自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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心から怒るべきこと。


怒る、というのはある意味感情の発露で、
場合によっては怒らないという選択をすることもできます。

感情論はいくらでも書けるけども
話がそれそうなので早速結論を書くと、

自分の尊厳が著しく痛めつけられたとき、
・・・それは、相手が痛めつけようとしてやっているとき・・・
には、いち人としての怒りを感じるべきです。

正確には、心から純粋無垢に湧いてくる怒りというものを誰しも持っています。

もうひとつ。
自分といういち人間は、愛することができると同時に
愛されてよいひとりの人です。

愛されることを求め、それが無下にあしらわれたとき
やはり同じように
心からの怒りというのは誰しも湧いてくるものです。

湧いてこないというのは、心が死んでいるということです。

心からの怒りを持つことは誰にでもできます。

だけども、情報や知識や正しさのフィルターを通じて
「心から腹が立つようにしている」ことが少なからずあります。
そういうのをブロックと言います。

スムーズに捉え、受け取ればいい物事を
わざわざ心から怒るようにしているのは
それが自分の価値だからではなく、恐れを避けるための手段だからです。

心からの怒りは、常に自分の存在に関わるときに現れます。
自分以外の存在に関わるときにも現れることがあります。
例えば、ナチスに迫害されたユダヤ人のことを思うときとか、
自分の子供が理不尽な抑圧に置かれているときなどがそうです。

だから尊厳愛されることに関して、
心からの怒りを持つということは
「ブロックだから自分に向き合わなくてはならない」とか、
「相手の気持ちや立場も理解しなければならない」とか、
そういう自分が自分であるための怒り以外の物事を
考える必要はないのです。

もし考える必要があるとしたら、
相手の尊厳を自分が痛めつけようとして痛めつけていないか、ということと
相手が愛されるべきひとりの人間であることを否定していないか、ということの
2つだけです。

だから誰しも、
尊厳を尊重し尊敬し、
愛されることを肯定し向き合う、
という人と付き合うべきであって

もっと言えば、それをする権利があるのであって
尊厳を踏みにじり、
愛されることを否定する人の
言葉に踊ったり向き合ったりする必要は基本的にはない、
ということを知っておくことです。

そのシチュエーションがなぜあるのかがメッセージだとか、
引き寄せの法則がどーのこーのとか、
どこの誰が言っているのかわからない無責任な言葉に流されず、

自分の尊厳と愛される存在であるということは、
自分で守る以外に守ってくれる人はいません。

ここを守るためには、正しいブロックを作るべきで、

自分でブロックを作らないのなら、
その尊厳と愛される存在を守ってくれる人を信頼し、
自分を委ねてやっていくことです。

それが愛の関係であるし、
人生で出会うべき心の友だということです。

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