自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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技術と情報の扱いを知っている〜専門家の作り方02


【専門家の作り方】
 01 専門家風情が専門家を舐めるな。
 02 技術と情報の扱いを知っている(この記事)
 03 人のあり方(人間)を知っている
 04 現実を認識できている〜最終話


書く内容がそこそこ多いのでなるべく端的に。

専門家、というイメージが持つ大きな誤解は
「一流の専門家になればなるほど、その分野に精通している」
というもの。

確かにその傾向はあるし、
全くないなら問題がある。

が、専門家を専門家と呼んでいい一番のポイントは
知らないケースや情報がやって来ても
どこにその回答があるのか、どう導くのか?
ということを知っている
ことにある。

必ずしも、自分の脳内に全てが詰まっている必要はない。

専門家に必要な技術と情報は、
普通に考えて知識と経験から得ることができる。

これが基本中の基本。

技術も情報も、誰かが既に作った体系で
「こういうときは、こうする」
という情報、方法論、スキルの集合体である。

その情報は、たとえば誰か個人が、
またはその個人に続く連綿たる集合体が、
仮説を立て、検証し、実証と成果を導き
体系化されて来た物事である。

だから万能ではない。

万能ではないから「概ね、大多数にはこうする」という
または「こうである」「こうなる」ということで、
必ずマニュアル通りに進むものではない。

情報、技術にはあらかじめ限界が用意されている。
だから、
情報と、技術に当てはめて物事を判断する専門家は
三流以下と言わざるを得ない。

情報と技術には、それがそれであるための前提がある。

たとえば、最初のオステオパシーでは
関節を整えれば自動的に身体が整うという前提がある。

その前提が間違っていたり、
部分的にしか正しくなかったり、
どういう種類の人にはぴったりだが、そうでない人がどんなかを知らなかったり、
時代の変遷で変わり得ることが組み込まれていなかったり、
人の脳の発達や文化水準で通用しなくなるところがあることを考慮しなかったり、
それによって前提の限界がいつ訪れるのかを知らなければ

その技術が正しく稼働するはずがない。
そしてそういうことはかなり高頻度で起こるのに、
多くの専門家が前提の見直しをかけない。
盲目的にしたがっている。

これが二流以下の専門家である。
だから、

前提をそのままに、
技術の発展を図ったり、情報量を増やしたり
腕と技を磨いて、実績を結果を積み重ねても
二流である枠を出ることはない。

情報は比較検証して多角的に見ることができるようになるし
技術は経験と数で磨くことができるが、
前提は変えるしかない。
前提を変えたことのある経験を持たない専門家は
腕のいい、でも偏狭な専門家といえる。

これができなければ
情報と技術の扱いを知っているとは言えない。

たとえば100年前の前提の真実を
今でも真実だとのたまっているのなら
それはマイナスは生み出さなくても
決して高いプラスではない。

情報というのは
既に起こったことのまとめでしかない。
古いできごとでしかない。

そうじゃないかもしれない。

ある情報さえ取得すれば、
たとえば、
インフルエンザにかかるというのは
自分の人生を生ききっていないという
精神と肉体の相関がある

という情報は、
その真実性がどの程度
現在目の前にしている対象に適応できるか?
を知っていなければ
本当の意味では通用しない。

「教科書に書いてあるもん」
言っているに過ぎない。

どの程度適用できるかどうか、というのは
フィードバックを取らなければわかりようがない。
だから専門家は、
自分が情報適用した結果として、
そのケースがその後
どんな反応を導いたかということを確認する必要がある。

相手があることであれば、
結果は必ず一定しない。
情報の適用範囲は常に変化する。

それを追う。

技術は、成果を導く手段として
確度の高い方法だから用いる。

成果を導かない技術はムダに終わる。意味がない。

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成果を導ける技術だけが
専門家にとって意味をなす。
だから、
その技術の仕組みと成り立ち、構造、理論的説明などは
必ずしもできる必要はない。

ただし、
その技術が導き出した成果に対しては
仕組みと成り立ち、構造、理論的説明ができる必要がある。

二流なら必要ない。
そもそも説明できない。
それ以上が専門家と言えるなら
専門家、という仕事にはそれができる必要がある。

ただし相手に必ず説明するかどうかは
ケースによる。
できるが、しない、ということはある。

こういう意味で、
専門家の専門職としての責任は
情報の適用精度と技術が導く成果にある。

一応書いておくが、
プロモーションや知名度、それによる信頼性や安心感、
評判の良さ、発言の納得感、人間性
などにはない。

専門家であり、専門職であるなら
この責任を果たしているのは当然で
だからここがスタートラインになる。

その上で

情報量を増やし、前提を変更し、その検証を行い
情報の精度を高めて知識を増やし、

技術を磨き、経験を増やし、ケースを知って
工夫改善し、新しい技術を習得し
組み合わせを試してオリジナルを生み出し
技術の向上を図るのは

どちらも専門家として当然のことである。

情報の絶対化、画一技術の信奉、前提の未変更などは
この専門家のあり方を奪わせる。

お客に迎合すること、
師匠の教えに従うこと、
誰かを尊敬すること、

専門家のあり方を奪う。

専門家の情報と技術に対するやるべきことを失わないこと。
その他の必要そう
もっともで正しそうな情報と技術を遮断する。

一流を超える専門家の情報と技術は
新しい体系を生み出すことにある。

新しい前提と概念、
新しい情報、
新しい技術
を生み出す。

技術から生み出すのが最も簡単で
だから数を生み出すことにトライする。

そのうちのいくつかだけが実用に堪え
複雑な理由によって生き残る。

生き残ったものの集合が情報となり
体系化されて伝えられていいものになる。
そうなっても伝えられないものもある。

伝わったもののいくつかが、
前提に影響を与える。
新しい前提を生み出し、
その前提を他の人が採用することで
他の新しい技術が生まれる。

そのうちのいくつかが採用され、
情報として体系になり、
それがまた前提にアプローチする。

つまりは、
専門家の仕事と役割はこのサイクルを作ることにある。

間違ってはいけないのは、
いいものが必ずしも広がり、認められ
定着するのではないということ。

だから、
現在生き残っている情報と技術は
必ずしもベストではない。

もっと素晴らしい情報と技術が
それこそ腐るほど生み出され続け、消えている。
残らない。

いいかどうか、ということと
生き残るかどうか(広まるかどうか)ということには
相関性がない。

専門家にとっては、広まるかどうかは重要ではない。

技術から前提に及ぶサイクルを作り、
その中のいくつかのベストが世に残るように
働きかけ続けることが重要である。

この意味で、専門家は
深めさえすればいいというわけではない。
深めるだけの専門家は二流と言わざるを得ない。
または「技術者である」と言える。専門家ではない。

深めた技術が情報となり、
体系化され前提に及ばなければならない。

その方法は、深めたこれぞ!というものではなく
生み出す数によって示されなければならない。

そういう意味では、
必ずしもひとりの人によって
この技術革新が起こらなくても構わない。

時代的な長い目で見れば、
サイクルを生み出すひとつの歯車となって良い。

それが見るも明らかに機能している分野が
科学の世界である。
ノーベル賞を取るような有名な学者は
その研究の前提となっている
科学技術や情報の全てを
前任が培ってくれたものの応用で使っている。

本人の功績というよりも
科学者集団の功績、と考えていい。

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