自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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自己愛を広い愛と誤解していまいか?疑惑。


再読したこちらの本。


エンジェル・エンジェル・エンジェル (新潮文庫)/梨木 香歩

この本に、祖母の介護をした母が、

祖母が亡くなった後に親戚から「よく頑張ったね」と声をかけられ、

号泣するシーンが出てくる。

むむむ。

小説の世界なので何とも言えないけども、

この母は、いったい・・・

自分が苦労と努力して一生懸命やったことを評価された、ことに対して泣いたのか?

おばあちゃんと過ごした日々がもう帰ってこないことを改めて知って泣いたのか?

ということなんだよ。

恋愛をするときにも似たようなことが起こりえて、

「スキスキスキスキ、好きすぎて胸がパルプンテもしくはメダパニ」って場合、

それは

自分の感情が爆発しているだけで、自分の好きな気持ちが清いものだから出してもいいだろ・・・なのか?

自分の気持ちは気持ちとして本当にあるのだけども、相手のことを尊重しているラブなのか?

によって、

意味合いが変わってくる。

緑の字で書いた方は、つまりは自分中心の考え方。

その考え方に愛とか思いやりとか、一生懸命とか正当化の理由を乗せただけ。

だから、親戚に評価されないとか、相手からフラれると、

報われない感情によって満たされない自分がむくむくと出てくる。

愛を語っていながら、自分が報われないことへの文句が出てくるのなら、

それは愛じゃなくて、思い込み。

幸福感を感じていたいだけ。脳内麻薬を分泌しているだけ。

ピンクの字で書いたのは、やぱ愛でしょ?

自分の優しい気持ち、自分のラブな気持ちは、それぞれ本当の物事。自分の湧いてくる感情。

なんだけど、それと同時に愛のあり方をも考えているんだよ。

恋愛の方がわかりやすいと思うのだけども、

緑の字は恋。恋のみ。愛があるごっこ。(ってそこまで言うか・・・と今自分でも思った)

ピンクの字は恋愛。恋心だけじゃなく、愛のことが含まれている。

恋愛のことだけを言っているのではなくて、

その感情は、気持ちは、本当に愛が含まれているのですか?ということ。

自分としての純粋な気持ちであって、愛とは関係ないんじゃないの?

て、愛を自分を正当化する道具として使い、気づかずに溺れているだけでは?

みたいなことって、少なくない。

「それって自己愛?」みたいなのね。

愛があるのかないのか?

普段よく考えてみることって大切だと思う。

抽象的な、そして常識観的な愛の氾濫。

愛っていう気持ちを持てば全部正当化されるような誤解。

そういう人に限って「愛」というキーワードを、安物バーゲンセールみたいに乱発したり。

結局自分が持っている、自分の愛というものに

本当の意味でひとつひとつ気がついていくことだと思うんだよなぁ。

自分が愛されることだけに注目すると、愛は欠落していきます。

自分が愛し愛される、という両方を見ていくことが必要なんだな。。。

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