自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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効果を狙った手法に昔からスゴく疑問を持ってる


営業のように効果がイコール成果ならいい。
問題はサービスだと思う。
特にこのセミナーなり教育に関する物事。

効果を取るための仕掛けっていうのはある。

たとえば、
大きな字で大きな紙に、筆でなりたい自分を書かせるとか、
体を使って伸び、手を掲げ自分の心の内を出すとか、
レジュメはとにかく分厚くしてお得感を出すとか、
囲われた空間で長時間耐久で意識朦朧とさせ共感と涙とやった感を誘うとか、
コミュニケーション量を増やして相手の気持ちをつなぐとか、
ワークでやり合ってできたつもりにするとか、
断言してやることで安心させるとか、
階級を作って上にのぼると自分はスゴくなると錯覚させるとか、

インチキやで?わからんのか?

効果を狙った手法というのはサービス上は全部インチキ。

何の効果を狙うのか?というと、やった感やできている自分という錯覚。
つまり、逆に考えると
できてないということだし、できていないからできてる感を誘わなければならない。

パフォーマンスが良さそうな見てくれの内容は全部クズ。

なぜなら、
本来は効果を狙った手法を得ることが目的ではなく
たとえ気分が悪かろうが、
相手がイヤなやつだろうが、
自分の思い通りに自分の人生を運ぶ物事を得られたかどうか?が重要だろ?

それがないから効果でごまかさなければならなくなる。

たとえば、セミナーなんかじゃなくてもHPのアクセス解析なんかもそう。
それを分析して、ワードを入れてアクセスが上昇した。

で?売上は?

関係のない、プロセスの末端の方で効果があったことを
「できてる」と錯覚させるのが効果を狙った手法だ。
インチキやろ。どう考えても。

そういうのに溺れるやつは死んどけって話やけど
溺れる幇助させてるやつを憎むマインドは持ちたい。
卑怯者が得をする世界は否定するべきだと思う。
もちろん自分は近づかないし、関わらない。
だが完璧な否定はする。

でなければ、次は自分がそれをやってしまう。
世間で上手く運ぶにはそれをやらなければならないから、といいわけをすることになる。

そうやって逆次が生まれる。

効果ではなく、いつも「自分」からはじめる。
相手も相手という「自分」からはじめる。
自分スタート、自分ゴールを中心にする。

うまくいくことは重要ではなく
うまくいかないことも含めて自分であり
うまくいくことも、うまくいかないことも自分で決めて、選ぶ。

効果など必要ない。
決め続け、選び続ければ、効果なんか簡単に手に入るようになる。

自分からスタートしない、できない人間のやり方じゃなく
自分からスタートする、できてしまう人間のやり方をやるべきだと思う。

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