自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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別にいてもいなくても一緒です


先日の姫路セミナーの主旨、の中で最も分かりやすくインパクトがある前提がこれ。

別にあんたいなくても誰も困らないし、所詮その程度のつまらない人間ですよ

と教えてあげた。・・・何様だ!

ともあれ、Sの僕としては大変に楽しい。。。

ちゃんと論理証明もするのです、なぜ別にいてもいなくても一緒なのかということに対して。

小説をよく読んだり、映画をよく見たりすると、突然自分の存在が消える設定ってありますね。

確かドラえもんにもあったか?

そういう感じです。

ハッキリ言いますが、僕も含めてわれわれ、1人ぐらい最初からいなかったとしても誰も困りません

人間みんな価値があるとか、存在するだけで素晴らしいとか大きな誤解。

確率的に偶然存在して、存在することに意味を持たないとやりきれないから

社会貢献とか、人類の向上とか、人間性の追求とか、愛がどうとか言い出すわけです。

はい。社会貢献も人類の向上も、人間性の追求も愛そのものも、別にあんたがいなくても立派に成り立ちます

という、とてもヒドイセミナーだったのですが、みんな食い入るように聞いてくる。どんだけM・・・

リラックスすることの重要性を学び、いざリラックスしようとすると、力を入れてリラックスしてしまうことがある。

つまり、できない。

幸せになることを決断すると、幸せになるために必要な条件を満たすことに必死になるばかりで何も変わらない。

つまり、できない。

というようなことと同じ意味で、

生きていることに意味を見出し、その方向に向かって頑張ろうとした瞬間に、

それがなくては生きている意味がなくなってしまう、という矛盾を抱えることになります。

めっちゃ抽象論で概念だけど。

そして往々にして(合宿でよくよく言ったことなのだけど)、ブロックを取ることや強みの発揮を知らない、

そこらへんの一般的な主婦の方がよっぽど素晴らしく幸せだったりするのです。

小難しいことを言っている僕みたいなのは、毎日無事平穏に暮らしている主婦に劣っているということです。

じゃあどうするのか?というと、今更毎日無事平穏のサラリーマン的、主婦的、生活には戻れない。。。

ということは、今の状況で、今の状態で、できることをやるしかないということになります。

より正確に言えば、

せいぜいその程度しかできることなどないのだからガタガタ言わずにやれ、ということです。

どうせ、いてもいなくても、あまり他の人は困らない。結果に大きな影響も与えない。

としたら、いなくてもいいのだけども、いるんだからしょうがない

どうせいるのなら、それ自体はしょうがないのだから、意味付けや大義で自分を飾っているのではなくて、

目の前のことぐらいしかできないちっぽけな存在ということを自覚してやることやりなさいや、ということです。

それを、ビジネスの世界なら理念がどうとか、左なら環境とか友愛がどうとか、

スピ系なら神や宇宙の意思とか、上がどうのこうのとか、そういうのはどうでもよい。

生きて行く上で・・・ということは、目の前のことを行う上で何の役にも立ちません。

役に立つのは所詮ちっぽけなことだけ。できるのは目の前のことだけ。

目の前のちっぽけな積み重ねで、どうせいるのだから、自分の資質を生かしてやっていくしかない、ということです。

というと「目の前のできること」というのを超誤解する人がたまにいたりします。

目の前にやってきた機会をやることに「目の前のできること」を正当化する人がとっても多い。

自分が本意ではないことをやることの正当化にしたり、あきらめている人生の理由にしたり。

「目の前のできること」というのは、どうせしょうがなくいる自分の特性を生かすものでなければ全然意味がない。

自分が自分らしくとか、ありのままの自分とか、結局はそういうところに行きつきます。

ということは、自分を知っていなくては自分を生かすことはできないし、

「目の前のできること」を精一杯やっていることにはならない。

自分を知っているということは、自分を知る試みをしているということで、外の世界に影響された自分ではなく、

ただ単純にどこまでも自分で、自分をうまく使うということです。

所詮いてもいなくても同じなので。

どうせいるならできることはそういうことだけ。

・・・とまぁ、そんな合宿セミナーの内容でした。ここを軸にしてどうやって行くか?という話だったのだけどね。

このセミナーおもしろいので、広島プロデューサーの新さんが11月に広島でもしたいということです。

8月には富士山付近でもするかも?

なかなかやりがいのある内容でした。

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