10.卓越者が行なっている感性を磨く方法

まずはじめに、少なくとも私たちは自分が得意とする状況で、直感をより多く使うのか、感受性の方が得意なのか、あるいは知覚に頼っているのかということを知る必要がある。

いつの間にか新刊と返却本の本を整理する仕事を行っている書店員であれば、その仕事が「できてしまう」とき、イメージがよぎるのか、結論がわかってしまうのか、冊数やタイトル、時期などのつながりから意味を見出すことができるのかということを特定する。
それとも実際には3つのうちの2つを使っているのか、全部を平均的に使うのかということを見極める。

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およその見当がついたら、どの感性に注目して磨いていくのか、卓越した接客者が行っているように試してみる。
感性はこのように「磨かれる」もので、訓練し、身につけるものではない。
習得するものでもない。

既に自分に備わっている感性を、卓越者が行っているように行ってみることで磨かれる。
強みのようにはじめからできてしまうという特徴が、感性にもある。
はじめからできてしまう感性を様々な場面に当てはめることで磨いていく。

直感をよく使う人は、日常生活でも直感を働かせている可能性が高い。
普段接する様々な物事や人に対して、見るとはなしに見ている。
観察するのではなく、印象としてイメージ化できるものを見る。
それは彫刻の指先が気になった美術史家のように、物理的に目に見えることもあれば、「ファ」の音が緑に見える音楽家のように、目に見えないものが見える場合もある。

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誰でも生活をしていると、そのときは目に止まっただけのものが、後から何だか気になってしょうがないということがある。
または久しぶりに友人に会って、明るく元気そうな様子に安心しながらも、何だか印象が違うように感じることがある。
たとえば両頬にモヤのようなものがかかっているように見えるかもしれないし、以前よりも体重が軽くなったような印象を受けることがあるかもしれない。

直感を使う傾向があるのであれば、日ごろ見ているものに対して「印象の度合い」に注目してみることからはじめてみる。
良く見える(わかる)ものは直感力に優れた物事だろうし、取り立てて気にならないものは特に意味がないか、その分野においては直感を働かすことができないかのどちらかということになる。
強い印象、良く見えるというものは、それがどのような意味を持つのか考えてみるのもいいし、他の感性を使って判断を下してみてもいい。
まず見えてしまう印象を特定し、次に卓越者が行っているようにその意味を「もっとよく見る」ようにする。

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感受性が強い人は、聞こえてくるものに注目する。
たとえば動物と話をすることができるという人がいる。
もちろん動物が言葉を交わすわけではない。
彼らにとっては「わかる」という結論なのだろうが、感受性のプロセスには「聞くことでわかる」ということが多くあるらしい。
「聞く」というのは、耳から音が入ってくるということに限定されない。
もちろん耳から聞こえるもの、たとえば使う言葉や音の高低などを手がかりに「わかる」こともあるだろうし、そうではなく答えが脳裏に浮かぶという形(映像が浮かぶのではなく、直接わかるという感覚)で聞こえるという場合もある。

自分の心の声が聞こえるという人もいる。
「私」が心の中の「もう1人の私」に問いかけをすると、本当の自分が自分らしい真実の答えを返してくれるという人もいる。

ダイレクトに答えがわかってしまう、という感受性を自覚し磨くために最初に行うことは、「イエス」「ノー」を特定してみることである。

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人に対して感受性を発揮することができるのであれば、口で言っていることと本心で思っていることが一致しているのかいないのか、という答えを印象で判断する。
このときに相手をまじまじと観察しない方がいい。
シャーロック・ホームズのように小さな情報を見つけようとしない方がいい。
そのやり方は知覚を働かせる場合に行う。

様々な実験で、たとえば会ったことのない人の部屋を見せればその人がどんな人であるか、ある大学教授の授業を録画したビデオの二コマを見せればその教授は有能であるかどうかなど、かなり正確に「わかる」ということが明らかにされている。
一瞬の判断で「わかる」ように努めてみる。

それができるようになったら、やはり卓越者が普通に行っているように、そのわかった物事をどのようにするのがベストであるのかを、感受性によって判断してみる。
答えは「イエス」「ノー」ではなく、具体的に何をどうすると良いのかということを判断してみる。
このとき、直感は未来図を「見る」ことでどうすればいいのか判断する傾向が強いのに対して、感受性では未来のイメージではなく「良い」ことを特定する。
自分が良いと思うことではなく、相手や現象に対して「これしかない。なぜならそれが良いからだ」という答えを導き出すようにする。

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知覚は直感や感受性よりも、前提となる知識や情報を必要とする。
しかしそれでもその量は知性で判断する場合に比べてはるかに少ない。
前提となる知識というのはアルファベットや単語のことである。
たとえば英字の洋書を読む場合、知らない単語があっても辞書を調べたりせず、全体の流れから意味を見出すという方法は、英語を学ぶ上でも有効だとされている。
この「意味を見出す」というのが知覚にあたるのだが、英文の全体を知覚するには、前提にアルファベットと基本的な単語を知っているという知識を必要とする。
したがって知覚を磨くには、まず基礎知識を身につける必要がある。

知覚に必要な情報というのは、意味が「つながる」ために必要な最小限の情報のことである。
直感や感受性は印象という限りなく少ない情報を総て理解するが、知覚では結びつきから答えを導くので、直感や感受性よりは判断するための情報量は多くなる。

接客の仕事の場合、お客の言葉の内容、口調、ゼスチャー、顔色、表情などから本当に欲することは何であるのか知覚することができる。
接客力が上がれば上がるほど、判断に必要な情報量は少なくて済むようになる。
知覚に必要な情報は「予兆」に似ている。
何か違うと感じる情報をその他の情報と結びつけることで答えを見つけ出す。

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シリーズ三部作の映画「ファイナル・デスティネーション」シリーズでは、死の運命を偶然逃れることができた人たちに、死神が後追いで迫る。
そして生き残った人々に残酷な死を与えようとする。
その死が訪れる前には死に方を特定する「予兆」が表れることになっている。
たとえば窓にいるはずのない鳩が映ったとすると、鳩が死の引き金を引くことになる。
しかしその予兆を読み取り、回避することで死は避けることができる。

このシリーズ映画では生死がかかっているために、登場人物は必死に予兆を見分けようとする。
卓越した接客者は、普段の情報や、いつもの組み合わせとは違う予兆を、普通の生活の中で見ている。
私たちも「違う」情報は何なのかを見ることで知覚は磨かれる。

シャーロック・ホームズが微妙な違い(予兆)から何かおかしいと気がつくように観察する。
次に、ホームズが最終的にアリバイや謎を解くだけではなく全体像を明らかにするように、全てが「つながる」ことで意味を見出すように行ってみる。
このプロセスを磨くことができたら、必要とされる情報量をどんどん減らし、いち早く予兆や違いを探し出し、全体像に結びつけることができるかを試みる。

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感性が磨かれると、本質や結論などがダイレクトに理解できるようになる。
これまでは技術やスキルを使って、モデルケースやタイプに当てはめることで何かを理解していた行動が、煩雑なプロセスを踏まなくても答えに行き着くことを可能にしてくれる。
瞬時に答えがわかってしまうということは、卓越者の世界観の中で接客者の頭の中をクリアにする。
迷いをなくす。
物事もクリアにしてくれる。
速くて、正確な接客を可能にしてくれる。

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感性はまず、真摯さをよりクリアにする。
真実を明らかにするし、誠実さを発揮する機会を増やす。
その機会を貢献によって速く、正確に対応することを可能にする。
お客から見た接客者のこの姿は、明確な真摯さとして映る。

感性を磨くことで個別化はよりクリアになる。
個別化は相手に対する部分や全体の理解なので、感性によってダイレクトに答えを導くことができると、相手の人間像がクリアになる。

成果の追求もまた、感性によってより明らかで正しい成果を出すことが期待できる。
あるいは出した成果が本当に完全であるのかどうかということを、感性によって確認することができるようになる。
やはり成果がクリアにされる。

