07.第3の扉 金の卵を産み落とす

強みを生かし、卓越する接客者が住むパラレルワールドの法則を身につけると、その結果として一流の顧客が生み出される。

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童話「ジャックと豆の木」で、主人公のジャックは牛のデイジーと引き換えに、魔法の豆を手に入れる。ジャックのお母さんは、怒ってその豆を窓から捨ててしまう。
真夜中豆は芽を出し、豆の木となって雲の上まで伸びて行き、ジャックは蔓を登って、雲の国のお城にたどりつく。
そのお城で召使をしているおばあさんに親切にされたり、巨人に見つかって追いかけられたりしながら、ジャックは巨人の持ち物である金の卵を産み落とすガチョウと、ひとりでに音を奏でる金のハープを盗んで地上に持ち帰る。

この童話に登場するガチョウが金の卵を産み落とすように、卓越する接客者は仕事を継続していく中で、一流の顧客を生み出す。

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一流の顧客が何であるか、それは卓越した接客者の中でも答えは一様ではない。
提供するサービスが何であるかによっても変わるし、お客が個別化されていることによっても変わる。
個別化されていると、あるお客が一流の顧客であることと、別のお客が一流の顧客であることの意味や定義が変わることがある。

「一流の顧客」に正しい答えはない。
しかし、卓越した接客者に共通する答えの傾向はある。

まず彼らは、自分の中に自分なりの答えを持っている。
一流の顧客が何であるかを知っている。
これは素晴らしい接客者のほとんどが「一流の顧客は何ですか」という質問に答えることができないのとは大きく異なる。
卓越した接客者は「一流の顧客とは何ですか?」という質問に対して、自分がどうあってほしいか、どうあってくれれば嬉しいかということには全く価値を置かなかった。
たとえば、「お客さんを紹介してくれる人」「口コミをしてくれる人」などという回答はしなかった。

幼児教育のカウンセラーを行う先生は、「一流の顧客は何ですか」の質問に対して、次のようなシンプルな答えを出した。

「伝えたことを完璧にこなす人」
「子供のことを真剣に考え、きちんとした愛を持っているお母さん」

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一流の顧客がいつ生まれるのかはわからない。
しかも何を指して一流の顧客と呼ぶかは、様々な条件によって変化する。
しかし卓越した接客者は一流の顧客が何であるかを知っている。
そしてガチョウが金の卵を産み落とすように、卓越した接客者からは一流の顧客が必ず生み出される。

ところが、卓越した接客者の中でも積極的に一流の顧客に耳を傾け、深く理解しようと試みている人はいなかった。
これは何を意味しているのか。

一流の顧客がどのような人であり、どのように生み出されるのか、一流の顧客に耳を傾ける意味と方法については次の章のトピックスの最後で見ていきたい。

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ここまでに見た3つの扉(虎はなぜ強いのか、パラレルワールド、金の卵を産み落とす)を開くことで、素晴らしい接客者は卓越した接客者になる臨界点を超える。
卓越した接客者になることができる。

前話: 06.第2の扉 パラレルワールド(並行世界)
次話: 第19章 01.素晴らしい接客者の能力

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06.第2の扉 パラレルワールド(並行世界)

強みという、卓越した接客者だけが持ち合わせているものに注目した後、私が次に見出したのは卓越した接客者に共通する世界観と、素晴らしい接客者に共通する世界観の違いだった。

同じ「人に接する仕事」をしながら、見えているもの、感じていること、考えていること、大切にしていることが明らかに異なるものを探し出そうとした。
するとそこには、卓越した接客者が住む世界と、素晴らしい接客者が住む世界の2つの世界が現れた。
それはパラレルワールドを思い起こさせた。

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パラレルワールドという考え方は量子理論から生まれ、現在も科学者が真剣に解明している科学である。
量子の難しい理論はさておき、このパラレルワールドという考え方では、「宇宙には枝分かれした別の世界が同時に存在する」と説明している。

たとえば、あなたが誰かに向かってボールを投げる。
相手はボールを受けるかもしれないし、落としてしまうかもしれない。
この瞬間に世界は2つに分裂し、ボールを受けた世界と、ボールを落とした世界が生まれる。
ということはつまり、考えられないほど無限に世界は存在するということになる。

ただし(余談になるが)ボールを受けても、落としても、その後また同じ結果になることが判明していれば、分かれた世界は再びつながるということが実験で明らかにされているらしい。

接客でも、卓越した接客者が見る世界で接客を行うことと、素晴らしい接客者が見える世界で接客を行うことの間には、全く違う世界がある。
しかし、接客を行った結果が同じであれば、最終的には同じものを提供したことになる。
ただ、パラレルワールドで枝分かれした世界がいつも同じ結果になるとは限らないように、接客も卓越した接客と素晴らしい接客の結果は必ずしも同じにはならない。
むしろ違った結果になることの方が多いだろう。

