自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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誤って使われている優しさに気がつく。やめとく


最近あまりこういうマイナスを解決するコラムは書かないのだけど久々に。

今の自分に閉塞していることを知りながら
でも、なかなか自分を変えることができない。

トライはしてみる。何ならセミナーとかも行ってみる。
でも、、、
その時はいいけど結局は元に戻ってしまう。

それを
「それも○○ちゃんなんだからいいじゃない」
と優しく認める人がいる。

誤りがある。

優しさの中でも誰もが一番簡単に思いつくのが許し。
相手を許し、そのままを受け入れる。

だが、上のような言葉が使われるほとんどの場合で
受け入れる気もないのに許しワードが使われる。

これは許しではなく甘やかしになる。
言った本人の方は無責任。

ここに優しさが入らず、意見や提案ならいい。
ひとつの考え方を示して
同意同調せずに、客観的事実を伝えてますよ
だから「ひとまずそのままの方がいいんじゃない」
なら

優しさが関係しないので構わない。

ところが多くの人が甘やかしを使って
自分が人とうまくコミュニケーションを交わし
大切な存在になっていると思っている。

そういうときに支え合うのが(実際には支えてない)
友情で、友達だと思っている。

ヘドが出る。

親子関係でもそれは起こる。

子育てをしている親が
例えば
「学校に行きたくない」という子供に対して
無責任に、受け入れなしに
「行きたくなければ行かなくていい」
ということがよくある。

なぜ行きたくないか、
この子の性質はどんなか?
ただの甘えで言っているのか
それとも、本当に合っていないのか?
本当に合っていないのなら
学校に行かないとしてどうするのがいいのか?
そういうことを放棄して
ただ放任していたりする。

こういうのは優しさ、許しではない。
無責任かつ甘やかしである。

例えば出戻りする娘に対して
「いつでも帰って来たらいいよ。あなたの居場所はあるから」
とかのたまうのは、

その人のセーフゾーンを用意しているというよりは
自分が帰って来てほしいだけのことだったりする。

だから、
覚悟を決めて何が何でもうまく行くように
自分で自分の家庭を築きま、せん!となる。

ちょっとイヤなことがあったらすぐに逃げる。
できることをやりきったと思ったら
それ以上の努力をすることを簡単に放棄するようになる。

それもこれも、
ひとつの大きなきっかけとして
周囲の許しのツラをかぶった甘やかしがある。

こういう人のほとんどが
気分や感情がネガティブに働いたら
許しのツラを使って甘やかす。

痛みを避けるために優しさを使う。

本来許しは、
その人がその人であることで何か困難なことがあり
物事がうまくいかないときに
他の人は知らんが、自分は完璧に受け入れるから安心して!
という後ろ盾になるときに使う。

許しを発動する責任が必ずある。

そうでなければ、
相手が負の感情を避けるために逃げているだけなら
発揮する優しさは許しではなく厳しさになる。

「実家に帰って来るな」
「結婚できるまで諦めるな」
「それも○○ちゃんだけど、それに疑問があるんでしょ。できるまでやろう」

というべきときがある。
その人がその人であるために厳しくすることが
真の優しさであるときに
許しのツラをかぶって甘やかすのは誰のためにもならない。

甘えて生きている方にも問題がある。
というか、甘えて生きている全ての自分に問題がある。

甘える時があってもいい。
大事な人にはもっと甘えた方がいい。

だけども、
甘やかされることで味方を得た気になって
このままの自分でいいとか
自分はやるだけやったとか
まだタイミングじゃなかったとか

正当化の理由にそういうのを使うな、というハナシ。

自分が何に甘やかされ、
自分が誰をどのように甘やかしているか、
そして許しのツラをかぶっているか、
本当は厳しくするべきことは何か?

ということをひとつひとつ知って
本来行うべきことに変えていくのが
自分の人生を生きることであり、作ることだと思う。

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