卓越した接客者は、彼らだけが見て、感じる世界に住んでいる。
その世界観は、

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の3つから成り立っている。

この世界観の中で彼らは、3つの行動を取る。
1つ目は

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ことで、これは世界観を広げる。
2つ目は

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で、

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行動が世界観を深める。
3つ目は

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ことで、

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によって世界観はクリアにされる。

こうして成り立つ、3つの条件を備えた世界観と、3つの行動によって卓越した接客者は自分の強みを余すところなく発揮する。

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前話: 09.3つの感性の特徴
次話: 第21章01.感謝の手紙が教えてくれること

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09.3つの感性の特徴

3つの感性のうち直感は、イメージが浮かぶという視覚により近い感性である。
「見た」ときに「わかる」という感覚があり、実際に見えたかどうかは別として見た感覚で「わかる」
おでこ付近の脳の部分を使っていることがわかっている。

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スポーツ選手の中には、新しい技術を習得するときに、直感によって習得のスピードを上げる人がいる。
このタイプの人はたとえば技の状態をよく観察して、イメージが自分のものになれば習得に結びつくという特性がある。
または色が「目に浮かぶ」という人もいる。
人の周囲に色が目に浮かぶ人はオーラが見えるとされているし、音に色が浮かぶという人もいる。
この人はファの音はくっきり緑が見えるという。
ウェブデザイナーの中にもクライアントのコンセプトを聞けばイメージが色となって出てくる人もいる。

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将来像が「見える」人もいる。
はじめて会った異性を目の前にして、もしこの人と結婚すればこういった結婚生活になると見えてしまう人がいる。
あるいは、あるビジネスのプロジェクトに途中参加して、これまでの経過と現在の状況を知れば、将来像が見えるという人もいる。
その人はプロジェクトが成功するか、失敗するか、成功しても問題が残るかどうか、などを見ることができる。

別の視点で、プロセスが見える人がいる。
私の知人にも、映画の冒頭を見ただけで途中の要所と結末がどのように展開していくかを映像で見ることができる人がいる。
このような人にとって映画は特別おもしろいものではなくなる。

卓越した接客者である美容師は、お客を前にして顔を見ればベストマッチの仕上がりを見ることができる。
彼は3つの感性のうち直感をより多く使っている。

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感受性は、「わかってしまう」という感覚で、人によっては「聞こえる」と感じる場合もある。
「聞いた」ときに「わかる」感覚に近く、これも実際に聞いたかどうかではなく、聞いたような感じで「わかる」ことを指す。
後頭部付近の脳を使っていることがわかっている。
たとえば幼少に虐待を受けたことのある子供は、大人になって人の心の状態が手に取るように「わかる」という。
これは、自分の身を守ることができない幼少時に、わずかな状態の変化(たとえば顔色、しぐさ)から相手の気持ちを読み取ることで災厄を避ける必要があったからである。
彼らは見ると「わかる」
同じように使う言葉を聞くと「わかる」という人もいる。
誰かがどのような言葉をよく使い、どのようなときに反応を示すかということを敏感に察知して、その人の心の状態までもが「わかる」人がいる。
そうかと思えば、なんとなく「わかる」人もいる。
幼児教育の先生が、なんとなくお客の顔が浮かんだとき、電話を入れると相手はちょうど相談したいことがあったというように、何だか知らないけれども「わかってしまう」人がいる。
対面していなくてもわかる場合がある。

オステオパシーの先生は触れば患者の状態が「わかる」
相手の状態によっては手がビリビリすることもある。
彼は触れば「わかる」。彼は特に感受性をよく使っている。

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知覚は「つながる」上で、「意味が見出される」という感覚である。
推理小説を読んでいて、謎が全て理由となってつながり、意味が見出される瞬間がある。
知覚はこの感覚に似ている。
「つながる」という感覚は、バラバラジグソーパズルのピースを見て最終的な絵がわかってしまうという感覚で、ピースというヒントを必要とする。

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たとえばパーティーを主催して、知覚に優れた人がホストとなった場合、ある程度人数が多くいるパーティーであっても、人間関係のつながりと組み合わせを瞬時に取り込んでしまう。
誰と誰が仲良く、仲が悪いか。誰と誰が既に会話をし、どこのグループに対して接客者を送る必要があり、複雑な人間関係の網の中で誰にまず挨拶をするべきかなどを理解する。
様々な人間関係図のつながりと意味を見出すことができる。

問題を明らかにすることができる人もいる。
接客であれば、クレームが発生したときにお客の訴える内容と、感情、過程などを知覚し、本当に問題になっていることはお客の気分にあるのか、サービスの構造にあるのか、接客者の態度にあるのか、どのような対応をすることがその人に最も上手く受け入れてもらうことができるのか、などの状況を流れで「つなげ」て問題と解決法を特定できる人がいる。

幼児教育の先生は、お客の話を聞く。
子供の状態や生活環境を取り巻くことやお母さんの気持ちを聞く。
そしてつながりを見出し、解決方法を特定する。彼女は知覚をより多く使っている。

前話: 08.感性を磨く
次話: 10.卓越者が行っている感性を磨く方法

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08.感性を磨く

正直、感性の磨かれた接客者は恐ろしい。
彼らは頭の中を読んでいるのではないかと思うほど、考えていることやニーズを特定する。
お客が自分では気づいていないことさえ明らかにしてしまう。

感性はしかし、超能力や霊能力ではない。インチキ占い師のように誰にでも当てはまることを言って相手を納得させるスキルでもない。
具体的には直感と、感受性と、知覚であることが多い。
「であることが多い」というのは、他にも感性に種類があり、それが使われている可能性もあるからである。
しかしここでは、卓越した接客者に共通するポイントとしてこの3つに絞ることにした。

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知性で間違うことがあるように、感性も間違うことがある。
知性を伸ばすことができるように、感性も伸ばすことができる。
知性が特別なものではないように、感性も特別なものではない。
両方とも人に備わっている。

卓越した接客者は必ず感性を磨いている。
その感性が、最初から強みであることも少なくなく、しかも強みであるために自覚していない人もいるが、それでも一様に彼らは感性を磨いている。
感性は磨くことができる。

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感性を磨くためには誤った感性を取り除いておく必要がある。
卓越した接客者は強みを軸に感性を発揮し、それに気がついていない人もいるので、実際には間違った感性を排除しようと試みてはいない。
ただ、彼らも真摯さを身につける過程で、真実を追究する。

真実の追究はウソや偽者が入り込んでくることを許さないから、その意味では彼らも間違った感性を自動的に排除している。
私たちは、卓越した接客者が行っているように感性を磨く前に、ウォーミングアップも兼ねて誤った考え方を知り、排除しておいた方がいい。
それによって卓越した接客者とおなじスタートラインに立つことができる。

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間違った感性は、主に浅い知識によって作られる。
たとえば私も子供の頃、幽霊が出るテレビ番組を見た後数日間は、外で自転車に乗っているとき、背後に霊がついてきているような気分になった。
そんな気が猛烈にしてならなかったし、後ろを振り返ってはいけないと頑なに家路を急いだ。
これはもちろん、感性ではなくただの気分でしかない。

ところが多くの大人も同じような過ちを犯していることになかなか気がつかない。
たとえばテレビで「ココアが体に良い」と放送されると、猫も杓子もココアを買いに走ってしまうことがある。
そしてココアを飲んで3日もすると、テレビで紹介されていた効能が自分の体に表れたような気分になる。

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私の知人に、本で読んだり人に話を聞いたりして少しカウンセリングの知識を身につけ、会う人会う人の短所を「子供の頃のトラウマが原因」だと、直感している気分になっている人もいる。

水晶をひたいに乗せて瞑想をしている人に、こっそり消しゴムを乗せ換えたのに、オーラが増大するように感じる人の話も聞いたことがある。

気分や浅い知識は、学習から生まれる。
それも深く追求したわけではない表面上の学習から生まれる。
残念なことに、表面上の理解でそれを習得したように錯覚する人もいる。

