自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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定期メルマガから【愛って何よ?】


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今回は11年1月のメルマガコラムからどーぞ。

 自分でいうのもどうかと思うけども、抽象概念を体系化するのは得意です。
 が、こと「愛」になるともう10年ぐらいそれが何か?ということを探っていて、
 うまく言語化や体系化できていない。

 こんな仕事をやっていると(やっていなくても?)
 「愛」についていろいろと触れる機会があるわけで、
 それは感覚的にもあれば思考的にもあって、
 触れれば触れるほど「あれも愛、これも愛」なんていうパラドックスに
 陥ってしまうんだな。

 ので、僕はなるべくギモンの余地の残るモノを「愛」として発信したり
 発言したりすることは控えています。
 (人が発信や発言しているのを否定するものじゃないし、むしろ
  僕に対して向けてくれている「愛」にはとても感謝しています)

 という前置きは以上として。。。

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 こういう言い方は本当に鼻もちならないのは分かっているのだけども、
 「概念を明確化」することが得意な僕が「愛」については明言できない。

 人として生きていれば絶対に愛を感じて、考えてという機会が
 たくさんあると思うのだけども、それにつけてもそれって実際のところ
 「愛」なの?・・・つーか「本当に分かってんの?」ということじゃないか。

 「愛」を持ち出して自分を正当化する、っていうことは本当によくあって
 そういうのは見ているだけでうんざりなんだよ。

 自分が経験してきた、知覚してきた
 「分かっている範囲内での『愛というのはこういうものです』」を
 絶対視して「愛」のことを分かった気になるのはいかがなものなのか。
 

 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

 でもこれって、逆に言えば
 自分が見聞きして、感じて(実際に心震える愛を感じたことがあると思う)
 考えて、手に取って・・・なんていうことを繰り返すうちに
 感覚的に、感触として自分の中で明らかになってくるものだと思う。

 突っ込んで書くと、
 【愛を感じて考えて、としてこなかった人は愛のこと良くわかっていない】
 とも言えるわけなんだな。
 リテラシーが低いというか。

 人は自分の知覚の範囲でしか物事を受け取ることができないので、
 知覚が狭ければ理解や感覚も狭い。
 同じことが「愛」に対しても言えるわけです。
 (もちろんやればやるほどわからなくなる、ということもあると思う)

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 やはり毎日「愛」に接して触れている人、ある程度意識している人の方が
 そうでない人よりも「愛」の人と言える、のだとは思う。
 

 【毎日「愛」に注目して出したり受けたり、感じたりした方が良いに違いない】

 が、それでも言えることは、その「愛」は本当に「愛」なの?ということなんだな。

 そんなに厳密に本当を追求する必要があるのか?というももちろんあるけど、
 ま、しょうがない。「愛」が連発連呼、濫用に大安売りされているのだから
 このまま続けて書く。

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 愛の中でわかりやすいのは「条件付きの愛」で、
 そういうのは本当の愛とは言わないんだよ・・・というのはここでは無視して、
 たとえば親子愛でも支配の愛でも、愛は愛であったりするわけだ。

 なのだけど、その愛っていかがなものよ?というのも実際にある。
 親子愛があれば何でも親の言うことを聞かないといけないの?とか
 愛されているのだから支配されてもいいの?とか。。。

 こういうのってほとんどの場合、
 愛を自分の行為の正当化として使う場合が多い。
 確かに「愛は愛。れっきとした愛」なのかもしれないけども、なんつーか、
 使い方を間違っているというか。

 そしてよく混同されるのだけども、
 「思いやり」「優しさ」「慈しみ」は愛じゃないんだよな。
 愛じゃなくて、それぞれ「思いやり」「優しさ」「慈しみ」。

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 具体的行動を伴わないと、思っているだけなら意味ない・・・みたいな
 考え方もあって、実際に「愛」があってもなくても現実変わらないのなら
 なくても一緒だ!という視点もある。

 僕も子供のころにかなり苦しい思いをしているから、
 経験的にはこういう考え方を受け入れやすい。が、それって実際はどうなのか。

 「無償の愛」が「本当の愛」という考え方もあって、
 でも、もし「無償でなければ愛ではない」と言えるんなら、同時にそれは
 「愛は無償でなくてはならない」という条件がついてしまうことになる。
 条件がついたものが愛なのか?
 なんか違うだろ!?

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 なんでこんなややこしいことをごちゃごちゃ書くのかというと、
 (別に全然書かなくても済むことなんだけど)
 結局「自分ができる自分の愛を出したり受けたりすること」しかできないんじゃ?
 みたいな結論になるのかもしれないけども、
 そしてそれはとってもいい考え方だとは思うのだけども、

   ・つまりは実際のところ愛が何かなんてほとんどの人が分かってない
   ・分かってないヤツが愛をどーのこーの言うんじゃねぇ

 ってことが書きたかったわけだな。
 もしかしたら特に分かる(感覚的・思考的)必要もないのかもしれないし。

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 それでも、もっと「愛」のことを知っていきたいという気持ちがあるんなら、
 毎日の生活の中でもっと「愛」に注目することだと思うし、
 そうすると「愛」にはどうやら種類とか特徴とか、色合いがあるらしいぞ
 ということに気がついて来るはず。

 今まで「愛」と呼んでいたものが実は誤解していただけだったり、
 「愛」を使って自分の気持ちを心地よくしようとしていただけだったり、
 どうでもいいことだと思っていたことが実は「愛」だったり、
 そういう気づきが出てくるはずなんだな。

 そのいろんな「愛」を経験しているうちに、
 自分の中で言葉にできない何か、「こういうことかな」という気づきを得て、
 でもそれに縛られず「気づきの更新」をし続けることで、

   ・自分の持っている自分なりの愛

 の形というのははっきりしてくるんじゃないかな?と思うわけです。

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 最後、感じる方じゃなくて考える方で愛を知ってみたい人に参考本。

 ・愛の論理 飯田史彦
  抽象概念を論理化した実用書
  古今東西の愛について言及されたものを大まとめした本。

 ・無痛文明論 森岡正博
  社会生態学の本
  章立ての一部に条件付きの愛が説明されている。見事。

 ・容疑者Xの献身 東野圭吾
  小説
  映画化された小説。出す愛よりも受け取る愛の方が難しい?

 ・草にすわる 白石一文
  小説
  わかりやすい強烈な愛。心の揺さぶられ具合半端ない(当社比)

 思うに、自分の経験の幅にはフィルターがかかっていたり、
 絶対量が少なかったりするので、
 そういう意味でも小説を読むとか映画を見るとかっているのは
 とにかくなんだか大事なことなんだと思う。

 日常の自分にプラス何かを加えてくれるエッセンスや手助けになるんだな。

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