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ベストセラー漫画「鋼の錬金術師」は、アニメ版と映画でパラレルワールドを設定している。
片方の世界は、錬金術によって発達した世界。
もう片方の世界は現在われわれが生活をする科学技術によって発達した世界である。
物語と主人公の住む世界は、錬金術によって発達した世界である。
このストーリーの設定では錬金術は金を作る技術のことではなく、物質の法則を理解、分解、再構築する技術のことを指す。
金の練成を可能にするかのように、他の様々な物質を錬成することを可能にする。
この技術によって、壊れたものを元通りに直したり、別のものに作り変えたりすることができる。
個人の技術である錬金術で発展した社会と、並行世界であり、現在私たちが過ごす科学技術によって発展した社会では、おのずとそこに住む人の考え方や、物の見方は違ったものになるだろう。

素晴らしい接客者が見て、聞き、感じ、接客を行っている世界は、科学技術で発展した現代を見るようなもので非常にわかりやすい。
顧客満足や、笑顔や、相手を思いやる気持ちを持った接客者などが目に浮かぶ。

逆に、卓越した接客者が過ごしている世界は、錬金術を操ることで文明が成り立っている世界であり、非常に理解しがたい。

卓越した接客者と素晴らしい接客者が全く別の世界の住人であることがわかったとき、私はこの差というか、違いを埋めることはできるのだろうかと考えを巡らせた。

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何しろ「卓越」「素晴らしい」は、エスキモーと砂漠の民ほどかけ離れている。
見ているものも、感じていることも、考えていることも、生き方さえ違う。
このような違いに対して私はまず、それぞれの世界観を明らかにした。
そして、何が違いをもたらしているのか、「根本的に両者を分け隔てる違い」は何かを探ることに集中した。

その過程で見つけた、いくつかの行動の違いや、方法の違いはよく検討した上で省くことにした。
なぜなら行動や方法の違いは、それを湧き出させるもっと深い泉に原因があるため、湧き出る泉は一体どこにあるのかだけを探すように努めた。
本質的な違いに集中した。

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そして、具体的にその源泉を3つの形としてまとめることができた。
この3つの世界観は、そっくりそのまま、卓越する接客者が過ごす世界の世界観であり、素晴らしい接客者との決定的な違いになった。
後ほど詳しく見ることになる3つの世界観と、それを生かす自己マネジメントの概念を紹介しておきたいと思う。

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卓越した接客者は、接客や仕事を行うに当たって、またはそれ以前の人間性として「真摯さ」を身につけている。
真摯さとは一般的に「まじめでひたむきなこと」と意味されている。
しかし、それだけでは単なる個人の気持ちということになる。
卓越した接客者は、真摯さを

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とし、

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とし、

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として自分が果たすべき役割に挑む。
これに対して素晴らしい接客者は、「プロ意識」「責任」によって役割を果たす。

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個別化とは、各それぞれのお客1人1人に対して、それぞれの状態、事情、ニーズ、欲求などがあるという前提で、それらを理解し対応することである。
人は誰一人として同じ目的でサービスを利用するのではなく、与えるべきものはそれぞれの人にとって「必ず全て違う」という考え方で接客を行う。

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これは一見当たり前のことを言っているように聞こえるが、実際には、素晴らしい接客者は個別化ではなく、類型化して接客に当たる。
人をタイプ分けて自分の技術を当てはめることで接客を行う。

たとえば男女差の傾向、年齢の傾向、顔の表情の傾向から、レベルの高い接客者になると相手の職業や地位、使う言葉や話す内容から傾向を読み取り、タイプに合わせて接客を行う。
個人に合わせるのではなく、タイプに合わせる。
二流以下の接客者は、過去の接客経験で失敗しなかったものを目の前のお客に当てはめて実践する。

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実際には卓越した接客者も、素晴らしい接客者も成果を出すことは重要視する。
卓越した接客者が成果に対して完璧を求め、完璧を追及することによって顧客満足を得るのに対して、素晴らしい接客者はプロセス上のコミュニケーションやホスピタリティにより注目することで顧客満足を高める。
ということは、素晴らしい接客者は「コミュニケーションから得たお客のニーズを満たす」ことで成果をあげる。

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卓越した接客者は、コミュニケーションやホスピタリティによる顧客満足には集中しない。

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によって顧客が必ず満足することに対して力を入れる。
コミュニケーションやホスピタリティは、「圧倒的な成果」に役立つ時にだけ利用される。
ということは、卓越した接客者は

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ことで成果をあげる。
本質的なニーズを知るために必要なことは、真実を見抜く力である。
だからこそ卓越した接客者は、コミュニケーションではなく成果の追及に力を注ぐ。