卓越した接客者に習って感性を磨くのであれば、少なくともこのような真摯さに欠ける行動は慎んだ方がいい。
感覚で自分が判断していることが何であるかに注目する。
その中から、浅い知識で生まれた自己満足を省くと、本当はどのような感性を使っているのかということを知ることができる。
感性には具体的にどのようなものがあるのか、先に適応性無意識という視点から見てみよう。

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マルコム・グラッドウェルの著書「第1感」では、ギリシャ彫刻のクーロス像をはじめて見たイタリア人の美術史家フィデリコ・ゼリが、なぜだかわからないが、彫刻の指先に釘付けになり、爪が変だと感じた話が紹介されている。
その後、クーロス像は贋作であることが判明した。

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テニスコーチのヴィク・ブレーデンは、テニスプレーヤーがサーブを2度失敗するダブルフォルトになることが直前にわかったという話を紹介している。
観戦でもテレビでも関係なく、ほとんど100%の確率で当ててしまう。

この本では、このような脳の働きと判断を「適応性無意識」と呼び、心理学での研究分野であるとしている。
適応性無意識は、不必要な情報を捨てて本質的な核となる情報を輪切りにして核心に迫る働きで、たとえばアメリカのカウンセラーの中には、夫婦の会話を聞くだけでその夫婦が離婚するかどうかを判断できる人がいると紹介している。

心理の流れか、脳の働きであるかはさておき、「第1感」の著者マルコム・グラッドウェルが紹介するような感性を働かせる人は確実に存在していることがわかる。
この本では言っていることや内容に注目するのではなく、顔の表情などをはじめとする印象を読むことで「心を読む力」が身につくとしている。
そのために心拍数を平常の状態に維持し、偏狭になる状況を避けたり、訓練によって慣れさせたりすることの重要性も教えている。
しかし、それらは実例によって示す方法を取っており、具体的にはどうするのかということを完全に明らかにはしてくれていない。

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印象によって判断を下すという方法は卓越した接客者も行っている。
感性によって判断すると言い換えてもいい。
彼らが無意識で判断を下す物の見方は、やはり無意識に行われている。
強みに自覚症状がないのと同じような無意識がある。

私たちは、彼らの物の見方、考え方からヒントを得ることしかできない。
マネをすることはできないし、たとえマネすることができたとしても自分の強みを卓越の世界で生かすことにつながるとはいえない。
そこでここでは、卓越した接客者がよく使い、磨いている直感、感受性、知覚の3つの感性について見ていきたい。

前話: 07.本質を追及すること
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07.本質を追求すること

本質を追求しようとして何かを行う卓越した接客者は実はいない。
彼らは2つの行動を身につけていて、それが結果として本質の追求につながっている。
2つの行動とは「マルコポーロのように行って、見る」「氷山の下を調べる」ということである。

彼らはこの2つを当たり前のように行う。しかも継続して行う。
この2つの方法を通じて彼らは学ぶ。
その様子はそれを行わない人が見ると変質的にすら映る。
そこまでするか、と思わせることもある。

彼ら自身は、強みにしたがって学習をするのでそれを特別なことだとも、やりすぎであるとも考えていない。
むしろ、毎日の当たり前のことであり、楽しみすら覚えることも少なくない。

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何かを学ぶとき、その方法は大きく分けて2つある。
ひとつは行動から学ぶことで、もうひとつは知識を身につけることで学ぶことである。
「マルコポーロのように行って見る」というのは、行動から学ぶ方法にあたる。

接客者であれば誰でも、現場で仕事をすることで学ぶことはたくさんある。
日々学んでいる。
これも行動から学ぶことに含まれる。
しかし卓越した接客者は仕事ではなく、自分の強みを生かすヒントになるものを得るために実際に足を運び、自分の目で見て空気を感じることで学ぶ。

卓越した接客者である幼児教育の先生は、自分の強みを生かすのに必要なものを得るため、様々な場に足を運ぶ。
セミナーなどに参加する。
または人に会うようにする。

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彼女は二人の息子の母親であるため、かなり時間が拘束されている。
お金の制約もあるし、時間の制約もある。
宿泊を必要とする距離を自由に行き来することはできない。
しかしそれでも、絶対的な必要性があれば家内作業を準備し、日帰りで帰ってくることができるようにプログラムする。
そしてたとえば、完全な自然分娩で3万件の出産立会いの実績を持つ産婦人科の先生の話を聞くために、横浜から愛知県岡崎市まで往復5時間をかけて日帰りする。

ビジネスマンや中小企業の経営者、大企業の管理職であれば、ビジネスセミナーなどに参加することでスキルを身につけたり、能力アップを図ったりすることがある。
あるいは人脈を広げるために交流会や、出版記念パーティーなどに参加することがある。

しかし卓越する接客者はそのような目的で足を運ぶわけではない。
彼らは、成果を完璧なものにするために足を運ぶ。
または強みを磨き、発掘するために観察し、空気を感じに行く。
たとえば、視点の角度を変えるために足を運び、技術を身につけるのであれば卓越するために観察する。

これは一般のセミナー参加者が、講師よりもセミナー内容の知識が劣り、教えてもらうことを目的として足を運ぶのに対し、卓越した接客者は、講師とは異なったスタンスで視点を変えるために参加する。
セミナーではなく、同業他社のサービスを受ける場合も、普段受けている何かしらのサービスから感じるものがある場合も同じように行って、見る。

視点が変わったところから彼らは何かを学び、必要であれば技術を身につけて実践してみる。
そしてそれが、既に自分の奥底に備わっている本質に近づくことができるものかできないものかを判断し、不要であれば捨て、必要であれば古くして新生する。
これが卓越した接客者が学ぶ1つ目の方法で、彼らは行って見るということを習慣化し、継続する。

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氷山はよく言われるように、海上に見えている部分はごく一部であって、目に見えない海中にはその何十倍もの質量があるとされている。

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卓越した接客者は、氷山の眼に見えない部分の方がはるかに大きいように、強み・成果・世界観には未だ知らない未開拓な場所があるということを知っている。
そしてその場所を知らなければ完全ではないことを知っている。
氷山の下を知るというのは気の遠くなるような作業で終わりがない。
しかし彼らは知ることを止めない。
強み・成果・世界観を完璧にすることを終わらせない。

氷山の下を発掘する方法は、小学生が国語辞典を使って単語を調べる方法と似ている。
基本的には調べ、学ぶというステップを踏むのだが、それだけでは終わらない。
その方法は、卓越した接客者に共通している。

特に低学年の小学生が辞書を引くとき、意味を説明する文章の中に知らない単語を見つける。
そうすると最初に調べた単語の意味がよくわからなくなってしまう。
そこで、意味を説明する文章の中にある、知らない単語をまた辞書で引く。

ところが、その単語を説明する文章の中にもまた知らない単語が見つかる。
そうするとその単語の意味を理解しなくては、結局最初の単語の意味がわからないことになってしまう。
こうして関連する単語をどんどん調べなければ、意味を知ることができなくなってしまう。

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最初の単語は海上に見える氷山であり、枝分かれしてどんどん増える未知の単語は、海中の大きな氷山の塊である。
海中の氷山は、関係する物事をひとつひとつクリアにしていくことでしか明らかにすることができない。
単語と異なるのは、ひとつひとつ知っていくことにかなりの時間がかかるということである。
つまり、卓越した接客者は氷山の下を調べることにかなりの時間を費やす。

素晴らしい接客者の中には、氷山の下を調べない人がたくさんいる。
彼らは強みである氷山に注目するのではなく、海上の氷山の上に何を築くのかに注目する。
築き上げるものは技術やスキルであって、具体的にはコミュニケーションやホスピタリティであることが多い。
彼らは

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卓越した接客者は

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これが両者の住む世界と行動を分けてしまう。
卓越した接客者が強みと本質を明らかにする間に、素晴らしい接客者は少しの強みの上に延々と能力を積み重ねる方法を取る。

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古くし新生する行動は、卓越した接客者の世界観を広げることにつながった。
マルコポーロのように行って見る、氷山の下を調べる、という本質を知る行動は、彼らの世界観を深めることにつながる。

