自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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自分追求するということ。


自分を知るということの重要性をセミナーなんかで言っている。

のだが、

つまるところ、別に知らなくてもいい。

掘り下げたり、内省する必要はない。

やらなくてもいいのではなく、むしろやらない方がいい。

何のために自分を知るのか?というと、自分を上手く活かして生きていきたいためのはずで、

それができているのであれば自分の細かいところを特に知る必要はない。

上手く自分らしく生きているという現実が大事なのであって、

自分を知らなければ上手く生きられないという考えは大事ではない。

まして自分探しを理由に「やってるつもり」の正当化をするのは問題外。

それでもより良くという意欲のために、

または自分に対するあくなき興味のために自分を知ろうとするのなら、

世間情報をよりどころにしないことである。

占いとかヒーリングとか。

性格分析とか診断ツールとか。

そういうものの大半は、

脳科学的に、統計的に、実績的に

いかに信憑性が高いかの証拠が用意されている。

知っておかなければいけないことは、

それらは全て、自分ではない他人の脳の検証や人々の統計や、

見たこともあったこともない人の実績だったりする。

ツールを用いて自分を判別することはできない。

自分というのはオリジナルのことで、似たようなものはあるかもしれないけども

同じものはふたつとない。特にオリジナルの組み合わせは絶対にない。

自分を知るということはオリジナルが何であるかを知るということで、

特性や傾向を知るということではない。

オリジナルの特徴を知ったら、それがどのように有効に使われるか

または使われなくても、ただそれで良いという価値が何であるのか?

ということをつかんでいくことである。

そしてオリジナルというのはいつもわかりにくく

自分では当たり前なので「たいしたことがない」と思っている。

むしろ、拒否拒絶の対象になっていたりする。

例えば感覚が圧倒的に優れていて、

人の5倍いろいろなものを感じることができるとする。

でも、表現できる言語というのは誰に取ってもほぼ同じ量に限定される。

そうすると、あまり感じることのできない鈍い人

感じることができる範囲と言語の範囲がほぼ一致するから

感じたことや思ったことを言葉に変換して出しやすい

端から見ると、中にあることをきちんと言葉にしているように見える。

人の5倍感じることができる人は、言語表現できる範囲を遥かに超えて感じる。

ということは、

感じたことのほとんどを言語に変換することができない。

感じていることを的確に表す言語がない。

なので、どもったり歯切れが悪かったり、上手く話せなかったりする

端から見ると、自分が感じたり思ったことをちゃんと言わない人に見える。

ということは、感覚が鈍い人の方が

相対的に言語能力に優れているように見える。

の結果、人の5倍感じることができる人はちゃんと表現できない鈍い人と評価される。

本当は感じすぎることができるために、言語で表現できないだけなのに、

つまり優れているのに、

周囲の無理解と評価のために「自分は人よりも劣っているんだ」という理解が生まれる。

オリジナリティを知るということは

こういう世間情報や人の評価を超えて、

自分が何をどのくらい持っていて、優れているか?ということを知ることにある。

それでもあえて言うのなら、

オリジナリティを知らなくても、

オリジナリティが生かされている事実上手く生きていればいいわけで、

結局のところその結論さえあれば、自分追求などしなくていいということである。

「どうやら人よりもものすごく感じるから、話したり書いたりするのは苦手だなぁ。

そのおかげで苦労したり、悩んだりもしたことがあるな。

でも、仕事や理解者に恵まれているから幸せだし、給料もいいし」・・・の方が

何かを駆使して自分を知っていることよりも大切なんだな。

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