自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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原因の原因の原因は? ~因果の関係について


こちらは2009年12月04日に掲載されたコラムです。

因果関係のお話、を書いてみようと思います。

とか言いながら、結論を先に書くと因果はたどれないということになってしまいます。

因果応報を信じている方や自己啓発すれば成功すると思っている方には訃報かもしれませんし、

論理的思考や科学的根拠を軸にする人にはありえない考え方かもしれません。

トヨタの「なぜを5回」方式は、実のところ正しい効果を出しているとはいえません。

いえるのは、なぜを1回や2回で済ませるよりはおそらく効果的だろうということです。

   たとえば僕は月に2回体の調整に行きます。治療師は日本でも有数の方です。

   自分で体のことも勉強して知識も身につけ、食事、睡眠、生活習慣、姿勢、その他諸々など

   過去から蓄積してきた「細かいこと」はたくさんあります。

   ここでは、そういうのをひっくるめて体に対して努力をしている、としてください。

   ところが知識が深まると、精神が体に与える影響についても知るようになります。

   気が体に与える影響もわかってきます。それぞれいろいろと勉強をし、生活に取り入れます。

   細かいことは書きませんが、精神や気に対しても努力をしている、とします。

   さらに、外の世界が人体に影響を与えるということは明白だから、

   磁場の良いところ、空気の澄んだところ、水がきれいなところ、電磁波がなるべく及ばないところ、

   そして室内をたとえば風水によっていい状態に保つとします。

   自分が身をあずける場所に対しても努力をするとします。

それで肉体のどこかに不備や不調が起こったとき、

因果関係をたどると「これが原因ではない」ということはかなりはっきりとわかります。

既に努力していることは原因ではない、といえるはずです。

そうすると、その他の原因を追究して、関連性を見出していけばうまく行くのかというと、

実は必ずしもそうではありません。

2つの理由があります。

原因を追究できるか?ということから考えてみるけども、

そのときに行う正しい質問は追及できない原因はあるか?です。

いつでも、どこでも「ある」が正しい答えになります。

医学や科学など論理の世界でも、精神や宗教などの超越を扱う世界でも、

人が知覚できるのは、

前者なら証明されているものや経験則、後者なら教えや概念として現れているものだけです。

知覚が及ぶ範囲以上のことに原因があるとき、我々には追求のしようがありません。

平たく言えば、そんなことをやっても無駄だということです。

関連性を見出すことができたとしてうまく行くのか?はかなり難しい考え方です。

複雑系の科学の世界では、原因をたどれば物事がわかる・・・・ということなどありえない、としています。

で、たとえば、肉体の不調の原因がメンタルブロックにあるとします。

メンタルブロックを取り除けば、物事はうまく行くという考え方もあるし、僕もかなり支持していますが、

では、そのメンタルブロックがなぜあるのか?となると、たとえば小さい頃に痛い経験をしたと行き着くとします。

だけども、小さい頃に同じ痛い経験をしたとしても、誰でも同じブロックを持つわけではないのに、

そもそもなぜ自分に限って、そのメンタルブロックを持ってしまったのか?というと、

ここでは仮にですけど、魂の質がそうさせたとします。(環境とDNAがそうさせた、でも構いません)

魂の質が(あるいは環境とDNAが)ブロックを持たせたとするなら、

ブロックを持たないようにどのようにすれば良かったか?となったときに

効果的な答えが出てこない、ということになります。

そもそもそうできているのだから。

それだけならまだ簡単だとしても、

魂の質がそうさせているもの(ブロック)を取ってしまっていいのか?体の不調自体を味わう意味があるのでは?

なんていう半分わけのわからない考え方もできなくはなくなってきます。

関連性はたとえ見出すことができたとしても、コントロールできないし対応方法が不安定になります。

風が吹けば桶屋が儲かる、ということは実際にあります。

科学的に証明されています。

が、風が吹いても桶屋が儲からないということも同時に(たくさん)あります。

桶屋がなぜ儲かったのか?という原因を特定しても、

原因など知覚の範囲でしか特定しきれないし、

関連性がわかったとしても打つ手はありません。

桶屋が儲かった原因が風にあるとしても、

風を待っていれば儲かるわけではないし人が自力で風を吹かせることはできません。

じゃあ、何もせず何も考えずにやっていればそれでいいのか?と言うとそういうことではなく、

われわれは、知覚できる範囲があるのだからそれを伸ばす努力をして、

原因も5つぐらいならたどれるのだから、そのぐらいはたどって考えてみよう、ということをすることだと思います。

ただ、知覚に限度があることや、原因が特定できないこと、関連性がわかっても打つ手などないことを知って、

何かを語るときに法則がどうのこうのなどとわかった風な口を利かないことだと思います。

それはせいぜい、努力の範囲内でのできることだと自覚しておくことです。

そして、やはりその部分に努力することが、人として気持ちいいことではないかと思います。

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