自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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目の前の現実を直視しないメカニズム


自分が見つめるべき自分のことが目の前にやって来たとき、
それを見ない、見たくない・・・・を
巧みに行ういいわけ手法を誰もが持っています。

強みのブログに書いたこんなケースもそう。
(でもこれはかなりレアなケースかな)

つまりは素直に受け入れるということをやらないわけです。

それが、なんかイヤーな顔をして、
見るも明らかに言い訳しているのならまだわかりやすい。

でもそれだと、相手から反感や否定を買ってしまったり、
それによって人間関係や仕事が上手くいかなくなることが多いので
人はその場を凌ぐためにかなり頭のよい方法を使ったりします。

リンク先の例もそのひとつだけども、
その他にも

相関性のありそうな別の話し(結局違う話し)を持ち出して
話しに参加している様子を見せる
以前の話しと結びつけて複雑にし、前向きに取り組む自分を作る。
が、結局複雑になりすぎて受け止めきれない
素直に受け入れる。必ず受け入れる。その後必ず破棄する
じっくり観察して自分が優れているポイントを打ち出す。
受け入れなくてもいい自分を見せる
100%受け入れる。そしてやる。できる。その後二度と採用しない
わからない化、お笑い化、調和同調化する

こういうのは、無下に断ると余計にややこしいので
相手の言い分にいちど耳を傾け、または傾けるフリをして
あるいは耳を傾け採用までやってみせて、

その後必ずその話題には目を向けないということをやる
という、巧妙だけどややこしいメカニズムです。

巧妙すぎることに本人が気がついていないから、
というばかりか、
巧妙にやりすぎて自分自身もだましてしまっているから
その方法をやっている自分はちゃんと聞いている!という錯覚すら起こる。

だからなおのこと、
ちゃんとやっていることを見返しはしないし、
人から「やっていない」なんて言われようものなら
全力で否定までするわけです。
  ↑
これ自体が聞かず、受け入れていないということに気がつくかな?

なんでそこまでして自分に関わる人の話しを避けるのかというと、
もうこれ限りなく説明できるのだけど
その根っこを探ってみたら
痛い想いをしたくないから。

それだけ避けて来たってこと。

だから、こういう人がもう一度本来の自分を振り返ると本気で決めたら
精神的にはもちろん、場合によっては肉体的にも痛い想いをするということ。

だから痛い想いを受け入れる覚悟をする必要がある。
でないと、上に書いたような
巧妙な頭で全部スルーしてしまう。

痛いというのは不快だけども、
痛みを感じるというのは体の正常なメカニズムです。

心の痛みも、体の痛みも同じ。

良薬口に苦し、というのも同じ。
語源は古代中国で、
家臣の厳しい意見を受け入れない君主に、
別の家臣が「良薬口に苦し、諫言耳に痛し」と説いたのですよ。

一緒でしょ?

本当に大切なことは耳に痛いってこと。
それを頭使って、巧妙に躱している場合ではない。

昔々、子供のころなどに逃げるしかなかったときはしょうがない。
でも、今はもう立派な一人の独立した人間でしょ。
多少の痛みは自分でマネジメントできます。

目の前の痛みを避けることよりも、
人として痛みを避け続ける人生を取り続ける自分を改めるべき。

自分を生かすということは、
つまりはそういうことでもあるわけです。

等身大の痛みを知れば、
過剰な恐怖がさほどでもないことがわかれば
痛みは受け入れるに値する貴重なものになります。

頭痛が起こったときに鎮痛剤を飲んでなかったことにするのではなく、
これは休まなくてはいけない、とか
スケジュールに追い立てられている自分が偏頭痛を呼んでいるので
いちど落ち着いて、捨てれるものを捨ててひとつずつやっていこう、とか

痛みがなければ決して気がつくことができない
自分のあるべき姿に気がつけるということもあるということです。

心の痛みも同じ。

例えば霊が家までついて来たら、
せいぜい一晩冷や汗をかいて眠れない不快な夜を過ごす程度。
死なないし。

ま、そんなわけで強み塾ではこの言い訳のメカニズムを解明して
(またこれ、強みなのか解明メチャクチャ上手くできるんだな)
徹底的にテコ入れしてます。

マイブームなのでしばらく続くよ~

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