自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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実例を示して物事を証明・・・する?


このところ結構書いていることではあるんだけど、

人は知っていることの範囲よりもはるかに大きく、知らない範囲のことが多すぎてどうしようもないのです。

なのに、断言して確信を持ちたがったり、

人に教えて優位に立ちたかったり、

理屈堅めをして自分を守り、人を論理攻撃して自己証明したり、

おお、実に世知辛い脳みそである・・・・脳の構造的にそうするのはある程度しょうがないわけです。

トークのうまい人は特に、実例を示すことに秀でていたりします。

または自分の経験をおもしろおかしく、ストーリー仕立てにして話したり、

壮大な夢と野望を、熱意を持って話すことに長けていたりします。

控えめに、大人しく、謙虚に言って、そういうのはほとんどインチキです

特に実例を示すことに長けているというのは、

実例を示すぐらい勉強していて、豊富に話題があり、実例そのものがストーリーで熱意こもって話せたりすると

もう相手はイチコロだったりすることがよくあります。

これは男女間でもよくありますね。というかそういうオトコはモテると思う。

僕なんか、本質的じゃなければすぐに嫌な顔したり、質問地獄をお見舞いするので・・・

・・・おぉ、そうか!だからモテなかったのか!・・・と、今気がついた。

実例の示し方は全然問題ではなくて、

実例を示すことそのものが、かなり問題だったりすることが本当によくあります。

物事の根本を突き詰める科学者にもこういうことはよくあるらしく、

自分の持論と仮説を証明するために、証拠を探し集める。

それ以外の事実は、例外として葬り去る・・・というようなことは実際にあるといいます。

セミナー講師なんかでも、本の著者なんかでもそうだけど、

実例は相手にイメージさせやすくするために使われながら、

自分の物事がいかに正しいかを証明する手段として使われます

が、勘違い。

ほとんどの場合で、実例は証拠を示して理屈堅めを有利にするために使われます。

なぜそんなことが言えるのかというと、実例を拾ってくるという物事そのものが

ある一定の方向性の物事を決定づけたい証拠集めになっているからです。

たとえば(←実例・笑)、仮説を立ててそれが正しいと証明したいので物事を拾ってくるのが多いケース。

そのほかにも(←これも実例)、最初から実例を集めて法則を見出していく場合もこのパターンに当てはまります。

実例を集める行為が先にあっても、その人が集める実例に傾向や特性が表れるのが避けられないからです。

その傾向や特性の分野・ジャンルでは、やはり何かしら偏った情報のパターンがあるはずです。

人が知覚できる範囲の狭さを考えてみたら

(たとえば(実例・・・くどい!!)私たちが読みきれない本の膨大さと読めた本の比を考えてみたら)

面白おかしく説得力を持って実例を示したとしても、

それが実例である以上、もう既に残念な結果に転ぶ可能性も考えなきゃな・・・となるわけです。

そしたら、実例を示すと物事はたちまちのうちにダメダメになるのか?というとそういうことでもなく、

実例があるということを

「言いたいことをわかりやすく話してくれているんだな」と、

事実の根拠とはまた切り離して考えることと

「理屈を正当化し始めた可能性もある」と、

少しだけナナメに見てみる、ということをやってみるといいと思います。

その相手が理屈を証明しようがすまいが、

事実そうであることは動かないし、

真実がどうであるかはもっと変化しません。

自分でそれが何でどういうことなのか?を探る視点を持っていることが大切で、

納得できる例と、力強さと、面白おかしさに流されることは全然重要ではありません。

やたらと実例を示したり、

思わず実例を示そうとしたり、

「たとえば~」からはじまる言葉を聞いたときは、何かにハッと気がつくチャンスです。

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