自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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知覚を広げても採用せず戻るなら、その知覚広げには意味がない


知覚を広げることの重要性を
色んなセミナーで言ってます。

僕は知覚広げは、この3Dというか
現実的、物理的な世界では
自分の中にある確信に迫ることよりも
大事だろうなと思ってます。

知覚が狭ければ、結局その狭い世界の中での
偏った判断でしか物事を考えられないし
感じられないし、行動できない。

どうしても自分の使い方が
限定的、制約的になります。
つまり
自分を上手く使えなくなる、ということです。

知識や経験、どうでもいいようなことも含めて
自分が認知、認識している世界を広げると
同時に知覚も広がります。

知らないことを増やし続けることで
ある日突然、
何かと何かが結びついて
知識や経験がなくても
「そうだったのか」と分かることもあります。

これも知覚を広げます。

知覚を広げる努力は、なので
人生の幅を広げる努力だと言ってもいいと思います。

何でもいいから「知覚を広げることにつながるから」と
トライするのは誤った方法です。

やりたくもない、興味もない、苦手で弱みなことを
知覚を広げる理由でやったとしても
「やっぱりイヤなことだった」と確認できるだけです。

もちろん、
何がどのように自分に影響を与えるかということは
自分にとって「知覚外」のことなので
一度だけやってみた方がいいということもあります。

でもそれは、
やらないよりもやった方がいいという比較論で
本来の知覚を広げる意味とはちょっと違います。

本来の知覚広げは
自分を有効に使っていくために行います。
自分の可能性を限定せず、
資質をうまく生かす。

だから、ただの知覚広げはあまり役立たない
・・・のと同じように
自分を有効に生かすように知覚を広げても
結局はその新しい知覚が
最終的に不採用だけで終わっていくなら
その知覚自体も、知覚を広げた行為もムダになります。

なぜわざわざ知覚を広げておいて
そういう努力や時間を費やして
不採用にしてしまうのか?には3つ理由があります。

正当化するため
自分の元の知覚を正しいと正当化するために
他の知覚をあらかじめ間違っているものとして
知っていく。
自分の宗教を正当化するために
他の宗教のアラを探す研究者みたいなもの。

自分はこんなに知覚を広げているすごい人間だ!
という理由によって
自分は素晴らしいと正当化するためにやる場合もある。

環境が変わらないので知覚が採用されない
正当化ではなく、もっとスムーズに
元の環境が元のままなので
ただ今まで使っていた知覚を自然に使ってしまう。

ただ純粋に、新しい知覚をすぐに使えない
新しい知覚は、まだ自分にとって未知すぎて
どう対応していいのかよくわからないことがあります。
やる気満々でも、
慣れていなかったり方法を知らないために
しばらくは元の知覚を基準に進めることがあります。

広げた知覚を全て何でも採用するわけではありません。
むしろ、採用されない知覚の方が多いに決まっている。

だから大事なことは
自分で自分を生かすこと、
自分で自分の人生の幅を広げる努力をすること

2つは必ずやっていこうと
心に固く持つことです。

必要なときに必要で的確な知覚を採用できる。
そういう自分と自分の人生を作る。
それができることが
知覚を広げる意味があるということです。

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