「ニーズ」を満たし、「顧客満足を得る」ことは同じであっても、それぞれの世界観はかなり違う。

「コミュニケーションから得たお客のニーズを満たす」「自らの眼目で判断したお客の本質的なニーズを満たす」は似ているようで全く違う。
それはコインの裏と表ではなく、全く別のコインである。

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「コミュニケーションから得たお客のニーズを満たす」というのは、ニーズはお客の言っていること、望んでいることにあり、それに全力で応えようとする。
お客の自覚や知識レベルでニーズが決まる。

一方で「自らの眼目で判断したお客の本質的なニーズを満たす」というのは、接客者がお客の中に眠る最高の状態をニーズとして捉える。
つまり、基本的にお客が何を望んでいるのかを知ろうとする必要はなく、知るために必要がある場合にだけコミュニケーションを使う。
したがって、卓越した接客者の中にはコミュニケーションに疎い人がいることもある。

この3つが、卓越した接客者の住むパラレルワールドの、最も基本的な土台になっている。

真摯であっても個別化することができなければ気持ちや姿勢だけで終わってしまう。
個別化することができても完璧な成果を出せなければ、技術も行動も無駄に終わってしまう。
高い成果を出すことができても、真摯さを持ってお客に提供しなければ、接客者として信頼されなくなってしまう。
真摯さ、個別化、成果の追求は、

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にある。

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卓越した接客者は、真摯さ・個別化・成果の追及の、3つの世界を見ている。
素晴らしい接客者がプロ意識と責任・類型化・プロセスの追及を行う世界とは全く違う世界観を持っている。
卓越した接客者はその世界観の中で、どのように生きているのか。

素晴らしい接客者は自分が存在する世界観の中で、自己啓発し、スキルを高め、経験を積むことでさらに素晴らしくなろうとする。

これに対して卓越した接客者は、真摯さ・個別化・成果の追及を自己マネジメントすることでさらに卓越しようとする。

自己マネジメントは、自己啓発とは違う。
自己啓発が目標を達成することで成功を手に入れるのに対して、自己マネジメントは強みを軸として自分の卓越性と世界観を高める。
その具体的な方法は接客者によって大きく異なるが、基本的な考え方は共通している。

卓越する接客者はまず、

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ことで革新し続ける。
新しく学んだ技術、得た知識は、学んだ瞬間に古くなるので、新しい自分を毎日作る。
でなければ、あるべき自分自身に取り残されることになる。

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次に、自分が行うべきことの

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本質追求は各接客者でオリジナルの方法を持つが、考え方は2つに絞られる。
そしてこの2つの両方を持っている。
ひとつは「行って見る」ということであり、もうひとつは「氷山の下を調べる」という方法である。
この2つの本質追求は、結果として卓越する接客者に継続学習をさせることになる。
したがって、卓越する接客者は本質を追及するために継続学習する。

最後に彼らは一様に、強みに対する

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オステオパシーで治療する先生は体に触れることで何が現在の状態をもたらしているのかを知る。
幼児教育の先生は半分感情の混じったお母さんの話を聞くだけで問題の本質を見極める。
美容師はお客の顔を3秒じっくりと眺めることでベストマッチする髪型のイメージが脳裏に浮かぶ。
スチュワーデスは顔色、姿勢、目線などを見るだけで何を望んでいるかを判断できる。
彼らは一様に感性を使うことに長けている。
そして感性は高められる。

これらの世界観と概念は後ほど詳しく見ていくことにする。

前話: 05.第1の扉 虎はなぜ強いのか
次話: 07.第3の扉 金の卵を産み落とす

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05.第1の扉 虎はなぜ強いのか

素晴らしい接客者と卓越した接客者のイメージを固め、卓越した接客者にインタビューを行ったところで、まず私が取り組んだことは、卓越する接客者に共通することを探し出すことだった。

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しかもただ共通するだけではなく、特に素晴らしい接客者が全く持ち合わせておらず、卓越した接客者だけが持っているものに注目することにした。
最初、そんなものがあるのかどうかは半信半疑だった。
いや、正直に打ち明けると高いレベルの両者を決定的に分ける物事などないと思っていた。

このような場合におそらく誰もが考えるように、素晴らしいと卓越を分けるものは、経験や勤勉さ、努力などをはじめとする、ごくシンプルな物事の積み重ねや反復だと私も想像していた。
ところが驚いたことに、この視点で卓越した接客者の共通点を探してみると、素晴らしい接客者が持ち合わせていないものがひとつだけ見つかった。
それはマネジメントの父ピーター・ドラッカーが「強み」と呼ぶものだった。卓越した接客者は皆、一様に「強み」を軸として接客を行っていた。
強みとは一体何なのだろうか。
ここに強みをイメージできる話があるのでご紹介しよう。

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歴史小説家の隆慶一郎は、戦国時代の武士であり傾奇者(かぶきもの)である、前田慶次郎利益を主人公とした「一夢庵風流記」という小説を書いた。
この小説は漫画家の原哲夫の手によって「花の慶次」という漫画として出版されベストセラーになったが、その中に強みを考えるヒントになるセリフがある。

