自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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リスクは問題志向です(りすくはもんだいしこうです)

自分でリスクと問題の発現確率をフィードバックしてみるとわかります。ほぼ全ての問題は、現実化されず、問題によって引き起こされたのは感じなくてもいい不安感だけだということに気がつくことです。このフィードバックによってリスクの発現確率を知ることが真のリスクテイクの考え方であって、問題を直視しない楽天主義ではありません。が、楽観主義で行っても発現確率のフィードバックを行っても、どちらの場合も結論はあまり変……続きを読む
206文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

相手を理論に当てはめて見るのなら、そんな仕事は辞めてしまえ(あいてをりろんにあてはめてみるのなら、そんなしごとはやめてしまえ)

「人が理論に当てはめて相手を測る『心理』」は、ストレートに言うが【自分に人を見る目がないとき】がほとんど。人と対峙する仕事をしている人は、学問に当てはめて相手を見る習慣をやめた方がいい。そんなんでしか相手を測れないなら、つまりは人を見る目がないのだからその仕事そのものをやめるべきだ。
142文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

相手をバカにしているつまらないモノの見方(あいてをばかにしているつまらないもののみかた)

適切な心理学の使い方もある。意識と無意識が関わっている。【相手が無意識で振る舞っているとき】のほとんどの場合で心理学は当てはまる。つまりは安易に、これまで学んだ理論に当てはめて相手を判別する全ての行為が、控えめに言って【相手をバカにしているつまらないモノの見方】だということ。無意識の相手にはある程度判別の基準になり得る。 だから使えるときは使えばいい。が、それだけ。
184文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

本当に必要な理論を習得するとき(ほんとうにひつようなりろんをしゅうとくするとき)

理論を盲目的に信じるのではなく、参考文献程度に頭に入れる。本当に必要な理論を習得するときは、理屈で固めるんじゃなくて自分で実験する。自分を実験台にするのが一番いいが、ムリならよくよく観察する。物事を理解したことで分った気にならない。「理解する」ことと「分かる」ことは違う。
136文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

「自分を殺し他人を想う人」と「他人を殺し自分を想う人」(「じぶんをころしたにんをおもうひと」と「たにんをころしじぶんをおもうひと」)

自分を殺し他人を想う人の方が、他人を殺し自分を想う人よりも救いがある。自分を殺し他人を想う人が、自分自身のことを想うようになるのはなかなか難しいが、適切な方法を知り、やることができればそんなには難しいものではない。他人を殺し自分を想う人が他人を想うようになるのは、難しいのではなくほぼ不可能。自分を殺し他人を想う人には自分を想う知覚があり、他人を殺し自分を想う人には他人を想う知覚がない。
194文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

自分を殺し他人を想う人(じぶんをころしたにんをおもうひと)

自分を殺し他人を想う人の方がコミュニケーション上もまだ救いがある。ただ、付き合う上で相手の尊厳を正しく尊重するのであれば、相手が自分を押し殺してしまったときに「それはしなくていいよ」と伝えた方がいいし、伝えられない場合でもその部分だけは尊重しない態度をした方がいい。対等に付き合うということの基本はそういうところにある。
160文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

他人を殺し自分を想う人(たにんをころしじぶんをおもうひと)

他人を殺し自分を想う人は、自分があり一本筋が通っているように見える。つまり自己中に真剣であり、自分には何かがあると思っており、現在を見ていない。他人を殺し自分を想う人は相手を下げることで自分が高くなる方法を使う。相手を落とすことでポジションを維持しようとする。ますます他人を想えない構造が定着して行く。
151文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

正しいSとMの関係、正しい独裁の関係(ただしいSとMのかんけい、ただしいどくさいのかんけい)

自分のことも他人のことも同時に想うことができる人が、やはり同じように同時に想うことができる人と共に、何をどうして行くのか?ということを決め、進み、尊重し合うことにある。それぞれ上下の関係ではなく、少なくとも精神的上下の関係ではなく役割分担の関係として得意なものを受け持つ。
136文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

公私混同せよ(こうしこんどうせよ)

公私混同という言葉は、「公優先」「私下位」の上下関係を表す言葉で、本質的に矛盾、本末転倒なことになっている。公私が一致していればこんなことを書くこともないのだけども、公私が反していれば、優先されるのはいつも必ず「私」の方である。
114文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

「公」と「私」(「こう」と「し」)

「公」がなくても「私」はある。「公」があるから「私」がある訳ではない。物事の順番として必ず「私」から始まり、「公」はその「私」と「私」の関係がうまくいくための道具としてあるのであり、「公」のために「私」があるわけではない。特に人としての尊厳を踏みにじられてまで守るべき「公」はない。協調や人のために自分を殺すことなどしなくていい。
165文字 | 読了1分 | 投稿日2015年12月29日

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