自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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知覚外の知覚02~知覚外の信頼を持つ


【知覚外の知覚】
 知覚外の知覚01~知覚外の自分を知る
 知覚外の知覚02~知覚外の信頼を持つ (この記事)
 知覚外の知覚03~知覚外の視点で物事を見る
 知覚外の知覚04~知覚外の人間関係を使う
 知覚外の知覚05~「知覚外の知覚」を知覚する

信頼とは?


信頼は相手のことを全面的に信じることで
信用は相手の行為のことを全面的に信じる。

【関連記事信頼と信用01「信頼と信用の違い」

この全面的な信頼に知覚が関わる。

相手のことを無条件に信頼する。完璧な信頼。
しかし。
その多くが

自分が理解している(知っている)相手への信頼
自分が共感できる相手への信頼
自分と相手の関係の経験から導く信頼
自分が良しとすることを、相手も良しとしている相手への信頼

だったりする。

だから多くのドラマや小説やマンガで
相手が陰で今までと違うことを言っていると
たちまち不信に陥ったり、

自分がこれまで信じてきたことと違う行動をしたり
価値の在り処が見えてくると不信感を持つ。

こういうのは部分的信頼(していたことが明らかになったの)であり
真の信頼ではない。

あなたがやっているのは「部分的信頼」かもしれない


部分的信頼は自分が知っていることに対して行われる。
だから、知っているものの中で
好ましい、一致する、同じ考えだ・・・というものにより働き
キライ、何も合わない、違う考えだ・・・というものは不信を抱く。

部分的信頼は、最初から信頼したり不信を持ったりする
曖昧な基準によって動いている。

例えば、相手が素晴らしい頭の持ち主だ!だとしても
もし自分が
「この分野に関しては私の方が専門で経験年数も長い。自分が正しい」
という自負を持っているだけで
その道に関する、相手のスタンスや考え方を信頼できなくなる。

これが部分的信頼の「あやふやさ」の特徴になる。
絶対的信頼では、自分の知覚など関係なしに相手を信頼する。
つまり知覚外の相手の全てを無条件で信頼する。
そこには自分の知覚を場面によっては優位にするという考え方はない。

絶対的信頼は「知覚外への信頼」


というと、盲目的信仰を思い浮かべるかもしれないけども
信頼と信仰は違う。
漢字を見ればすぐにわかる。

また、信頼と依存も違う。
依存は自分で立つ気がなく人と立てる道を探す。
信頼は立っているもの同士が一緒になる。

自分が知らない相手、自分が疑問を持ってしまいそうな物事
相手が万が一相手らしからぬ行動をしていたとしても
必ずそれには筋の通った相手なりの理由があり(自覚しているかしていないかは関係ない)
だからこの人であれば必ずだいじょうぶだし
この人がこの人の人生を誤るわけがない、というのが絶対的信頼になる。

だから、つまり、信頼できる相手はそうそういない。

そして、つまり、これが知覚外への信頼となる。

信頼の値がその人の「価値」になる


知覚外の信頼ができる人は、
人を自分の目線ではなく、人そのものが信頼に「値」するか?と見ている。

値しないものを信頼はしない。その値が低い。つまり価値が低い。

誰にとっても、
自分が知らないものや、わからないこと、考えに反していることを
受け入れるだけならまだしも「信頼する」というのは難しい。

信頼に「値」するものは、その価値が高くなくてはならない。
でなければ信頼できない。

だが、

その価値が高いかどうかは自分で決めることはできない。
それは価値基準の押しつけでしかない。

相手の行動や成果から決めることもできない。
それでは行動や成果が変わるたびに「値」もころころ変わる。

相手が迷っていたり、自分を失っているか?からも決められない。
誰でもそういうことがあるからだ。

信頼の「値」が高いということは、
相手が相手の人生を思うように生ききれているかどうか?によって決める。

これからそういう生き方ができそうかどうかではなく、
これまで道を誤ったり、悪いことに手を染めていたとしても
必ず天寿を全うする、自分を生かしきるという人は信頼に値する。

それをやっている人が絶対的な信頼を受けるべき人になる。

その信頼性は積み重ねによるものなので
自分でも毎日のことを覚えていないとか
それが価値あるものかどうか判別できないので
知覚外になるし

人から見てもその人の半生を見てきたわけではなく
実際にはそう見えているだけなのか、そうなのかわかりにくい。
知覚することが難しい。

そこを信頼する。知覚外を信頼する。
それが絶対的信頼というものになる。

なぜ心が一致しても虚しいときがあるのか


絶対的信頼、知覚外を含めて相手を見て「値」を知ることをしている人と
自分の価値に合う人だけを、その時信頼する人では

人との関係のしかた
人から受ける自分の運び方
人と心の通じ合う通じ合い方

にものすごく大きな差が出る。

人である以上、心の一致は誰でもできる。
「できない」という人がいるなら、前提の何かが間違っているので改める必要があり、
「する必要がない」という人がいるなら、世界観が誤っているので変える必要がある。

心の一致ができるがいつも満足できない、
心の一致は簡単だけど何も感じない、むしろ虚しい
心の一致はできるしいい感じだけど、いずれなくなってしまう

と感じている人は、
部分的信頼をしているのであって
知覚の外まで丸ごと引き受けて信頼する知覚外信頼をしていない可能性が高い。

信頼に対する自分のあり方を見直すことだと思う。
知覚外を信頼することだと思う。

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