鬼の形相で戦いを挑む伊達小十郎という登場人物に対して慶次郎は、
「虎はなぜ強いとおもう?
もともと強いからよ、お主はもともと弱いから、そのような凶相になるほど剣の修行をせねばならぬのだ」

というセリフを吐く。
また別の場面では、松田慎之助という登場人物に「なぜそんなに強いんだ」と聞かれ、このように応える場面もある。
「虎や狼が日々鍛錬などするかね」

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強みを考えるとき、虎がもともと戦いに強いように、狐はもともと知恵があるように、鳥ははじめから飛ぶことができるように、「できてしまう」ということに注目する。
しかし、卓越した接客者の全てが自分の強みを正確に知っているわけではなかった。

たとえば、幼児教育のカウンセラーを行う先生は、インタビューの結果私が彼女の「強み」をフィードバックしても今ひとつ得心していないところがあった。
なぜそのようなことが起こるのかは章を改めて説明していくが、強みを明確に知っていることが必ずしも一番重要なことではないということである。

大切なことは、強みを軸に「実践している」ことであって、それが卓越した接客者を卓越させている全ての源泉になっている。
これに対して素晴らしい接客者は、強みを源泉として接客を行うのではなく、能力を駆使することで接客を行う。

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2つは似ているので混乱しやすい。
ここでは単純に、「強み=できてしまうこと」「能力=できること」とまず覚えてほしい。
その上でもう少し解説を加えると、強みは先天的(実際には3歳前後まで)にできることであり、能力は後天的に訓練と反復によってできるようになったことである。

この2つは結果として「できる」ということに変わりはないけども、強みを生かす場合と、能力を使う場合では、それを行う人の心の状態が大きく異なる。

強みでできてしまう人は、最初からできてしまうのでストレスを持つことがない。好き嫌いを持つこともない。
呼吸をすることと同じように普通のことである。

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能力を使って行う人は、「できる」という意味では同じであっても、過去の努力と苦労がストレスになったり、実は苦手であるためにプレッシャーを感じながら行うことがある。

もうひとつ両者に大きな差がある。
能力で行う人の中にも、人と接することが好きで接客が向いているという人がいる。
このような人の能力はグングン伸びる。
成長速度や習得が速いことや、楽しんで行えること、高いスキルを身につけることができる「能力」のことを「才能」と呼ぶ。

才能は、先天的に備わっているものではない。
「あの子は才能がある」と言う場合、それは訓練によって優れて上達するという意味である。
「素晴らしい」接客者は、能力の中でも才能を生かして接客を行う。
そして素晴らしい成果を生みだす。

一方「卓越した」接客者は、強みと才能を掛け合わせて使う。
これが「素晴らしい」「卓越した」に及ばない理由である。
つまり、素晴らしい接客者に元々欠けているのが「強み」である。
強くなるために鬼の形相になった伊達小十郎は、確かに強いはずである。
しかし、前田慶次郎には及ばない。同じことが接客の世界でも起こっている。

では、素晴らしい接客者は「強み」が欠落しているため、いつまでも卓越した接客者に及ばないのだろうか?
そんなことはない。
強みは誰もが必ず持ち合わせている。
強みを発掘し、伸ばし、才能と掛け合わせれば「卓越した」接客者になることができる。

たとえば、「問題の本質がわかってしまう」「解決するためにはどうすればいいのかがわかってしまう」という強みを持つ接客者は、おそらくカスタマーサポートやアフターフォロー、クレーム対応、コールセンター、災害危機管理などの仕事に力を発揮できる。

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逆に、「人の話を興味深く聞くことができてしまう」という強みを持つ接客者は、カウンセラーに向いているかもしれない。

現に幼児教育のカウンセラーの先生は、その仕事を自分で行うまで一度もカウンセリングを行ったことがなかった。
それ以前は販売の仕事をし、その前は接客に全く関係のない、室内で図面を引く仕事をしていた。

インタビュー時の「尊敬するカウンセラー、またはお手本にしているカウンセラーはいますか」という質問に対しては、「いないし、そういう仕事をしている人を知らない」という回答を、申し訳なさそうに答えてくれた。
しかし彼女は現に、今もお母さん160人、子供180人に頼られ、信頼され、感謝される卓越した接客者である。

強みを源泉とすることは、素晴らしい接客者を卓越した接客者にする。
一流を超一流に引き上げる。
しかも、強みを軸に仕事を行うと、不必要なストレスやプレッシャーが大きく軽減される。
解放されることすらある。

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「できてしまう」という物事を行っている時、人は感情の起伏が緩やかになる。
好きでも嫌いでもなく、嬉しくも悲しくもなくなる。
平易に、普通に、しかし誰にもできないようなことができてしまう。
これが卓越した接客者だけが持つ強みの源泉になっている。