本質を知ろうとする行動は、真摯さの中の真実を基準とし、誠実さを前提とすることの精度を高める。
様々な真実と誠実さを経験し学ぶことでより真実に近づき、誠実さを身につけることにつながる。

さらにこの二種類の学習は貢献する力を高める。
体と頭で学んだものは蓄積され、様々なケースに対応できるように収納される。
そして同じ状況で以前よりもさらに貢献できる自分を生み出すことができるようになる。
収納された様々なケースを、現在の貢献すべき状況に当てはめることができるようになる。

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こうして真摯さに深みが出るようになる。
深みのある真摯さを持った人には、その人を見た別の人が強く信頼する。
接客者としてはもちろん、人として真摯であることに信頼を寄せるようになる。

個別化には、表面上に表れているさほど難しくない判断と、その人の心の奥底にある根本的な違いを見分ける難しい判断がある。
本質追求は、心の奥底にある根本的な違いを見分けることを可能にしていく。
個別の深い理解を実現させる。

たとえば「人見知りが激しい人」だということは、ほとんどの接客者が話してみることで理解できる。
その人が、人見知りが激しいことでどのような不自由があり、そのような問題も含めてどのように対応すれば適切であるかは素晴らしい接客者であれば理解することができる。

卓越した接客者はまず、人見知りが激しいこととは別に、その人自身にどのような強みがあるかを見つける。
強みによって人見知りが問題にならないようであれば、強みを生かすことで接する。
サービス内容にもよるが、話し下手であっても文章がスラスラ書けるのなら接客の大半をメールでのやり取りにするかもしれない。
もし強みをそれほど生かすことができないのであれば、人見知りが激しい事情を知ろうとする。
事情は人によって異なるので、それを明らかにするには個別化を必要とする。
それすらも無理なのであれば、提供するサービスが、その相手に対してどのように個別に役立ち、利用してもらうのがベストであるかを見出す。
ここまでは氷山の下を明らかにすればするほど、それぞれ深く行うことができるようになる。

さらに深く掘り下げる人は、相手が人見知りである原因を特定し、相手に合った方法で、相手の良さを引き出す形で原因を解消する。
気にしなくなるように働きかけるかもしれないし、克服するようにするかもしれない。
または、自分は全く気にならないということを伝えることで、そういう人もいるんだということを知ってもらうかもしれない。
このようなことを可能にするほど、本質追求は個別化を深く掘り下げる。
人は何なのかということを考えさせ理解させる。

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この流れは必然的に成果の追求を深める。
深く個別化をすれば、それに則したサービスを提供することで成果も深くなるだろうし、深い真摯さで接すればお客も成果を大きな満足で感じ取ってくれるに違いない。

また、2つの学習は、成果をもたらす方法のバリエーションを増やしてくれる。
同業、他業に「行って、見る」ことでヒントとなる行動を得ることができるし、氷山の下を調べることで新しい知識を組み込むことができる。
これによってそれまで2通りで成果を出していたものが、5通りで成果を出すことができるようになる。

成果がたとえ同じものであっても、2通り使いこなす人と、5通り使いこなせるだけでなく、6種類目に挑戦する人のどちらの接客者に深い信頼性を持つかは明らかである。

前話: 06.自分を古くし新生すること なぜ自分を古くするのか
次話: 08.感性を磨く

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06.自分を古くし新生すること なぜ自分を古くするのか

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卓越した接客者のほとんどは、現状に満足していない。
自分をまだまだだと思っているし、完璧に達していないと考え感じている。

彼らは人からの高い評価に対しても決して鵜呑みにせず、否定するかどうかはさておき、内心は冷静に判断する。
修行僧や山伏などとは違い、苦行が目的になっているわけではない。
ちゃんと自分の立ち位置を知っており、何ができ何が足りないかを把握している。

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しかし実際には、接客の業務で不完全であることはほとんどない。
どのようなお客にも適切に対応することができる。
完璧に対応できない可能性が数万人に1人あるにすぎない。
しかし彼らはそれを知っている。

もう1つ彼らが知っているのは、時が経てば数万人に1人の割合が、数千人に1人に変わる可能性があるということである。
1つの技術を身につけても、その技術が古くなる可能性があり、仮に技術が古くならなくても「できる自分」に溺れてしまう可能性もある。
技術そのものが改善される可能性があるなら、後から発見されたものを学ばなくては取り残されてしまう。

しかし、こういった外的な要因によって自分を磨くのはむしろ素晴らしい接客者で、たとえばトレンドに影響を受けやすいサービス、競合他社との競争が激しいサービス、インターネットのように日進月歩の技術革新が起こるサービスなどでは、接客者がその影響を受けて新しい自分を作るように心がけることがある。
たとえば銀座の高級クラブでは新聞の内容はもちろんのこと、時事に通じるようにホステスは情報を更新するのが当たり前であるという。

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これに対して卓越した接客者は、内的な要因でまず自分を古くする。
内的な要因というのは完璧を求める姿勢にある。
もともと強みを軸に接客を行っているので、強みを掛け合わせることによって誰も真似することができないオリジナルを持つことはできる。
しかし、オリジナルだからといって完璧に機能したり作用したりするわけではない。
まだまだ磨く余地は残る。
オリジナルを完璧にするため、という姿勢が内的な要因になる。

自分を古くするというのは、これまで歩んできた道に縛られないことをいう。
自分を古くしなくては、これまでの経験が基準となってしまう。
別ルートの道を探す努力と手間をかけなくなってしまう。
それでは1つの道にこだわってしまうことで、結局は完璧から遠ざかってしまう。

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だからまず、卓越した接客者は自分を古くすることからはじめる。
次に新生する。

これは実際気の遠くなる作業で、寄り道はもちろん、役に立つか立たないかわからないルートを試すことすら真剣に取り組むことを要求する。
しかも追求している間にも接客で成果を出さなくてはならないし、お客を実験台にすることはもちろん許されない。
それでも、彼らはまず古くする。
古くすることから新生をはじめる。

そして古くしたものの

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残った少数が本当の完璧に向かって役立つものとなる。

卓越した接客者であるオステオパシーの先生は、2年前と同じ技術をほとんど使わない。
新しい物好きというわけではもちろんなく、完璧を追求するために一度自分の技術を古くする。
技術はフランスやアメリカの研究者が来日した際にセミナーに参加することで身につける。
あるいは医学書やその他の情報を取り入れる。
つまり新生している。

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しかし新生してもまた古くする。
実際に2年前の、あるいは4年前の彼の技術をもってしても、大抵の治療はほぼ完璧に行われる。
しかし彼は古くし続ける。
現状に満足すると学びを怠る。
学びを怠ると自分が古くなってしまう。
日々開発される新しい技術がもたらす意味から取り残される。

自分が古くならない唯一の方法は、自分で自分を古くすることであり、彼はそれを知って実践している。
そしてオリジナルはますます完璧に、成果はますます追求されていくようになる。

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アメリカの開拓時代。金の発掘と所有を目指して「ゴーウエスト」という言葉が合言葉になった。
ただ金を目指して、西へ西へと道なき道を切り開く。
卓越した接客者の新生は、アメリカの開拓民が西を目指した様子と似ている。
彼らは道なき道を進む。
しかも一度開拓した道は、開拓した瞬間から古くする。
この気の遠くなる作業を延々と行う。

その方法はエジソンが電球を発明した根気強さに似ている。
エジソンは耐久性のある電球のフィラメントを探し出すのに、実に12000回も素材を替えて実験したという。
逸話には「また失敗しました」という助手の発言に対して「うまくいかない方法を発見した」と応えたという話もあり、これをしてポジティブ思考だなどと言われている。

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このエジソンの根気強さを指して、物事は成功するまで続けなければならないなどと言う人もいるが、実際にはそんなことはできるはずもない。
もしあなたが電球に変わる何か画期的なものを発明したとして、そして12000回実験を繰り返せば必ずエジソンに並ぶ有名人になるとして、果たしてそれを行うだろうか。
それは根気強さや努力の問題だろうか。

