自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

HOME / コラムを読む

適当と直感は違う


「適当」という言葉がもう既に、だいたいダメワードとして使われています。
なんでダメワードになっているのかというと、適当にやるということには
深く至った考えがない・・・という前提があるからです。
少なくともそういう思い込みの前提があるからです。

考えというのは乱暴に分けて左脳を使うということです。
世の中とか社会は左脳的にやれば・・・体系立てて、順序を踏んで、ルールを守り、より良く考えれば
物事はうまく行くんだよ!わかってんのか!・・・的思い込みがあります。

でも実際にはプログラム通りに行うことや、筋道を立てて考えた戦略のほとんどが失敗します。

考えてやる、左脳的にやることで成功することは、
そうやればこうなると、経験的、計算的に証明されているものだけです。

例えば住宅はこういう風に作ればできるんだよ。そしてこの家は50年ぐらいは持つんだよ・・・なんていうときです。

に対して適当というのは、考えがない・・・何も考えていないというときによく使われます。
そして考えないという意味で適当と直感は似ています

やはり乱暴にまとめると、直感は主に右脳で行います
感じ取り、いきなりわかる、というのが直感の優れたところです。
考えとプロセスがないので、「わかる」中に理由説明や言語化できないものがたくさんあります。

その直感に触れて、左脳的な人は「そんなのは考えていない適当なことだ」と決めつけることがあります。
間違いです。
例えば論理的であるはずの数学にも、数学的直感を持っている人がいて、
回答を瞬時に導き出すことができたりすることがあります。

考えるのではなく、感じることで答えを出す・・・という感覚が直感です。
つまりは、適当とはちょっと違うのです。

適当というのは、右脳も左脳も使っていない状態のことです。
考えも感じもしていない。

当然、それは自分に対して無責任な状態のことです。
自分で自分の選ぶ物として行っているわけではないから。

そして右脳で感じるということと、適当に責任なくやることは、悲しいかなちょっぴり似ています。
左脳の人が「何も考えてない」くくりでまとめてしまうぐらい似ています。

ところがその何も考えていないはずの適当が、実は直感を見いだすときに役立ったりすることがあります。
物事ってどこでつながっているか本気でよくわからないものですね。

適当にやる、ということを広いジャンルで多く試してみます。
とにかくやってやってやりまくります。

そうすると、その適当にやった物事・・・何も考えずにやったことの中で
なんだか知らないけどもものすごいうまく行った・・・偶然?かな??
ということによくよく注目します。
できれば記録するようにします。

しょせん適当にやっただけなのだから、本気で偶然うまく行っただけということはあります。
が、記録を続けてみると、
なんだか知らないけどいつもいつもいつもこういう適当なときはうまくいっている・・・
ということが見えてきます。

適当にやっているだけのはずなのに、
ある条件や特徴が整えば必ずうまくいく、ということが出てきます。
これが自分の中で直感を使っている分野です。

直感がない人は、適当にやったことを直感だと正当化することはできません。
直感がある人は適当にやったつもりでも、それは感じ取ってわかったという直感の力を使っています。

自分の適当がうまくいくジャンルや方向性や、傾向や特徴をうまくつかんでいる人が、
つまりは直感力に優れている人、ということです。
左脳的考えでは導き出せない答えに瞬時に至ることができるということです。

その部分だけ適当と直感は一致します。

そしてそのうち自分の適当が直感に結びついていることをしっかり理解できてくると、
考えるよりも時間短く正確な答えを導くことができるようになるので、
生活の中にうまく適当さが入ってくるようになります。

つまりは「適当な人だなぁ」という感覚が全くない人は自分の力を使えていない人だということです。
ただ、直感のない適当さはダメな人だなぁということです。。。

トップに戻るボタン