前話: 04.4人の卓越した接客者
次話: 06.第2の扉 パラレルワールド(並行世界)

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04.4人の卓越した接客者

私がはじめて卓越した接客者に出会ったのは2001年のことで、それまでは「卓越した接客者」というものが世の中に存在することさえ知らなかった。
この年2人の人物に出会った。
1人は、既に書いたオステオパシーの先生で、もう一人は幼児教育と親子のカウンセリングを行っている先生だった。

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2人とも仕事に必要とされる様々な技術を使うが、技術者として優れていることではなく、あくまで接客者としての切り口で優れているところを取り上げていると考えてほしい。
それまで「卓越」を目にしたことがなかったため、最初私は、2人とも「素晴らしい」先生であり、「素晴らしい」接客者だと思い込んでいた。
または人間的魅力のある人だなと思っていた。

それからたっぷり2年が経った2003年頃になってようやく、彼らは普通の「素晴らしい」接客者とは何かが違うと思いはじめた。
それは多分に感覚的なことで、表現が難しいのだが、尋常でない何かを持っていることに気づかされた。

オステオパシーという治療法を使う先生は40代の男性で、その道20年の経験があった。
その頃私が不思議に感じていたことは、2年前と同じ技術を使わなくなっていたことだった。
しかし完全に使わないのではなく、必要に応じて使い分けていた。
既に高い技術力(私の8年間の苦痛をわずかな期間で完治させた技術力)が、さらに磨かれていた。
間違っても以前の能力が低く、レベルが高くなったために以前の技術を使わなくなったのではなかった。

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むしろ技術者である以前に、先生ははじめからたとえばお腹や胸の上、あるいは足に手を当てただけで、今何がどう悪いのかの関係性を見ることができた。
頭に手を当てれば脳、神経、頭蓋骨、脳髄液の何をどのように調整する必要があるかを読み取った。

感じたことが技術の変化だけであるのなら、単に技術者として私たち素人が伺いすることができない高いレベルで精進し、より優れているということになるのだろう。
しかし変化は私自身にも起こった。

私は私の体の微妙な変化に敏感になっていた。
どうしたわけか「今日は胆嚢の働きが悪い」「今日は右の腎臓が上がっている」などと理解できるようになってしまった。
体の関係性も手に取るように理解できるようになった。
その日の肩こりが、肝臓が悪いために筋肉が引っ張られて痛みが出ているのか、視神経の疲れが影響しているのか、根本的な原因がわかるようになっていた。
これは不思議な体験だった。

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確かに、多少なり知識を教えてもらったり、自分でできる呼吸法を教えてもらったりすることはあった。
大きくうなずくような話をしてもらったことも数多くある。
しかしそれでこのような自覚症状が出たとは到底思えなかった。
これは一体何なのか?おぼろげな形が見えてくるまで、さらに3年を必要とした。
相手の何かを本質的に変えてしまう、あるいは影響を与えるというのは、もう一人の卓越した接客者でも見られた。

幼児教育の先生は40代の女性で、彼女はいつも四方山話をするように子供たちやお母さんたちの話を私にしてくれた。
その話がとても不思議な話だった。

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彼女は元々、幼児向けの教育教材を販売していた。
それ以前は建築事務所で図面を引く仕事をしていた。
人に接する仕事すらしたことがなかった。
幼児向け教材販売の仕事をはじめてまもなくすると、同期の販売員はもちろん会社内においてもトップの成績を残した。
なぜそれほどまでに販売することができたのか。
私は一度そう質問したことがある。

「(お客さんが)みんな電話で相談してくるから」
「子供や家庭で悩んでいることに、相談に乗ってあげただけ」

拍子抜けするほど、販売の秘訣でもなんでもない答えが返ってきた。
トップセールスマンを研究したことのある人であればわかると思うが、このような回答はトップセールスの世界の中でもかなり珍しい。
彼女は販売の仕事を通じて知り合ったお客から頼られた。
お客は彼女に「販売員を辞めても相談に乗ってほしい」とせがまれ、事実販売員の仕事を辞めてから幼児教育のカウンセラーを自分ではじめてからも懇意に相談に乗った。

私はこの話を聞きながら、なぜそれほどまでに人が慕い集まってくるのかということが気になった。
あるいは、人に甘えない自閉症の子が彼女にはすぐになつき、あるお母さんから電話で「子供が白いご飯を食べない」という相談を受けた彼女が、その原因はおかずの塩の分量にあると断言できたのか。
通常の考え方では説明がつかないことが次々起こっていることに気がついた。

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超感覚と呼ぶしかないようなことすらあった。
ふと、あるお母さんの顔が思い浮かぶと彼女はすぐに電話を入れる。
思い浮かんだお母さんが、不安を抱えているのではないかと心配になるという。
すると決まって相手は「ちょうど相談したいことがあった」と話すのだという。
それでいて当人はそれが特別であるとも、特別なことをしているという気もなく、ただ「最近の話」としてうれしそうにそのような話をする。