卓越した接客者が「強み」を軸とすることを思い出してほしい。
「強み」は「できてしまうこと」である。「できてしまうこと」はできてしまう。
エジソンは彼の強みを発揮し、完璧にするための行動として12000回の実験が「できてしまった」
私たちは努力や苦労ではなく、できてしまうことを軸に成果を追求しなくてはならないことを、この話は教えてくれる。

どんなに苦労しても金を発掘するために西へ向かうのではなく、西へ向かえるから向かうということを知らなくてはならない。
卓越した接客者はできてしまうことをやる。

それができない人がその姿を見れば、口を開けるか、賞賛するかしかないように映るだろう。
そして努力と根気強さを評価するかもしれない。
確かにいくら強みを生かすとはいえ、努力や根気強さは必要とされる。
時にはつらくなることもある。
体調が悪くてやりたくないときもある。
それでも彼らはやり続けることができてしまう。
脳内にアルファ波が出ているのではないかとすら感じさせる。

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卓越した接客者である幼児教育の先生は、新生をし続ける。
毎日の作業はパソコンに向き合うことに費やされる。
新しい情報、新しいことを行っている人の情報、自分の行っていることのヒントなどを毎日調べる。
収穫はあるかどうかはわからないが、継続することでどの程度続ければ、どの程度の成果に結びつくかは経験でわかるようになる。

しかし同時に、成果に直結するかどうかわからないことにも挑戦する。
たとえば、水晶などパワーストーンと呼ばれる石を知り、見て、買う。
様々なショップに足を向け、それぞれのショップ運営者から話を聞く。
持ち前の強みで運営者が石のプロであるかないかを見分ける。
石の特性、効用などを理解して応用できるかを試行錯誤する。
そして接客にはさほど生かすことができないとわかると、その行為をひとまず古くする。
他にも頭蓋仙骨という技術で体を治療する卓越者に学び、技術を習得する。
霊が見える人達にも同じように話を聞く。
これは子供に霊が見える子が多いということで、接客に生かされる。
幼児教育の手法であるドーマンメソッドを習得する。

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これらは彼女の新生の一部にしか過ぎない。
そして卓越した接客者として完璧に近づくために今日も新生を続けている。
新しく道を切り開き、また別の新しい道を開拓し続ける。
たとえいくつかの道を二度と利用しなくなることを知っていても、開拓をやめることはない。

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卓越した接客者が自分を古くし新生することは、彼らの住む世界観を広げることにつながる。

真摯さは古くされることで疑問を生み出す。
その真実は本当に正しいのか。正しいとして正確な基準になっているのか。
その誠実さは最も誠実なのか。
ただ単に正直なだけではないのか。
そもそも誠実と正直はどのように違うのか。
その貢献は押し付けや独りよがりではないのか。
貢献が何であるかを本当に知っているといえるのか。

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このような質問は、正しいという思い込みを排除してくれる。
本当のところどうなのか、それでいいのかということを、考え追求するきっかけを与えてくれる。
そしてより真摯になるために新生される。

個別化は古くすることで、毎回新生された視点で相手に接することを可能にしてくれる。
これまで個別化した相手にわかったような気になることを避けることができる。
人を時と場合によっても個別化し、それぞれのケースに応じて判断し、適応することを可能にしてくれる。

成果の追求はこれまでの成果が一度古くなることで、今日の成果が何であるかを明らかにしてくれる。
過去の経験や結果に溺れることをたしなめてくれる。
それは既に古いことであって、昔のことで今の自分を自慢することを恥ずかしいことだと省みさせてくれる。
そして新生によって今日の成果をまた一から追及する。文字通り成果を「新」しく「生」み出す。

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古くし新生することは、肌の新陳代謝に似ている。
新しく作られた肌は、生まれた瞬間に古くなる。
そしてまた新しく生まれる。
これが繰り返される。

接客では古くし新生することで、成果が生まれ続ける。
成果を一度きり示すことができただけではなく、いつかは成果を出せないかもしれないという不安に怯えることなく、お客は接客とサービスを信頼して利用することができるようになる。

成果を示し続けることができることは接客者にとって誇りであり、その誇りは完璧を追求する態度から生まれる。
たとえ一度開拓したら二度と使われないような道であっても、彼らは開拓することで自分の可能性を広げるように行動する。
そのような態度で挑む。
こうして彼らの世界観は広がり、成果の継続につながっていく。

前話: 05.成果の追及による顧客満足 顧客満足を生み出すもの
次話: 07.本質を追及すること

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05.成果の追求による顧客満足 顧客満足を生みだすもの

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素晴らしい接客者はお客に高い満足を生み出す。
卓越した接客者もお客に高い満足を生み出す。
しかし、素晴らしい接客者の生み出す満足と、卓越した接客者の生み出す満足には大きな違いがある。

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素晴らしい接客者はプロセスから満足を生み出す。一方の卓越した接客者は成果から満足を生み出す。
ただし、プロセスがサービス提供の途中で、成果が提供後という意味ではない。

プロセスというのはサービスを提供する過程で満足が生み出されることで、それはサービスを提供する「接客」によって直接満足が生み出される。

成果というのはサービスそのものによって満足が生み出されることで、接客によってではなく「サービスそのもの」によって顧客満足が生み出される。
成果によって生まれる顧客満足では、接客は補助作業でしかない。

接客もよって生み出される満足とサービスによって生まれる満足は違うのか?
これは一体どういうことなのだろう。
実例を見ながら考えてみたい。

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ラグジュアリーホテルとしてサービスの定評が高いあるホテルでは、レセプションやトイレの表示が館内にない。
これは「もうひとつの我が家」というサービスコンセプトを実現するために、そのような表示を設けないことを旨としている。なぜなら、「我が家」にレセプションやトイレなどの表示があるというのはおかしいからである。
しかしただ表示がないだけでは、いくらサービスコンセプトに忠実であるとはいえ、お客は館内で迷い、不快感を感じてしまうだろう。そこでこのホテルでは、ホテルマンを配置していち早くお客のニーズを先読みし、声をかけることで不備が生じないようにしている。
トイレを探しているお客は、この接客者の案内と先導によって無事トイレにたどりつく。

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このホテルの接客は、お手本や見本としてサービスを扱う者の間ではよく取り上げられ、高い評価を受けている。
そして実際にこの接客を受けたことがある者は高い接客力に満足する。
しかしこれが実は素晴らしい接客であり、卓越した接客ではないことに気がついている人はほとんどいない。

サービスは接客よりも先に形作られるので、「もうひとつの我が家」というサービスコンセプトに忠実に、表示を明記しないことは間違いではない。
むしろ非常に正しい。
このホテルではそこで生じるお客の不都合に対して、接客者の先読みや心配り、声掛け、案内、先導などで対応している。
このことももちろん間違いではない。
ただ、ここでわかることが1つある。

それは、お客はたとえ声をかけてもらえたとしても、案内してもらっても、必ず一度迷うということである。
必ず一度は不都合が生じる。
この不都合に対して接客者はそれを解消し、より満足してもらうために案内や先導を行う。
丁寧に対応する。
サービスの構造上必ず生まれる不都合に対して、毎回対応することでお客を満足へと導く。

つまり、接客の力によって満足は生み出され、その満足が生み出される前提に必ずお客の不都合があるということになる。

卓越した接客者なら、この不都合に対して違った対応を行う。
たとえば、チェックインの際、またはトイレを探して迷ったときにでも、必ずサービスコンセプトを先に伝えるようにする。

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「私たちは『もうひとつの我が家』というコンセプトでサービスを提供しています。そのため案内表示のプレートを設けておりません。もし何かお探しでしたり、お困りのことがございましたら、接客担当のスタッフがお手伝いいたしますので何なりとお声掛けください」などと、はじめからサービスが何であるかを伝える。

これによって、お客はサービスがどのようなものであるかを理解できるのでストレスは軽減される。
迷ったときの対処方法を先に知ることができ、接客者に声をかけることを申し訳ないと感じることもなく、あらかじめ不都合に対応できる気持ちでサービスを受けることができるようになる。

