自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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罪を背負わす(つみをせおわす)

ほとんどの人は自分の価値観だと思ってブロックを正当化しているだけだけども、そうじゃない人もちゃんといて、そういう人に自分を向上させろということはかなり罪を背負わすことと同じです。
89文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月14日

判断がつかない場合の正しいあり方(はんだんがつかないばあいのただしいありかた)

回り道でもあるのだけども、「ブロックがあっても良い。それで自分なりに人生やってみる」と決めてやること。やる上で、自分を生かすような能力も身につけること。この方法は、もし持っているものが価値基準に反したブロックならいずれ行き詰まります。と、いうときに改善すれば良い。ブロック対応すればいい。
144文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月14日

怒鳴らなければ分からない連中(ざんねんなことにどならなければわからないれんちゅう)

司馬遼太郎の「峠」というちと悲しい本に、残念なことに怒鳴らなければ分からない連中がいるというようなことが書かれている。残念なことは、怒鳴るだけではなく優しくすると図に乗る人や、誠実に接すると調子をこく人や、ちゃんとやっていると損をさせても良いという人が必ずいる、という事実。
137文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月14日

愛ってひとつなのかよ?形決まってんの?(あいってひとつなのかよ?かたちきまってんの?)

決まってるわけがない。大体感覚的に愛はこういうもの。素晴らしいもの。光っぽいもの、優しいもの、みたいな理解がされている。それも確かにそうなのだろうけども、自分の知覚と経験の範囲内での愛や、情報として「愛というのはね、こういうものなんだよ」に流された愛。僕個人がそういう典型的な愛基準の押し付けにうんざりしている。
156文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月14日

気軽で無責任な考え方(きがるでむせきにんなかんがえかた)

理解できる分野がちゃんとあるのに、そういうことをする人はもう愛がない~みたいな、気軽で無責任な考え方はやめてほしいなぁ。感じることも同じで、自分がどこで愛を受けて出しているのか?本気で分かっている人がどのくらいいる?例えば厳しさを愛で出すときにそれを自覚して、胸はって見届けられる人ってどのくらいいるよ?
152文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月14日

愛ある態度(あいあるたいど)

自分の愛の未熟さ、それから自分の愛が発揮できるところの素晴らしさを、純粋に良くつかんで未熟は控えめに、まだまだ注目して受け止める、発揮できているところはもっと集中して打ち出していく、そして、態度としてその愛を阻害し誹謗し、おとしめる@4の声は耳に届けないこと。愛を武器として人の気持ちを攻撃する人に愛はありません。
157文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月14日

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