自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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評論家のはびこる世界など基本的に不要です。


テレビをつけても、ブログに悪意のコメントを残す人も、巷で偉そうに語るヤツも、

そういう人はいらんのです。

そういう人にいろいろと時間を取られたり、二重三重に批判返しをするのも不要。

テレビに出ている人から、居酒屋で文句を言っている人まで

そういう人のことを評論家といいます。

責任の伴わない主観でエラそうで、実のところひとつも役に立たない発言を繰り返しては

人を説得しようとし、正しさを証明しようとし、理屈で発言を塗り固めて、

プロモーションと影響力を広げることに汲々としている役立たず

ま、つまりはメディアに出ている評論家と名のつく人と、

そこらへんの居酒屋で自己シュチョーしている酔っ払いは同じだということです。

で、そういうヤツがはびこる世界など、基本的には不要です。

むしろ、そういうヤツに居場所を与えている心広い世界に感謝するべき、かな。

評論家が国を滅ぼす・・・・てなことは、2500年ぐらい前の古典「韓非子」にも出てきます。

行動せず、好き勝手目立つこと言って、注目を集め支持を得ようとする種類の人。

時代が流れても、いつまでもそういう人がいるのは全く残念。

事実人を動かして、現場からつながりを作っている人というのはこういう人です。

コインランドリーからの。

(感動的なので必ず読んでほしい)

ここに出てくる全ての人が、自分ができることを・・・たとえ小さいことでも実際にやっているということ。

自分の意見や主張など、正しさを分かってもらおうとしているヒマなんかないんだよ!

文句を言っているヒマがあるとか、自分の哀れな現状を訴えている時間があるのは

つまり、評論している時間をそういう人に与えられているのに、感謝をせずにただ甘えているだけ。

口先を動かすヒマがあるなら、自分ができることを・・・もう実際にやっているということ。

評論は自分の意見がない人にも言えることです。

たとえば・・・「いやいやいや」「重い重い重い」「わからないわからないわからい」とかなんとか。

良いです。誰でも非常時には感情がネガティブになったり、疲れたりする。

それを発言してもいいし、一瞬なかったことにしてしまってもいい。

誰も死んでないし、自分は死んだ人よりも不幸かもしれないし、だってこんなに苦しいんだから・・・とかでもいい。

ただ、その現実を抱えて自分ができることをやっている人の足を引っ張んな!ってことです。

自分の命の責任は自分で取る・・・ってのはこちらの記事で書かれていて、

綺麗事など言えん

それはともかく、自分に責任取れないんならせめて人の命の責任に重荷を乗せんなってこと。

特にこういうとき。

口先人間は邪魔

知恵と口は人に貢献できる人だけ喋ったり書いたりすればいい。

こういうときは行動できる人間が一番偉いのです。

改めてこの記事 コインランドリーからの。

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