接客はその補助を行うだけにすぎなくなる。
この方法は目に見えるお客の満足度を下げる。
「ありがとう」「助かりました」の声を減らすことにつながる。
はじめから不都合を生まないようにするからである。
よって素晴らしい接客者は、お客に喜んでもらう機会を逃すことになるのでこの方法を取らない。

しかしそれではお客に不都合が生じるという状態は放置されてしまう。

何か困っていることがある人を助けたとすると、相手は感謝するだろう。
それが接客であれば満足したり感動したりするかもしれない。
これが素晴らしい接客者が顧客満足を生み出すときの前提になる。

この前提に対して素晴らしい接客者は丁寧な対応、コミュニケーション力の充実、困っている相手を見分ける眼力、心配りを行うことができるためのホスピタリティの習得などに力を入れる。
まさに文字通り素晴らしい接客者になろうと努力する。
これがプロセスの追求による接客である。

卓越した接客者は、何も困ることが起きないようにあらかじめ手を打つ。
困ることがない相手は感謝することがなくなるか少なくなる。
それが当たり前だと思うようになる。
お客は接客者からの目に見える満足や感動を感じなくなる。

卓越した接客者はしたがって、あらかじめサービスが上手く機能する方法を考え実践する。
お客に喜んでもらうことを行うのではなく、

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を行う。
良いことはサービス提供を通じてお客に感じてもらうことになる。
これが成果の追求による接客になる。

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成果の追求によって顧客満足を生み出すようにすると、プロセスの追求によってお客が感じる満足や感動がなくなるか、少なくなることがある。
それでも卓越した接客者がお客に高い満足を感じてサービスを利用してもらうことができるのは、その成果が圧倒的だからである。
それでは、その圧倒的な成果はどのような世界観から生み出されているのか。

満足という感情は、ニーズを満たすことで作り出される。
よって、素晴らしい接客者も卓越した接客者も、お客のニーズを満たすというところは変わらない。

素晴らしい接客者は類型化によってお客を判断するため、これまでの経験とお客のタイプによって見極め満足に結びつく接客を提供する。
思い出してみてほしい。
素晴らしい接客者はプロセスを追及する。
お客に喜んでもらうことを旨とする。

お客に喜んでもらうためには、お客が望んだものを満たすことである。
したがって、素晴らしい接客者によるニーズの確認は、お客との会話の中で、お客が最も強く希望するものを明らかにする。
そして最も強い希望(ニーズ)を満たすことでお客に喜んでもらう。

これに対して卓越した接客者は、個別化によってお客を知覚する。
お客の本当のニーズはお客が知っているかどうかわからない、というところからはじめる。
強い希望は強いニーズであるとは限らないとするところからスタートする。
そして、お客との会話の中から自分が知覚したものを、相手の最高のニーズとして(相手がそれを知っていようがいまいが)明らかにし、ベストマッチなサービスを提供する。

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ワースという19世紀のファッションデザイナーがこのように紹介されている。最後の二行に注目してほしい。
  
19世紀のオートクチュールは、裕福な女性が、技術の高いプロに服を作ってもらっていたということだけではない。
オートクチュール・サロンの雰囲気は、通常の仕立て服のサロンと大幅に異なっており、次のように説明されている。
「ワースのオートクチュール・サロンでは、貴婦人が突然、店に入っていって、『グリーンの絹のドレスを金曜日までに』と一方的に注文するわけにはいかない。ワースと会うには、まず最初に予約を取らなくてはならない。ワースは顧客自身のアイデアは無視することが多く、その人に一番似合うと思うスタイルを彼がデザインし、仕立てた」

(「パリ」の仕組み 川村由仁夜著より抜粋)

卓越した接客者(この場合はオートクチュールのクチュリエ)が、お客のニーズを個別化による自らの知覚で行っていることがわかる。
そして圧倒的な成果によって顧客に支持されている。
本質的なニーズを知覚(の個別化)によって見出してから、実際にサービスを提供する「成果の追及」に対しても続けて紹介している。

オートクチュールは、価格面も含め様々な面で特別だった。
クチュリエが顧客を扱う方法、デザインのプロセス、アトリエの所在地、生地の高級感など、どれもが通常の店とは異なっていた。
たとえばワースのサロンでは、日中でも窓をふさぎ、ガス灯の光で部屋の中を明るくしていた。
それは、夜会服を試着するときに、晩餐会や会合に出たときと同じ状況をつくるためだった。

(「パリ」の仕組み 川村由仁夜著より抜粋)

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成果を追求するために、ワースが何をしていたかということが明らかにされている。
もちろんこれは成果の追求の一部でしかない。
卓越した接客者は成果をもたらすのに関係する物事に対して変質的に取り組む。
その積み重ねが卓越した接客者をして、圧倒的な成果を生み出す。

逆に考えてみると、卓越した接客者は圧倒的な成果を出すために追及するのであって、顧客満足はその成果によって二次的に生まれるにすぎない。
プロセス上の顧客満足を無視することはないにしても、特別に重要視したりすることはない。

前話: 04.個別化という考え方 人を1人の人間として見る
次話: 06.自分を古くし新生すること なぜ自分を古くするのか

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04.個別化という考え方 人を1人の人間として見る

人を1人の人間として見る

卓越した接客者は目の前のお客を1人の人間として見る。
接客をする立場の人であれば、それはとても当たり前なことを言っているように聞こえるかもしれない。
しかし実際には、人が人を知ろうとするときにはまず、表面上の情報から入る。

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洋服や髪型などの外見から判断しようとするし、名刺の役職や会話の内容から好みや性格を知ろうとする。
こうして積み重なった表面上の情報は経験という形で蓄積されて、多くの人は自分の経験で人を判断するようになる。
しかし皆さんもご存知の通り、自分の経験で判断する人物像は、その人の一面しか捉えない。
自分の見たいものしか見せてくれない。

素晴らしい接客者は「経験」では相手をしっかりと知ることはできないし、ましてお客としてのニーズを知るためには十分でないと考える。
そこで技術やスキルなどの能力を高め身につける。

たとえばコーチングを勉強したことのある人であれば、コミュニケーションを軸としてコントローラー、プロモーター、サポーター、アナライザーの4種類に分けるだろうし、ハーマンモデルを学習したことのある人であれば、脳の機能の違いによって右左脳の新皮質と辺縁系のどこを使うタイプであるかによって人を判断することになるだろう。

このような科学的、理論的なスキルや技術を取り入れて、より正確に相手を理解しようとする試みを類型化という。
類型化はもともと心理学の考え方で、最も初期の心理学では太っている人、やせている人、筋肉質な人、という外見で人格が変わってくるという考え方をしていた。
その後、心理学が発達して様々な考え方が生まれる。

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たとえばNLP(神経言語プログラミング)と呼ばれる心理学では、人の物に対する知覚を視覚タイプ、聴覚タイプ、感覚タイプに分ける。
それぞれの人によってたとえば、同じ「りんご」を思い浮かべてもらう場合であっても、脳の中でりんごの映像が浮かび上がる人(視覚タイプ)もいれば、りんごの音からダイレクトに理解したり漢字の林檎が思い浮かぶ人がいる(聴覚タイプ)。
りんごをかじったときの歯ごたえや甘酸っぱい味が思い浮かぶ人(感覚タイプ)もいる。
それぞれの知覚が異なればコミュニケーションも変わるという考え方をする。

他にも様々な種類のタイプわけがある。
素晴らしい接客者はこのようなタイプわけを使いこなし当てはめることで、目の前の人を正確に知ろうとする。
これはカウンセラー、化粧品の販売員、医者、占い師などがよく行う方法で、自分のことをよく知らないお客に、自分自身を気づかせるわかりやすい方法にもなる。

しかし接客者としては、このような技術を駆使することができても、

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卓越した接客者は、このような技術を身につけていることもあるが、最初から目の前の人を1人の人間として見る、個別化を行う。
個別化というのは類型化とは異なり、タイプやパターンに当てはめ、タイプやパターンを使って見分けようとする方法ではない。
最初から「あなたという人間を知る」「あなたがあなたであるところを見分ける」などという考え方からはじまる。
個別化の見方は、それぞれの人は「必ず全て違う」という考え方がある。