これも全く不思議な話だった。
しかし明らかに「素晴らしい接客」とは何か違うことをしていると感じた。

2003年という年は、私がこの2人の卓越した接客に気がついた年でもあるが、別の2人に出会った年にもなった。
1人は若い頃にフランスで修行をした男性の美容師で、現在都内に3店舗の美容室を構えている。
オーナー社長でありながら、現役の美容師として腕を振るう。

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私は中学生の頃から美容室で髪を切ってもらうようになり、クセ毛に悩んでいたこともあって、当時からヘアアイロン、整髪料、ヘアケア製品などを欠かしたことがなかった。
ヘアカタログも必ず買い、髪についていろいろと勉強もした。
海外に住んでいた頃も日本人の美容師を探し当て、希望する髪型になるように切ってもらっていたし、毎日の食費に事欠くような貧乏時代にもなるべく安く腕のいい美容師を求めて探し回った。

始めて東京に住んだときは、腕の良い美容師を探して何軒もの美容室を試しては失望し、それを3年繰り返した。
そしてある日、たまたまその美容室に行き当たった。

最初の日のことをありありと覚えているわけではない。
しかし、既に2人の卓越者の不思議を感じていた私は、その美容師から同じような空気を感じ、違和感を持った。
「素晴らしい接客」では説明できないと思った。

そして数回カットをしてもらうと、また不思議なことが起こった。
私はいつの間にか髪型の希望を言わなくなった。
ただその美容室に行って座るだけになった。
必要な時にだけ美容師が「この先半年、1年で髪型をどのようにしたいのか」などと抽象的な質問をすることがあっても、いつもされるがままに切ってもらうようになった。
そしてカットが終わると、毎回ため息が出るほどフィットしていることに驚いた。

断っておくと、私は美容師泣かせのお客である。
髪やカットの状態にはこだわりがあるし、手抜き、中途半端はもちろん許せない。ある程度技術を見抜く力もあるし、カットが素晴らしくてもセットが多少乱れるだけで不快になる。
そんな私が、この美容師を前にして借りてきた猫のようにおとなしくなり、不満など覚えたためしがないのだ。
それは私だけのことではなく、私が紹介する他のお客にも当てはまっているので、主観一辺倒というわけでもない。

最後の1人は、ビジネスを通じて知り合った30代の女性で、その当時彼女は、英会話ビジネスを行いたいと考えていた。
元キャビンアテンダントで、引退した後は通訳、翻訳の仕事、キャビンアテンダント受験の先生など、多岐多才ぶりを発揮していた。
仕事はなぜか向こうからやってくるものであり、引く手あまただった。

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紆余曲折を経て彼女は出産し、それによってビジネスを行うことは断念したものの、現在は再びキャビンアテンダントに返り咲いている。
キャビンアテンダントは既にご紹介した3人とは異なり、基本サービスを直接提供する接客ではない。
トータルサービスをコーディネートする接客である。
基本サービスは飛行機とパイロットが提供する。

私はトータルサービスをコーディネートする接客の経験が10年ほどあり、かつ百数十回のフライトを飛んでいるので、キャビンアテンダントの接客を受けたことも決して少なくはない。
直接には彼女の接客を受けたことはないが、日本人ではじめてヴァージンアトランティック航空で表彰された実績がその実力を証明してくれる。

ただし、この時点ではまだ「素晴らしい」接客の可能性がある。
私が彼女と付き合う中で感じた不思議と確信は、人間関係の交友の広さと深さの両方を併せ持つことだった。
それはただ単に仲の良い友達が多いというレベルではなかった。
気の合うおしゃべり仲間は全国(国外にも)におり、高校時代の友人とも元の航空会社のキャビンアテンダントとも関係が切れずに親しくしている。
それでいて浅い関係は浅く、狭い関係は狭く持ち続ける。
ほとんどの人が一度彼女と知り合うと、なぜか縁と関係が切れることがない。
たとえ5年間連絡が途絶えても、ほとんどの関係は全て復興される。

実際、私は彼女のスモールビジネスを手助けしていて、あるキャビンアテンダントのサイト運営を手伝っている。
そのサイトは、これからキャビンアテンダントを目指す人へのテストのヒントや、現役・引退両方のキャビンアテンダントのコラムなどが紹介されている。
彼女はその中で自分の経験を綴ったブログと、これからキャビンアテンダントを目指す人向けのコラムを書いている。
そして、それらの情報については特に質問などを受け付けていないにも関わらず、サイトに関するお問い合わせのページから、彼女にアドバイスを求めるメール頻繁に届く。

