自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

HOME / コラムを読む

怒りのメカニズムとその対応法(の一部?)


ずっと不調で書いていなかった【一人踊るセミナー】ですが、ここに来て書きたいことがいっぱいあるのに、

V嬢のこの記事を受けてこれは書かねばならん・・・・というか単なるパクリ?で・・・・テーマ怒りです。

リラックスをがんばること
どうして 怒りたいのかな がっかりするのかな

(特に上の記事がとてもよかったのと、それを受けて書きます)

これは僕もセミナーでたまに言っているのだけど、

怒りをアウトプットすることと怒りを発散することは違います。

怒るときの多くの場合(あくまで多くの場合)、その根底には悲しみがあることがよくあります。

悲しみのほとんどは「自分のことを全然わかってくれていないじゃないか!」というもので、

やり場がなく、どう表現していいのか分からないので怒る。

一番わかりやすいのは思春期の子供です。

こういう背景に悲しみがある怒りの感情を押し殺してしまうと、二重にヤバイことになります。

どうやばいのか?・・・・というのは、書くと長いし別に知らなくてもいいので省くとして、

こういう場合は「自分は本当は何が悲しいのだろうか?」と考えてみると効果的だったりします。

「何に怒っているのだろう?なぜ怒っているのだろう?」というのもひとつの切り口でいいのだけど、

怒りの波に飲まれてしまって、ワケわからなくなる人は悲しみ路線で考えると便利です。

い感情からい感情に移してから考える、というか・・・。

アウトプットと発散が違うというのは、V嬢はノートに書くという方法をオススメしていますが、

僕は俄然お風呂をオススメしています。

湯船に浸かって、怒り事件を思い出し、散々吐き出す

徹底的に相手を貶めて、人格を否定して、相手のせいにして、ガンガン怒りまくる。出す。

ある意味デトックスですね。

感情面で一通り落ち着くと、何で自分はここまで怒るのか?ということを考えやすくなります。

怒るときの怒る物事は、よくよく冷静に考えてみると

そこまで怒ることのほどではないということがほとんどです。

不思議だけど、本気で冷静になってみると、そこまで否定しまくるほどではない物事ばかりだったりします。

軽く怒って、自分の意見を言えば済むぐらい。

僕は人間できていないので、V嬢と違ってエネルギーの無駄な浪費だとはまだまだ割り切れないのだけど、

自分で自分のこういう怒りの感情に対応していくと、

普段怒っていることの90%ぐらいはやはり無駄だということがわかってくるようになります。

ひとつは文字通り怒っても無駄だということ。

僕は飲食店での対応にめちゃくちゃ敏感なのですが、これはもうしょうがない怒っても無駄。

だってもうその人がその仕事をやっているのだから変えようがない。が、腹が立つ。が、無駄。が、腹が立つ。

もう自分の内面を見るしかないわけです。

もうひとつは上にも書いた、実はさほど怒ることでもない!?ということ。

後からでもいいので、実はそんなに怒らなくてもいいかな?ということは、

反射的に脳までいかず神経で怒っているので、怒らなくていいのに怒っているのなら

怒ること自体をやめてしまっても何の不都合も起こらないわけです。

これは怒るのは悪いことだから止めた方がいいと言っているのではなくて、

むしろ怒るという感情を持っていること自体はものすごく正常で、

なんだけど、本当に怒るべきこと以外にも無駄に怒ったり、悲しみの代替になっていたりするのは

筋が違うから損ですよ、ということです。

特に目立つのは、自分が怒っているのは相手のせいだとすること。

仮に、確かに、確実に相手のせいだとしても、

自分にできることは自分にできる範囲のことしかありません。

相手を変えようとしたり、怒りを発散したり、法廷に訴えても、どの道思い通りにはなりません。

自分の感情発散のためにそういうことをやるのは無駄を通り越してかなりの実害を伴うし、

被害者になって被害を被ったことを訴えかけても、それが解消することはほとんどありません

前提に、相手を否定して・・・相手の行為や考え方や態度や言葉を否定しておいて、

だから自分が被害を受けたと言っても、それは自分が勝手に被害を受けたのであって、

相手がそんな行為や考え方や態度や言葉を変えることは決してありません。

なぜならそれが相手というひとりの人間だから。

イヤなら止めればいい、というのが僕の場合は自論。

自分でやると決めて、自分で努力すると選択するのなら、

自分でできるのは自分でできることの範囲内のことだけです。

その中には怒りの感情を持つべきか持たないべきかということも含まれている。

相手のせいにして被害者になる怒りの感情は持たないべきです。筋違い。または勘違いだから。

それは相手の課題ではなくて自分の課題です。

(自分の)怒りをよくよく研究?してみると、そのほとんどは無駄だったり感じなくて良いものだったりします。

が、反面、その怒りは必ず感じるし感じた方がいい、というものもあります。

自分の存在に関わる怒り、というのはあります。

(逆に言えばそれ以外の怒りは感じるだけ無駄ということになります)

そういう怒りは背筋をピンと伸ばして持てばいいと思う。

ただ、だからといって正当化や責任転嫁はしないことです。

僕の場合だと2つあって、

ビジネスでも精神世界でも短期的、または一部のスキルを持ってして「これが全て&正しい」というウソを

目にしたときになかなか沸々と怒りの感情が湧いてきてニセモノは死んでしまえ!と思ってしまいます。

本質的にそうではない、ということをいかにもその通りであるというように信じて伝えて・・・まで行くともうダメ。

ウソ言うな!という気持ちも湧いてきます。

信者を作るようなビジネスや精神世界形態も似たようなところがあって、

なんというか人の心の弱い部分を上手く活用しているようなやり方はものすごい腹が立つ。

反面、世の中ニセモノもなければ成り立たないということもよくよくわかっていて、

なのでそういうものも一通り受け入れた上で、なおかつ怒りの感情が湧いてくることがあるわけです。

これは僕の中で許容範囲なのでスッキリ怒ることにしています。

が、相手にいちいちそれを言ったりはしません。無駄だし。

もうひとつは、自分で自分をどうにかしようと決めたのに、自分で自分をどうにもしない人を目にしたとき。

身近な人限定です。

知らない人が何を選ぼうが関係ないから。

一応強みなんかを扱っているので、

人によってできることとできないことがある・・・ということには異常に敏感です。

できるのにやらないとか、大切なものを守るためにやると決めたのにやらないとか、

そういうことが起こるともう腹が立ってしょうがなくなります。

何というか、一種の人生放棄ですかね。

人生放棄するのは自由だけど、なら他のところでやってくださいという感じかな。

他にも人によっては自分の無力感に怒りの感情を持つときもあるだろうし、

それが原動力になることもあると思う。

「正しい怒り」というと言いすぎかもしれないけど、つまるところ本当に怒るところで怒っているのか?

それともただ怒りの感情を発散しているだけなのか?

自分で自分という人となりをよく知っておくと、つまりは怒りに流されることも支配されることもないし

効果的に?怒りと付き合っていくことができるようになる、ということです。

あー長くなった。。。

トップに戻るボタン