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卓越した接客者に共通する個別化の方法はない。
それぞれの卓越者がそれぞれに適した方法で個別化を行っている。

オステオパシーを使って治療を行う先生は、主に手を使う。
お腹や頭に手を添えることがあれば、肌から10センチほど話して体を探ることもある。
幼児教育の先生とキャビンアテンダントは聞くという行為を媒介する。
しかし彼女たちはどうやら、お客の言葉や意味を聞いているのではなく、その奥にある本質を聞いているようである。
美容師は、見る。
見ることからはじまる。
最初にお客を見はするが、幼児教育の先生やキャビンアテンダントと同じように顔や髪を見ているのではなく、浮かび上がる最高の様子をイメージしている。

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彼らに共通しているのは、感覚を使っているということと、必ずしも目の前に見えるものを見ているわけではないということである。
感覚を使うというのは、類型化が理論的にタイプやパターンに当てはめるのとは180度違う考え方で、目の前の事実を見ているわけではない。
ということは、お客のニーズに応えるという考え方ではないということである。

感覚というと、私たちは理論で説明できないものや、なんとなくの感じを思い浮かべてしまう。
あやふやで今ひとつ信憑性に欠けるのではないかと勘ぐってしまう。
または、超能力や霊能力のように特殊な人間だけに備わっている、ほとんどありえない能力ではないかと考えてしまう。

ここでいう感覚は特別な力のことではない。知覚のことをいう。
知覚というのは、意味を読み取る力のことを指す。
私たちは毎日知覚を使って生活している。

たとえば、「う」「ら」「な」「い」という平仮名の一文字は、音を表す文字であってそれぞれに意味はない。
この音を表す文字が並ぶことによって、新しい意味がうまれる。

「うらない」と並んだときに、「占い」「売らない」だろうと推測する。
前後の文章があればより確実に意味がわかる。
ただの4つの音ではないと判断する。

音を表す意味しか持たない文字が並ぶことによって、言葉の意味が生まれる。
文字が並んだ瞬間に、「うらない」はただの音ではなく「占い」か「売らない」の意味を持つようになる。
意味を判断し理解するものが知覚となる。

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卓越した接客者は、それ以外の接客者が「うらない」という4つの音に注目しているときに、「占い」であるか「売らない」であるかを考えている。
前後にどのような文章が来るのだろうか、ということを予測している。
どのように判断すれば正しく、目の前の人をありのままに理解することができるのかということを考えている。

幼児教育の先生とキャビンアテンダントはお客の声に耳を傾けるが、彼女たちはその言葉や内容を聞いているのではない。
彼らの言葉の奥に存在する意味や根本的な原因に耳を澄ましている。
表面上の情報はきっかけにはなっても深い意味はないとする。

卓越した接客者は、お客を1人の人間として個別化するとき、自分に最も適した知覚を使う。
そして表面に現れた情報から本当の意味を読み取る。

前話: 03.真摯さは信頼を生みだす。プロ意識と責任は信用を生みだす
次話: 05.成果の追及による顧客満足 顧客満足を生み出すもの

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03.真摯さは信頼を生みだす。プロ意識と責任は信用を生みだす

真実を基準として物事の正しさを判断し、誠実な人間性によってそれを扱い、今自分ができる精一杯を行うことで相手に貢献する。
これが卓越する接客者の「真摯さ」である。

真実、誠実、貢献のどれもが接客者自身の内側にあるもので、内側から湧き出てくるものであることがわかる。
そしてそれは、どのような場合も相手という「人」に向かって使われる。

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これに対してプロ意識と責任感は、仕事という外の世界に反応して生み出される。
仕事という外部の状況が求めているもの、行うべきこと、などに対して「必ず行う」というのがプロ意識と責任の特徴で、それはどのような場合も「仕事」という「行動」に向かって使われる。
接客の場合は「接客の仕事」という「人に向き合う行動」に向かって使われる。

ここで大切なことがわかる。

素晴らしい接客者は人に接していながら、そして高いコミュニケーションを使いこなしながら、その価値観は実のところ「仕事」に向けられているのであって、「人」に向けられているのではないということである。
顧客満足やホスピタリティは、両方とも素晴らしい接客者が重視し使いこなすことができる

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である。
そして彼らは能力を重視する。
その重視する能力が実は「仕事」に向けられている。
なぜならお客は「仕事を行う上で関わる人」のことであり、1人の人間のことではない。

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顧客満足という言葉そのものが仕事でしか使われないことを見てもわかる。
ホスピタリティも同じように素晴らしい接客者が「仕事」で使う心配りなどの能力ことである。
仕事を離れたときに「お客という種類の人」以外の人に対してホスピタリティを使うことが果たしてあるだろうか?
高いプロ意識と強い責任感は、仕事で使われる価値観である。
友達や恋人、家族に対してプロ意識と責任感で接する人はいない。
したがってプロ意識と責任感は「人」に向かった価値観ではない。

反対に卓越した接客者は仕事を行いながら、そしておそらく完璧に近い仕事を行いながら、その価値観は実のところ「人」に向けられているのであって、「仕事」に向けられているのではない。
彼らにとって真摯さが発揮されるのは、ごく普段の生活であって、普段の生活の延長線上にある仕事でもたまたまそれが発揮されるにすぎない。
ということはつまり、真摯さはもともとその人の人間性を表すのであって、プロ意識や責任感のように後から持つものではないということになる。
強みが仕事とプライベートを分けないように、真摯さもそのような分け方をしない。
あくまでそれは人間味である。

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素晴らしい接客者はプロ意識と責任感を接客のスタートラインに持つ。
そして「仕事」に向かう。

卓越した接客者は真摯さ(真実の基準、誠実さの前提、貢献を目的)を接客のスタートラインに持つ。
そして「人」に向かう。

この2つの世界観は、スタートラインで両者を分ける。

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そして仕事に向かうプロ意識と責任感は、相手の

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を、人に向かう真摯さは相手の

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を生みだす。

信用というのは、何か特定の行動に対して信じることができるときに使われる。
つまり仕事に対して信じることができるときに使われる。
信頼は、誰かの人間性に対して信じることができるときに使われる。
つまり接客者自身に対して信じることができるときに使われる。

2つはかなり似ている。
特にサービス利用によってもたらされる結果が同じであれば判別するのは難しい。
それに2つに優劣はない。
信用はただ仕事に対して働くのであって、人に対して働く信頼よりも優れているとか、劣っているということではない。
素晴らしい接客者と卓越した接客者の世界観の違いということである。

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さらに、素晴らしい接客者はやはり素晴らしいので、部分的にであっても真摯さを持ち合わせている。
信用されるだけでなく、少なからず信頼される。
逆に卓越する接客者も信頼されるだけではなく、仕事に対しての信用もされている。

信用だけでは仕事を離れ、仕事に関わらない物事を行うとき、つまり人間性が問われる場面で信じてもらうことができない。
信頼だけではさらに深い仕事や、他ジャンルの仕事が関わってきた場合に信じきってもらうことができない。

信用と信頼はどちらも接客では必要で、素晴らしい接客者も卓越した接客者も実は身につけている。
ただ、住む世界、見る世界、価値を置く世界が違うということである。
スタートラインも異なるということでもある。
この価値観の違いが素晴らしい接客者と卓越した接客者を決定的に分ける。

前話: 02.真摯さを形作るもの
次話: 04.個別化という考え方 人を1人の人間として見る

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02.真摯さを形作るもの

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卓越する接客者が住む世界の入口にあり、はじまりにあるのが「真摯さ」である。
真摯さは、「まじめでひたむきなこと」「清く、正しく、美しく」とか、単に誠実であることなどと考えられている。
日本語の単語としてあまり使われることがないため、およそのイメージで考えられやすい。