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その問い合わせのメールに対して、丁寧に回答をした結果、感謝のメールを頂くことはよくあるのだけども、その後希望する航空会社に受かったのか落ちたのか、落ちたのであればこれからはどのように自分の道を歩もうと考えているのかなどの詳細が書かれたメールが定期的に何通も届く。

それはお世話になったお礼や、先生に対する敬愛のメールではなく、親しい友人が感謝をしながらも近況をお知らせしたいという感じのものである。
こういうことが当たり前のように起こる。
それも頻繁に起こっている。
この人間的魅力が、不特定多数のお客に発揮されるとどのようになってしまうのだろうか。
想像しただけで空恐ろしさすら感じさせる。
そこにはやはり、単純に「素晴らしい」で片付けることができない何かがある。

これが、この4人をして、私が「卓越した接客者」であると認め、「卓越」を考えるきっかけとなった理由である。
多分に感覚的な判断を含む。
しかし彼ら、彼女らは一様に「とても素晴らしい」「感激した」では済ませることのできない「何か」を持ち合わせている。
私の主観はもちろんのこと、実際に彼らの実績がそれを示している。

それは同じように満足した、感動した、嬉しかった、ありがたく思うなどの言葉でも言い表すことはできない。
あえて言うのであれば、ある種の畏れ、敬服、奇跡すら感じさせる何かである。
説明のできない何かがある。

それが一体何であるのかは、このトピックスを読み進める上でひとつひとつ明らかにしていくけれども、ともあれ、まずはこの4人が「卓越した接客者」の基準であるということを知ってほしい。

また実例の一部には、この4人ではない別の接客者のケースを取り上げることもある。
これは「卓越」を生みだす全ての条件を満たしていないため、完全に「卓越した接客者」であるとは言い切れないものの、ある要素においては「卓越」していることが明らかなため、実例としてのみ引用することにした。

しかしまだ「卓越した接客者」のイメージがうまくつかめないかもしれない。
そこで大リーガーとイチローの関係を思い浮かべてみてほしい。
大リーグはご存知の通り、世界の野球の頂点に君臨する。

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チームは全部で30チームある。登録選手枠などもあるが、ここではわかりやすく9人で試合をすると仮定する。
すると270人のプレーヤーがいることになる。
この270人は、一流選手である。

では、イチローは他の選手と同じく、ただの一流選手だろうか?
素晴らしい選手なのか、卓越した選手なのかどちらなのだろうか。
おそらく卓越した選手という答えが正しいだろう。
彼は結果も記録も秀でている。自己革新をし続けている。
活躍し、お客にパフォーマンスも提供する。
何より多くの人から愛され、応援される。明らかに他の大リーガーとは一線を画す。
これが「卓越した接客者」のイメージ像である。

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前話: 03.「素晴らしい接客者」と「卓越した接客者」のイメージ像
次話: 05.第1の扉 虎はなぜ強いのか

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03.「素晴らしい接客者」と「卓越した接客者」のイメージ像

素晴らしい接客者は、そう頻繁に見かけるわけではないけれども、イメージすることは難しくない。

たとえば私がよく利用するレストランでは、店員の何名かが私の顔と名前を覚えてくれている。
私が肉類を食べないことも記憶に留めてくれていて、注文した料理からさりげなく肉を省いたり、他の食材に変えてくれていたりする。
笑顔で接してくれ、以前話した話題を覚えてくれている。

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他にも、我が家の犬をトリミングするお店では、トリマーが飼い主(私)の意向を覚えていてくれ、トリミングやシャンプーが終わると、その犬に合ったスカーフや小物で爽やかにアレンジしてくれる。

あるいは、数回しか訪れたことのないお店で領収書の名義を覚えていてくれたり、衣料品店で服を見ているときは距離感を取り、いざ試着をしたくなったときにタイミングよく声をかけてくれたりする接客者もいる。

そうかと思うと、依頼の要件を迅速に処理してくれ、こまめに報告の電話を入れてくれる社会保険労務士がいれば、宅配便の電話担当者で未だどこに送るかが決まっていない荷物の配送に対して、懇意に相談に乗ってくれる接客者もいる。

彼らは全て「素晴らしい接客者」である。
素晴らしい接客者にサービスを受けると、それを受けた人は幸せな気持ちになる。あの人に(あのお店で)サービスを受けて本当に良かったと安心できる。
これが素晴らしい接客で、このような接客者はめったにいないにしても、実際に経験したことがある人も多いのではないかと思う。

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素晴らしい接客者に共通しているのは、彼らは一様に「お客を不満足にさせない」ということである。
そしてそれだけではなく、かなり高い確率でお客に喜んでもらうことができ、時に満足してもらい、感謝してもらうことがある。

1人の人間として気持ちの良い笑顔をする人が多い傾向にあるし、話をするのも人の話を聞くのも好きだという人が多い。
お客に喜んでもらうことができれば自分も嬉しく思うという心持ちの人は少なくないし、お客が今何を望んでいるのかを敏感に察知して、それが問題であれば解消し、欲求であれば満たすことのできる「素晴らしい接客者」も数は少ないが確実にいる。

