自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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自分を知らなければならない。見えないものは「ない」

自分の世界感がどのようなものかはっきりと知る
ということなんだけど。順番に書きます。

スピリチュアルの世界ではよく見えないものを見たり
感じにくいものを感じたりする。

もし感じているのに、ニブいことを理由にないことにしたり
網膜に光の反射で移るかどうかは別として何かが感じるように見えているのに
見えていないことにしているなら、そっちが間違っている。

感じているものは感じているし、
見えているものは見えている。

認めなければならない。

だがしかし。

スピリチュアルを行っているほとんどの人が、実は
見えてもいないし感じてもいない。

または、

大して見えず、大して感じていない。
こうなってくると話は違う。
それは「ない」ということになる。

たとえば、わかる人には確実に「そこに霊がいる」とわかるとする。
その霊は霊障をもたらす悪いものだとする。

もし霊が見え、感じられるなら、当然霊はいる。
見えなくても、感じなくてもいるものはいる。
だが、もし
見えなく、感じなく、自分にだけは霊障もなく
不利益も、寒い感じも、暗い感じもせず
普段と寸分違わず同じでしかないのなら

これは見えないとか感じないレベルではなく
ない、ということになる。

それをいくら、いるから見えるはずだとか、感じるはずだとか
見えなくても感じなくてもいると認めるべきだとか
そんなことを言って、そしてもし本人が「そうかそうする!」として

そんなことには何の意味もない。
人生の時間を無駄遣いしているだけだ。

人の感覚にも感性にも個人差がある。
感覚も感性も(感情も)外界の何かを知り判別するためのセンサーだ。

当然センサーに個人差がある。

人が世界を判断するには感覚と感性を頼らなければならない。
あるいは魂の記憶や遺伝記憶を頼らなければならない。
その全ての、どこを探しても「そんなものはない」という物事は
その人の世界の中には歴然とないということになる。

それが世界観である。

つまり、世界観にも個人差がある。

「オレの世界はこういう風にできている」ということを正確に知る。
そうすれば、誰かが「龍がいる」などとほざいても
「オレの世界に龍はいない」で終わる。

トランプで同じゲームをやりはじめた最初、
カードの枚数が全員同じ枚数あり、
同じルールのもと同じゲームをやっているとしても
各それぞれのカードの内容によって
そのゲームの世界の展開は変わる。結果も変わる。

強いカードがあればトップで上がったり、勝負に勝つ正解が生まれる。
逆であれば負ける世界が生まれる。

世界は同じではない。

同じことは健康の世界にも言える。
自分には癌はない。家系にもない。しかし世の中にはそれで苦しんでいる人がたくさんいる。
予防しなければならない。芽を摘まなければならない。
対応法はこんなものがある。予防法にはこんなものがある。

だがそんなものはもともと自分の世界にはなかった。
そして本当は今もない。

なのにあることにした。あることを証明するために情報と知識で自分を固めた。
そりゃ癌にもなるだろう。

同じことはビジネスの世界にも言える。
フロントエンドで商品を組まなければならない。それで成功している人はたくさんいる。
低価格を用意しなければならない、高額商品に誘導しなければならない。
クロージング手法はこんなものがある。

だがそんなものはもともと自分の世界にはなかった。
そして本当は今もない。

あるものは元々自分の知覚できる世界と方法、その結果だけだった。
それを伸ばせば良かった。だがないスキルと手法でない売上を追う。
感覚もつかめないし、うまくもできない。

自分の世界にはない、というものを明らかにしなければならない。
あるのに、ないと勘違いしてはいけないが
それ以上に
ないのに、あると勘違いしてはいけない。

たとえば、オレの世界の中に霊はいない。
いると仮定し想定することはできる。
想定した結果、どうやるかを決めることができる。

だがそもそも、そんなことをしている時点で
いないものを克服する方法を取り入れている。

そういうものは無駄に終わる。

神を感じないヤツは信じなくていい。
事実いても、自分の世界感に関係がないとか影響がなければ
そんなものはいないも同然なので「いない」で終わる。

龍が写った写真を見せてもらったことがある。
そしてオレも龍は感じること、力を貸してもらうことができる。
実感がある。
だが、
その写真の龍はオレには全く関係なく、影響もない。
今後関わることもない。

そんなものはいないも同然で、いないものに興味を示すことはできない。

世界観は知覚から作られる。
だから知覚を広げ、深めなければならないが
いくらそれをやったところで、ないものはない。

我々にとってウガンダの南西部の村の生活風習は、ない。

調べれば情報はある。だが事実ない。
知っているからといって何者にもならない。

このコラムを読んでいるほとんどの人はヤクザの被害に遭っていないし
税関職員の知り合いはいない。
世間にはそういう人がいると知っている。
だが自分にはない。ということはない。知覚できない。

スピリチュアルの「中」に対しても
あるとないをはっきりと分けなければならない。

情報統合して知識を増やし、
本来その人にないものをあるとしている人の言うことを聞いてはいけないし
まして自分にとって「ない」とわかっていることを啓発する人のことを信用してはいけない。

見えず、感じず、感覚感性の網に引っかからず
現象の影響を受けず、実害と影響がなく、
あらゆる系統の記憶にないのであれば
ないものはないのだ。

誰にとっても自分の現実や人生は(つまり世界は)
あるもので作っていかなければならない。

ないものをせっせとあることにして
ある前提でやってはならない。

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