自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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限定された世界の中で多角的に見ても、それは結局狭いのです。


ビジネスのことでコラム書きたいのだけど、今朝はこれが思い浮かぶのでこのまま書きます。

知覚が狭ければ、どんなに多角的に見ても無駄という話なんだけども

例えば自分が専門としている分野ジャンルに、批判や反論が来るとして

それに対応できるような根本的知識、最新理論を誰よりも勉強するとします。

誰も踏み込んだことない分野まで、直感と経験をフル活用して、駆使して、考えて

仮説でありながらこれは真実じゃないの?みたいな物事まで行きつくとします。

そのために頭をよくして、コミュニケーション能力を高めて、ユーモアのセンスまで磨く。

そんな自分はかーなり人徳も備わってくるだろうし、発言に説得力と信頼性も出る。

例えば儲かったり、有名になったりもする。

往々にしてそういう素晴らしい人間は理想だし、実際に素晴らしい。

ので、ぜひともこれを目指してよし・・・みたいな感覚があると思います。

で、それはある特定のいち分野ジャンルの中で多角的に見ているということです。

つまりはそこまでやってもやってもやってもやっても、

それはいちジャンル内の出来事であって、広く物事を見れるということではありません

いちジャンルで多角的に物事を見ることができることは素晴らしいことです。

でも、素晴らしいから知覚が限定され、限定された枠を強化することで

正しい世界というものを固めて作ってしまいます

別にそれだけが正しいわけじゃないのに。

いろいろと勉強して世界を広げようとする努力はします。

その努力は・・・・極端にいえば、自分の世界を証明するために行われます

大雑把に言えば固めるために行われます。

固めるという言葉の意味通り、柔軟ではなくなり排他的で保守に走ります。

だから信じる者は救われる・・・みたいな乱暴な発言がまかり通ったりするようになります。

いちジャンルで多角的に見ることができる人は上に書いたように素晴らしい人です。

素晴らしい人かつ偏狭な人です。

狭い知覚の中で正しさを固めている人です。

つまりは正しくない人です。

多角的に物事を見る必要はあります。それは何度も書くけど素晴らしいこと。

同時に多重的に物事を見る必要があります。

多重的に物事を見るということは、世界を広げるということです。

知覚を広げるというのは、多角的な時にも多重的な時にも通用することです。

今判断できる自分ではない、新しい見方を採用するということです。

だから、新しいレストランにはじめて食べに行く・・・・なんていうのも知覚を広げることになります。

その知覚を広げる・・・というやり方を多重的な方向で使うことです

多重的というのは、物事の

捉え方、考え方、感じ方、受け取り方、出し方、判断の方法などを

今までとは全く別の基準で行うということです。

世界そのものが変わっているので、今までのやり方は通用しないから

新しい世界に適応できるやり方で行っていく・・・ということです。

一番わかりやすいのは海外に行くこと。

日本の常識が通用しないということがまずわかり、なんとかして適応しようとします。

その時に捉え方、考え方、感じ方、受け取り方、出し方、判断の方法などが全て変化します。

今までのやり方は全く通用しないというのが多重的に知覚を広げる時の前提です。

今までの専門ジャンルではない、とか

今までの経験に基づく判断ではない、とか

本を読んで毎日勉強する・・・という方法ではない、とか

今までの人との接し方ではない、とか

なんだかそういうことです。

例えば、ひとりで生きていることと誰かと一緒に生きていくことは違います。

捉え方、考え方、感じ方、受け取り方、出し方、判断の方法などが全て変わるはずです。

物理的に変わるはずです。

世界が変わっているのに

自分中心、前の世界のやり方を持ち込んで通そうとして上手く行くはずがありません。

知覚を多重的に広げる習慣を持っていると、

つまり色々な世界を自分の中に持つことができるようになると(セルフパラレルワールド)

最初は混乱し、慣れてくると他人には理解できない自分でもよくわからない

真の確信を持つことができるようになります。

いちジャンルで自分の正当性を通すために

多角的に物事を見て固めていく誤った確信とは全然違う

真の確信はこうやって築きます。

多重的な知覚を広げる簡単な方法は、

今まで否定、不採用していた180度異なるものを素直に受け入れて採用することです。

なんならそのジャンルを多角的に見てもいい。

これが一番簡単な方法。

往々にして、同じジャンル内で敵対しているものを取り入れることがあるけども

これは多角的知覚の広げ方です。

例えばキリスト教だったけどイスラム教に改宗する・・・・というような場合。宗教の世界内のできごと。

同じではないジャンルを最初5つぐらい多重的知覚していると、

それぞれを関連付け初めて逆に狭い人間になってしまうことがあります。

20ぐらいの世界観を持ってくると、複雑すぎて関連付けできなくなり

はじめて純粋に物事を物事として受け止めることができるようになってきます。

逆に20ぐらいの多角的知覚だけを持っていると、固まって溶かしようのない偏狭な頑固さが完成します

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