自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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厳しさが自分を不在にさせる 〜優しさ資質の習慣が自分を殺す件2


ここでいう厳しさというのは、
優しさの反対語としての厳しいということではなくて、
優しさ資質としての厳しさのこと。

つまり、
優しくなければできない厳しさのことで
相手のこと、自分のことに真剣に取り組めば、
ここは愛情を持って厳しくする必要がある、という場合のこと。

優しさの中に厳しさの資質がなければ、
単純に相手を増長させ、依存させることがよくある。

増長は傲慢な人に、依存は自意識が低下している人に
それぞれ起こりやすい。

言うべきときに、言うべきことを言う。
向き合うべきときに、自分の感情や過去の情報、納得などに流されず
ただただ本気で目の前の現実に向き合う。

優しい人間でなければできない、そういう厳しさの資質がある。

厳しさを発揮するということは、
相手を、時に自分を傷つける可能性があるということであり、
その可能性を全部ひっくるめて受け入れるということでもある。

やはり、
優しい人間でなければそんなことできるわけがない。

厳しさの資質がうまくできるようになると、
その人自身が「なぜかわからないけど信頼できる」人になる。

周囲の評価がそうなるし、
自分でもこれまで曖昧で流動的だった物事が
確信を持って進めればいいという物事に変わったりする。

厳しさの資質を発揮するということは、
集中力や負担も同時に発生するということで、

だから疲弊もしやすいし、それを発動できるだけの
知識なり情報も必要とされることが多い。
責任が生まれるときもあるし、批判や非難の対象になることもある。

そして何より、
その厳しさ資質の発揮は、
相手がどれだけ素直で受け入れる人であるかどうかによって結果が左右される

優しさ資質の中では、思いやりと並んで
相手に成果の決定権があり、自分ではうまく物事を動かしがたいものでもある。

そういう扱いにくい厳しさの資質に、
それでもうまく慣れ、使いこなせるようになってくると
一本筋の通った、信頼できる人としての行動が生み出される。

そしてその「力」を使いはじめる。
うまく行くから使いはじめる。

厳しさの資質を使い、それに慣れてくると
人の心理として
優しさ資質の中で厳しさの対角線上にある許しを使わなくなってくる

曖昧でアバウトな状況を許せなくなり、
最悪なケースだと相手を変えようとしたり、
変わらない相手を非難しはじめたりする。

甘えを許さなくなり、
優しさの資質としての厳しさを使うのではなく、
厳しく物事を動かす方法論として働きかけをはじめるようになる。

この時点で、厳しさが自分を不在にさせ
優しさ資質を使うことで、成果を上げることで、その習慣が自分を殺す

愛のムチを振ることを正当化し、
反比例して、振れば振るほどそれは愛の行為ではなくなる。
相手が、
自分が、
それぞれ自分自身を生かすための厳しさではなくなる。

優しさ資質のカテゴリの中で、厳しさの資質ははかなり強みを使う
厳しくするためには、それがスムーズに受け入れられ
うまい成果を導く必要がある。

そのために強みに頼ることが少なくない。

強みは簡単に成果を導きだすから、
その成果の積み重ねが習慣になって
厳しさ資質を持って物事に挑むようになる。許しは失われる。

悪くすると、厳しさの資質で物事に挑む前提の場合だけ、
優しさ資質の思いやりと感謝をそれぞれ発揮するようになる

その他の場面では、思いやりや感謝を発揮しなくなる。

そうなると
人間性的に偏狭になり、偏狭は受け入れられにくくなるから
その行為行動を正当化しなくてはならなくなり、
強みと成果によって正当化できるからよりその状態を守り、
守れば守るほど、正当化すればするほど

間違いなく、うまい具合に自分は失われていく。

許しを意識して、厳しさとのバランスを考えていくと
うまく厳しさが使える上に
正当化する必要もなくなり、スムーズに運びやすくなる。

厳しさの資質を使える人は
「ま、いっか」というワードで物事を中途半端に放置する習慣をつけるといいと思う。

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