自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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弱さの実践 〜弱さをさらけ出すシリーズ2


弱さをさらけ出す

というコラムを書いたら、コメントに「実践編を」と残ったので書いてみます。

弱さを実際にさらけ出す。一番わかりやすく、そしてかなり大切なのは、

「これこれここが弱いです。だからこうしてほしくないし、こう協力してほしい」

と自分から言うことです。

本当は何か問題が起こる前に、事実弱いところを出してしまう方がいい。

けども必要性がないのに、必要ない物事を話すのもおかしな話で、

なので問題が起こってからでもいいので、弱点に触れるところが出てきたら

それを率直に、ストレートに、相手に知ってもらうために伝える

弱さを刺激しないようにお願いし、弱さをカバーしてもらうように協力をお願いする

関係が戦いになってしまうと、

自分がやってきたこともあながち間違いではないし正当性を述べたい、となってしまうと、

片方が弱さを出したことに、もう片方が有利だと計算して自分を出さなくなると、

誠実に弱さを出すというような方法はたちまち崩壊する。

本来弱さが否定されたり、拒絶されたり、攻撃されても

別に傷つくことではない

相手がそう思いたいから、やりたいからやっているだけ。

弱さを受け入れず、認めず、材料にしたり、有利に立とうとする人とは、

どうあがいても上手くやって行くことはできない。

絶対にムリ。

そういう人が相手だったと、弱さを出すことでわかることができる。

弱い自分を助けない人とはやっていくことはできない

(真の弱さという意味。弱さを正当化の理由にしているのとはまた別)

泣く、というのも弱さのわかりやすい実践。

悲しくなったとき、情けなくなったとき、どれだけやっても気持ちが上手く伝わらないとき、

泣けばいい。大泣きして感情をアウトプットする。

それで相手がめんどくさそうだとか、ウザそうにするならそれもまた相手が合わない。

同情したり謝りはじめるのも違う。

泣く方は、自分の弱さを刺激されたことに対して正当に泣く

感情は気分が乗ってくると増幅するから、

不必要な感情を感じて泣きまくることはしない。それはただの甘え。

何でも泣けばいいというものでもないし、

大泣きすれば良いというものでもない。

わかってもらうために、見せるために泣くなんてもってのほか。

弱い自分として、普段からできるおそらく一番良い方法は頼るクセをつけておくこと。

これは弱い自分という、どちらかというと感情面を含む弱さだけではなく、

弱みという機能として自分が劣っているところにも使うようにする。

頼るというのは、自分は弱い×相手は強い。その強い力を貸して、ということ。

甘えるというのは、自分もある程度強い×相手も強い。力を貸して、ということ。

甘えるのがいつもダメなわけではなくて、

弱い自分を上手く実践するために、優れた力がある人にその力を借りるということ。

弱さを不必要に拡大解釈して、自分でできることまで弱いことにし、

人の力を使うのであれば、それは頼ることとはまた別。

使われて嬉しい人はいないけども、

頼られて嬉しくない人はいない。

さらけ出し、泣き、頼る。

弱さの資質を生かすための基本戦略。

なのだけど、実際には「やっているけどウザがられる。相手と合わない?」という人がいると思う。

それは弱さを出している自分を相手が受け入れてくれないかを疑うのではなく。

さらけ出し方がオーバーだったり、過剰反応だったり、感情的だったりしていないか、

泣き方が感情増幅させたり、正当化したり、攻撃材料として使われたりしていないか、

頼り方が実は使っていたり、甘える一方だったり、ちょっと言った程度で諦めたりしていないか、

というようなことをそれぞれよく振り返る必要がある。

弱さの適切な実践は、

自分の弱さが何かを正しく理解していて、

それをどのように協力してもらえればベストかよくわかっており

弱さの全部をさらけ出すけども、感情の押しつけはせずに説明し

傷ついたらもちろん泣くのだけど、弱さに対してのみ泣き

相手が上手く力を貸してくれるように働きかけをする。

それでもその弱さに無理解なのであれば、

自分ができないことを責めたり、

自分への取り組みを苦行のように行うのではなく、

尊厳を守るためにオサラバすること。

弱さへの攻撃は尊厳を著しく傷つけるということを知っておくこと。

その場面に遭遇したら、

自分にも問題が、とか

これは取り組めというメッセージだ、とか

相手は自分の鏡だ、とか

自分が変われば相手も変わる、とか

傷ついたのだから攻撃してやる、とか

うちひしがれて何もできません、とか

くだならい正当化発言を止めて、

弱さを持った自分を真っ先に守ること。

尊厳を犠牲にしてまでトライする何かなどありはしません。

弱さを実践するということは、

弱さという資質を生かしてうまくやるために行うに決まっているんだけど、

もしも尊厳が攻撃されるのであれば、

もうそれは無理なのだから止めるのだ、という最終決断も含んでやるということ。

それができない相手や関係なら、

それはそもそも、それができない人を選んで付き合っているということです。

前提が間違っているとういうことは、

努力や変化で革新することできないということです。

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