自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

HOME / コラムを読む

完全と完璧は違う


こちらは2010年02月21日に掲載されたコラムです。

久々に○○と○○は違うシリーズです。

完璧さの追求終わることのない、向上自体の追求で、

完全さの追求は、完全性という状態を手にするための追求です。

完璧主義と完全主義の違いでもあります。

言い方を変えれば、天井がある(完全)かない(完璧)かの違いです。

完璧の「璧」は、壁(カベ)ではなくて、璧(ヘキ)です。

(ヘキ)というのは古代中国の宝物のことで、璧(ヘキ)を完(まっと)うするというのが語源です。

この故事成語は確か韓非子に書かれていたと思うんだけど、

記憶があいまいながら、弱小国の家臣が強国の王の前で髪の毛を逆立てて璧(ヘキ)を守った・・・

という話だったと思います。

その時に「怒髪天を衝く」という言葉も生まれた・・・んじゃなかったか。

(いちいち確認しない自分が好き)

(ヘキ)を守るための手段は、それこそ無数にあって、守れさえすればそれでいいわけです。

必ず守ることができるという確率を高めるためには、

さまざまな状況設定とか、方法論などを検証し続ける必要があります。

ので、終わりがない。

なので、完璧さの追求が効果を発揮するのは、終りがない物事に対してあくなき向上を図る場合だけです。

どこかで切り上げたり、折り合いをつけたり、マッチングする物事に対しては

完璧さで挑むといつまでたっても結果が出ない・・・ということになってしまいます。

完全性というのはパーフェクトのことで、たとえば野球ぜ完全試合というと、

ピッチャーがノーヒットノーラン&無四死球を達成したときに使います。

たとえピッチャーの状態が最悪でヘロヘロだったとしても、

結果的にピッチャーがノーヒットノーラン&無四死球なら完全勝利ということになります。

完璧ではなくても完全ではあるということがあり得ます。

逆にピッチャーの状態が完璧であったとしても、チームメートのミスで負ける・・・というようなこともあります。

終わりや期限が決まっている物事に対しては、結果の完全さを重視して挑めば成果が上がるけども、

ゴールを設定できない「人生」とか「スキルの向上」などに完全さを持ち出すとたちまち失敗してしまいます。

完全試合のように、結果が取れたとしても内容がよろしくなかったという成果が望ましくないからです。

たとえるなら、大金持ちになってでも不幸みたいなシチュエーションのことです。

こういう場合は完全性ではなく、完璧さを求めた方が力を発揮します。

完璧と完全の使い方は、フライパンと鍋の使い分けのようなものです。

炒める時はフライパンが、煮る時は鍋がより良く力を発揮します。

逆にするとうまく調理ができなくなってしまったりする。

どちらも料理をするという意味では同じです。

完璧と完全も、どちらも100%を追求するという意味では同じです。

100%を追求しながら苦しくなったり悩んだりするのは、追及そのものが間違っているのではなく

完璧と完全と混同して、誤った使い方をしているだけかもしれないので、

理解と当てはめ方を変えてみるだけで、物事がうまく回りはじめることがあります。

◆ 

◆ 

◆  

◆ 

◆ 

◆ 

◆ 

◆ 

◆ 人生を作る【一次】の生き方

◆ 

トップに戻るボタン