この「あくなき好奇心」「分かりたい欲求」はものすごく大きくて、

そのためにありとあらゆる力や技を使うわけです・・・・は、3回目だった。次はもうちょっと「分かる」を掘り下げて。

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