真摯さとは、

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とし、

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とし、

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として、果たすべき役割を行うことである。
人に接するのに、まず自分がどのような価値観を持って接するのかという「心構え」は接客の出発点になる。
素晴らしい接客者が高いプロ意識と、強い責任感を「心構え」として持つのに対して、卓越した接客者は真摯さを「心構え」として原点にする。

プロ意識と責任感は「仕事」に対して持つものであり、真摯さは自分を含めた「人間」に対して持つものである。

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真摯さが求める心構えはまず、接客者に真実を基準とすることにある。
ものさしがなければ長さを正しく測ることができない。
接客者はどのようなものさしを使って接客を行うのかを決める必要がある。
卓越する接客者の世界では、ものさしとして「真実」を使う。

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本当に正しいこと、絶対に間違いがないこと。
人によって答えが変わらないこと。
正確な事実であること。
これ以上確認しても結果が変わらないこと。
さまざまなアプローチを試しても同じ結論に行きつくこと。

このような「本当の正しさ」を中心とした真実だけが、卓越した接客者にとって接客を行うときの基準になる。

これに対して素晴らしい接客者は「経験」をものさしにする。
このため、同じような成果を出す素晴らしい接客者の間で、「正しい方法」「正しい判断」に差が生まれる。
それぞれがそれぞれの経験の中から正しさを見出すので意見が分かれてしまう。
ある人はホスピタリティを基準に接客を測り、別のある人はお客を感動させることを基準に接客を行うようになる。

卓越した接客者は真実を基準にするため、自分の経験はもちろん、感情、気分、体調などでも物事を測らない。
結果が本質的に正しいかどうか決めることができない物事を基準にはしない。
これが真摯さの「基準」を支える真実の特徴である。

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本当に正しいことを基準にしても、その人に誠実さが欠けていれば真摯であるとはいえない。
癌の告知をする医者が「あなたは間違いなく癌です。これから長い闘病生活が待っているので準備してください」と、こともなげにさらりと言ったとすると、その真実は暴力になってしまう。

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確かに癌の告知はどのような言い方をしても相手にショックを与えるだろう。
しかし、それを伝える者に、誠実さがあるかないかによってショックの質が変わる。
その後治療を受けるときの気分を変え、病気と闘う気力を変える。

卓越する接客者にとって、誠実さは「前提」になる。
いざ事が起こったときに言い方や見せ方や行動に気を遣うのではなく、人として誠実であろうとするために誠実でいられる人のことを指す。
相手をいたわり、愛しみ、本気で思う気持ちを持つ人であるからこそ、真実を扱うことができる。

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そして貢献を目的にする。
相手をいたわり、愛しみ、本気で思うからこそ、目の前にある真実をお客に向けてどのように用いていくべきなのか。
何に向かって真実と誠実さを発揮するべきなのか。
自己満足のためでも、仕事をこなすためでもない。
顧客満足を得るためでもない。

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ために発揮する。

これが貢献を目的とすることである。

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しかし、お客に向かって行うものだけが貢献ではない。
卓越した接客者は、お客、事業、社会の3つに対して貢献する。
接客を行うとき、既にこの3つが視野に入っている。

事業に貢献するというのは、売上などの金銭的なものというよりはむしろ、サービスを形作ることに対して行われる。
自分は事業に対して何を精一杯行うことができるのか。
提供すると決まっているサービスを最も確実に提供し続けることや、トータルサービスを形作るサービスのしくみを接客サイドから構築するなどのことを行う。
それも常に行う。
接客によって事業を支えることが、事業に対する貢献になる。

接客によって事業を支える接客者は知識労働者である。
サービス上必要な高い知識でサービスを支え、接客スキルなどを教育する人事を支え、接客を中心に事業マネジメントを作り上げることで事業に貢献する人のことを知識労働者という。
これに対して、事業に支えられて仕事をこなす者のことをサービス労働者といい、この2つのタイプは事業への貢献によって分けられる。

社会に対しての貢献は抽象的である。
ボランティア参加などのことではなく、サービスの提供を通じて接客者は社会貢献する。
宿泊施設の接客を仕事にしているのなら、旅行者が安心して快適に寝泊りすることができるということが、社会的に大きな貢献を果たしていることになる。

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しかし卓越した接客者はむしろ、

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ことで社会に貢献する。
卓越した接客者である税理士は、お客がどんなに求めても脱税を勧めることはしないだろう。
もしお客に脱税の事実があれば、誠実に、かつお客に貢献する方法で脱税を止めるに違いない。
彼らは、行ってはならないことを行わないことで社会に対して貢献する。

前話: 01.3つの世界観と3つの生き方
次話: 03.真摯さは信頼を生みだす。プロ意識と責任は信用を生みだす

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01.3つの世界観と3つの生き方

卓越した接客者と素晴らしい接客者は住む世界が違う。
見ているものが違い、考えていることが異なる。

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卓越した接客者の世界は、真摯、個別化、成果の追求、の3つの事実から成り立っている。
この3つが卓越した接客者が見る世界観になっている。

素晴らしい接客者の世界は、プロ意識と責任感、類型化、プロセスの追求、の3つの事実で作られる。
これが素晴らしい接客者の世界観となる。

卓越した接客者は彼らが過ごす世界の中で、3つの生き方を試みる。
それは、古くし新生すること、本質の追及、感性を磨く、の3つがある。

この3つの行いも、素晴らしい接客者が行うことと異なる。
素晴らしい接客者は、自己啓発し、能力を習得し高め、経験を積む。

この3つの世界観と3つの生き方が、卓越した接客者と素晴らしい接客者を決定的に隔てる条件になる。

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「真摯さ」「個別化」「成果の追求」の3つの世界観は、それぞれがそれぞれと相互作用している。

じゃんけんでグー、チョキ、パーのどれか1つが欠けてしまうとバランスが崩れてしまうのと同じで、3つの世界観もどれか1つが欠けてしまうと卓越した接客者ではいられなくなってしまう。
実際に、素晴らしい接客者の中には、この中の1つか2つを持っている人もいる。
その人は卓越した接客者に限りなく近い。
しかし全体として卓越には至っていない。
じゃんけんでグーとチョキを覚えても、パーを知らなければじゃんけんができるとはいえないのと同じである。

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真摯さは成果の追求を支える。
どんなに完璧な成果をお客に提供することができても、真摯さがなければ成果が受け入れられないことがある。
どんなに最高の医療技術を使いこなす医者であっても、普段から誠実さに欠けていて、患者に貢献しようという気持ちがなければ、患者やその家族から信頼されないだろう。
最高の技術を発揮しても、患者の死を避けることができなかったとき、信頼の欠如から遺族は医療ミスの裁判を起こすかもしれない。
真摯さはお客に信頼を生み、その信頼は成果の追及に向かって働く。

個別化は、真摯さを形にする。
接客者として、人間として、どんなに真摯な人格を持っていたとしても、それを発揮することができなくては何にもならない。
心構えや気持ちはあるのに、的確に接客をすることができないということになってしまう。
お客を一人の人間として見て、目先のニーズからその人の人生までを考えて、何が適切に働き、何を省かなければならないかということを判断できなければ、ただのいい人で終わってしまう。
人としては信頼できるけども、接客者としては応援するというレベルに止まってしまう。
行動によって真摯さを形に変えるものが、個別化の役割になる。

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成果の追求は、個別化の結果を生み出す。
どんなに1人1人を個人として捉え、その人にぴったりの貢献したとしても、成果を出すことができなければ接客は完結しない。
それは精神病をいつまでも解決することができないカウンセラーが、長い時間をかけてコミュニケーションを交わすこと自体が目的になってしまっていることと同じである。
お客である患者をどれほど理解しても、精神病を解決することができなければ接客者として失格である。
個別化は行動を、成果は結果を表す。
そして成果の追求は、結果を生み出し続けることを意味する。
結果を生み出し続けなければ、行動は無駄に終わってしまう。

3つの世界観は、お互いが補完することで1つの世界を作り出す。
これが卓越した接客者全員が住む世界感である。

前話: 第19章 10.強みの発揮を支えるもの2
次話: 02.真摯さを形作るもの

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