自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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意味を探るムダを省き知覚が広がる〜「理解」を使うシリーズ4


【「理解」を使うシリーズ】

「理解」を使うということ
事実誤認と理解。マジメに向き合うことの誤認~「理解」を使うシリーズ2
スケールの誤認。器ともいう場合あり~「理解」を使うシリーズ3
意味を探るムダを省き知覚が広がる~「理解」を使うシリーズ4 (この記事)
不要な努力をしなくて済む「結論の理解」~「理解」を使うシリーズ5
「理解」と「わかる」を使い分ける~「理解」を使うシリーズ6(最後)


間が空いてしまいましたが、理解シリーズです。

繰り返しになるけども、理解は浅い。浅いから強かったりします。
浅いということは、深くしなくていいということで、
深くしなくていいということは、それだけ時間が短縮されるということです。

ムダな思考をしなくて良くなります。

少なからずわれわれは、物事の意味を求めたりイメージ化したり納得しようとします。
その方がうまく受け取れるからで、ある種の人間の知恵と言ってもいい。
なのだけども、行き過ぎると
意味がなければ、イメージできなければ、納得できなければ
受け入れないなかったことになる、という弊害もあったりします。

理解は、こういうややこしい?プロセスを抜きにして進めることで
早い結果を得ることができるし、
人が意味やイメージや納得を超えたところにある物事をそのまま受け取らせてくれます
つまり、知覚がスムーズに広がる
意味やイメージや納得を使ってしまうと、その知覚枠の中で物事を進めるようになります。

どちらの方が、自分を生かすことに有効か、考えてみれば明らかです。

意味やイメージや納得がないと、不安が生まれます。
不安を避けようとしたとたん、理解がうまく使えなくなります。

理解は端的に物事がそうであるとわかっていることなので、
まだそのものごとが確実であるとは全然言えない。
まして、意味もイメージも納得もなく大海原にこぎだすので
本当にそうであるのかどうかは、結果を検証しなければわからないということです。

こういう形で理解を使うのはいくつかのメリットがあって、
まず物事を、フィルターを通さずに行うことができるので、ありのままの結果を探れること。
相手が有名人だとか、信頼関係があるとか、などなどに流されなくなる。
情報に流される危険性を、あらかじめ省くことができる

意味やイメージや納得を無視しているので、
新しい知覚としてそのものごとを捉えることができる。
これは上に書いた通り。

そして、最大のポイントは、
この、理解を使って検証する方法を続けていると、物事の本質を見抜く目がつく、ということ。

わからないがやってみる。
わからないが採用してみるし、行動してみるし、そういう風にする。

わからずやったときにしか知り得ない世界というものがある。

それを繰り返して行うことで、「わからない世界に踏み出したときにわかること」ということが明らかになる。
わかる世界でしか何かを行わない人と明らかな差や違いが生まれる。
わからない世界に対する感覚や感性が磨かれることで、
理解だけで進めているがこれは行ける!というものと、理解段階でこれは無理だ!違う!とわかる
ということを見分ける目というのがついてくる。

理解が余分なフィルターを含まずに、
結果との整合性でのみ物事を検証して測っていくので、
それに慣れてくると、その世界のあり方というのが自然に身に付く。

この「身に付いたもの」が、新しい知覚と、それを認識することができる直観になる。
知らないものを知っているという矛盾が身に付く。

知らないものを知っているというのは、
物事の真偽を厳密に見抜くことができるということでもある。

理由や説明はできないが、
知らないものに素直に取り組む世界観がある(つまり理解を使う)人が、
その知らない世界のあり方はおかしい!ということがわかっている。理解ではなくわかる。

だから科学的に、実験的に、統計的に証明されていようが、
より多くの人が証明はできないがスピリチュアル的にあるんだとされていようが、
普遍的に正しいのであるとされていようが、
そんなことは関係なしに、本質的な真偽がわかる

こうなってくると、「理解を使う」ということ自体が自分の才能として開花する。
事の真偽がわかるということは、
ムダで不要な情報に流されないということなので、
最初から違うものを選ばないという意味で、努力によってではなく前提によって
速く結論にたどり着くことができるようになってくる。

間違いも瞬時に見極めることができるようになる。
これは、わかる世界で直観を使っている人とは本質的に異なる。

理解最大の武器はつまりはこういうこと。

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