自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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知覚への挑戦 ~ただ現実を優先する


事実どうか?を習慣的に優先する技術を身につけている人もいるけども、

そういう人であっても、その他の人ならなおさらのこそ

知覚できない情報は「ない」「間違っている」のどちらかになってしまいます。

僕のビジネススタイルなんぞは、積極的に出かけ、交流会を開き、ガンガン人とつながりを持つ人にとっては

「間違っている」スタイルになってしまいます。上手くいっているにも関わらず。

受動系で成果を上げる方法の存在を知ることができないので、イコール間違っている、となります。

まぁ、そういう人は僕のところにセミナーを受けには来ませんね。

当然と言えば当然です。

孔子には、「君子は小人を、小人は君子をそれぞれバカと呼ぶ」みたいなことが書いてあります。

おそらく厳密には、どっちもバカなんでしょうけど

主旨は、君子は自分が賢く小人がバカだと分かるけども、小人はそれがわからない・・・という意味で使われます。

知覚できている範囲の違いを物語っています。

もうちょっとわかりやすく言うと、

10わかっている人と、3わかっている人は考え方が違うんだよ、ということです。

だからもっと知覚しましょう・・・だと、何のひねりもないし、実際にはかなり間違っているので

僕なりに話を進めようと思います。

上に書いたのは乱暴にまとめると、分かっている人は分かっていない人より有利ということです。

つまりは、分かるか分からないかによって結果が左右されるということです。

一般的に人の分かり方・・・知覚の仕方には5つの感覚器官があって、

うち3つを優位に働かせている、とされています。

視覚情報(映像)で物事を知覚する人。

聴覚情報(音)で物事を知覚する人。

体感覚(触覚や感情)で知覚する人。

例えば「水泳」と誰かが言ったときに、人の頭の中では

水泳の映像を思い浮かべる人と、音声で瞬時に判断する人と、自分の泳いでいる感覚を思い出す人に

それぞれ分かれるということです。

みんな同じ情報処理をしているのではないということですね。

一般的に日本人は視覚情報(映像)で、脳内の情報処理をしている人が多いと言われていて、

もちろん複合的に感覚器官を使う人もいるし、味覚や嗅覚が優位にある人もいます。

そして、この知覚方法がここでは問題になります

ある何かしらの説明をしたときに、

視覚情報の人はイメージできなければ理解することがでず、

聴覚情報のタイプは、詳しい説明か書いたものがなければよく分からず、

体感覚タイプの人は実感や感触がないと世の中に存在しないことになってしまいます。

どの場合も本当は世の中にちゃんと存在しているのに。

そこにあるものを、あるとすることができないのだから、

自分の理解や行動、心のあり方や金もうけの仕方の範囲を狭めてしまって、枠内の生き方を自分で強いるわけです。

即物的な例えば医者なんかは、アロマやレメディの科学的根拠の欠落からその効能を知覚できないし、

代替医療の専門家は往々にして、アロマやレメディの副作用に目が向かないようにできています。

ただそうなんだ、という現実をそのまま脳ミソに入れるのはなかなか難しいということです。

ということは、その難しいことをうまく受け入れることができれば、

自分の世界観はかなり自由になるし、わだかまりや縛りに支配されることも少なくなるということです。

実際の行動面もスムーズに進むようになる。

理解できない現実に対応する心理的、物理的時間が減るからです。

または、あるものをないとしている自分自身への不整合に左右される心配がなくなるからです。

知覚よりもただ現実を優先するためには、

可能性を疑わずにただ受け入れるということと

科学的反証法の可能性を持っておくこと

相対性の考え方を取り入れることです。

可能性を疑わずにただ受け入れるということは、自分が知覚できる範囲よりも世界は広いと理解することです。

世界は自分よりも広いのだから、自分が知らないことがたくさんありすぎて、

しかし親切にも、それが何なのかを教えてくれる人がいるというモノの見方のことです。

これをやるときにプロセス・・・検証や証明、理由などは全く必要ありません。

ただ受け入れる体制を持っておくということです。

科学的反証法というのは、どんなに証明されている常識中の常識であっても、

それが間違っていると証明される可能性は全然ゼロではないという視点のことです。

科学が概念として優れているのは、それが間違っている可能性があるという視点を持っているからで、

世のスキルや宗教や教育や道徳と違って、科学だけが間違いの可能性を含む前提を持っています。

間違っている可能性を含んだものをただ受け入れるという体制を築くわけです。

相対性の考え方というのは、矛盾が両立するということです。

光速のロケットが右と左からすれ違うとして、こちらの時計が10時なら相手の時計は9時、

相手の時計が10時ならこちらの時計が9時という、相反した状態が矛盾せず同時に存在します。

どちらも自分が10時で相手が9時の状態が同時に存在するということです。ややこしいけど。

あっちが立てばこっちが立たず、ではなく、どちらもあってもおかしくない・・・所詮知覚は及ばない

という相対性の考え方を取り入れるということです。

知覚することよりも、ただ現実を優先することを取り入れることができたら、

あとはそれを検証するのも試してみるのも自分の自由です。

結局のところ、自分の生き方をスムーズにするために、枠を外す方法としてそれをやってみるということです。

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