つまり「素晴らしい接客者」はやはり素晴らしいのであり、悪く言うことは難しい。
そのような接客者を捕まえて不満を漏らせば、言った方の人間性が疑わる。
彼らは言わば一流の接客者であり、一流の接客者に支えられたサービスは、限りなく一流のサービスに近い。

しかし、一流はどこまでも一流であり、超一流ではない。
卓越した接客者は、超一流の接客者である。

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超一流という言葉を聞くと、私たちは1人当たり3万円の超高級レストランや、1泊最低5万円のラグジュアリーホテルを思い浮かべてしまう。
あるいは、伝統的な老舗をイメージするし、気取った婦人や葉巻を吸う紳士がいるのではないかと身構える。
それはしかし、価格帯と顧客層が高額所得者たちを対象としているだけであって、それがそのままイコール超一流の接客というわけではない。
高級であるか低価格であるかは「卓越した接客者」を生み出すこととは関係ない。

しかし卓越した接客者を定義するのは思いのほか難しい。

企業を調査するのであれば、たとえば創業50年以上の企業、一部上場企業、年商100億以上の企業などと定義して、比較することができる。
もしくは業種業態別に比較することもできるし、従業員の人数で分けて規模を合わせることもできる。
ある程度の段階まで数字を基準に判断することができる。

しかし接客者を数量で判断するのはほとんど不可能に近い。
勤続年数、年収、年齢などで接客者の質を測ることはできない。

それではということで、18の質問によるアンケートによって、比較と傾向を調査しようと試みようとした。数量ではなく、考え方や実行動などを集計によって判断しようとした。しかし最も初期の段階でそれは不可能であるということを悟らざるを得なかった。

なぜならまず、提供するサービスと企業のコンセプトによって接客者教育が変わり、それによって仕事の何に価値を置くかがバラバラだった。比較や統計の前提を満たすことができなかった。

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さらに、接客の仕事を3つの種類に分類できるということを既に書いたが、それぞれの仕事によって重視することに大きな違いが生まれた。
仕事によって分類し、比較すると「接客者」ではなく「接客の仕事」を軸にしなくてはならなくなった。

最後にこれが最も大きな理由で、アンケートは「卓越」「素晴らしい」を判別するためのものではなく、卓越と素晴らしいの「差」を知るためのものだった。
しかし、これは後に明らかになったのだけども、「卓越」「素晴らしい」の間には、生き方や個人の物事の捉え方、感性などが深く関わっており、またそれを自覚していない人もいて、それをアンケートで明らかにするには無理があった。

それでも卓越した接客者は確かに存在するし、素晴らしい接客者と差があるという「結果」だけはわかっていた。
それはあたかも、数式の答えだけが示されている数学の問題のようなもので、xやyを導き出す方法を探すところ(公式探し)からはじめなくてはならなかった。
数字によって定量的に測ることができず、アンケートによって統計でも調査できないとなると、最後の手段としてやむを得ず、私自身の経験を使うことにした。

この方法は、この本のような「法則」を導き出す時に最も避けるべき方法であると今も思う。
そもそも経験は「自分の」経験であって、それは偏りを生み出す。
個人の意見を発信するのは自由だと思うが、物事の正しさを語るときに個人の意見は必ずしも必要とされるわけではない。
必要なのは真実である。
そこで私は、主観が偏りを生み出さず、限りなく公平にするための方法をいくつか実行することにした。
さらに、それでも偏りが生まれる場合に備えて、もう1つ別の手を打つことにした。

公平にするために私はこのような4つの方法を取った。
まず、誰か1人の接客者を捕まえて「この人は卓越した接客者であって、素晴らしい接客者ではない」と判断をするのに、その接客者の提供しているサービスの背景とスキルを熟知しているか、徹底的に学ぶことができるものにした。
そして自分もそのサービスに対して綿密な知識と経験を得ており、何が正しく何が間違っているかを正確に判断できるレベルになるように努めた。

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たとえば、卓越した接客者の1人にオステオパシーという技術を使って体を治療する先生がいる。
その先生に出会ったのは私が28歳の時だった。
私は18の頃から東洋医学と食餌療法を独学で学び、20歳前に菜食主義を1年試みていた。
また20歳からこの先生に知り合う28歳までの8年間、肩こりと強烈な偏頭痛に悩まされていた。
これに対して様々な漢方薬、マッサージ、針治療、整体などを試し、治療を受けるお客として知識を高め、経験していた。

このようなバックグランドに約10年の知識と経験があり、かつこの先生と知り合ってから(肩こりと偏頭痛は嘘のように完治した)、オステオパシーの技術と体のメカニズム、内臓の役割と関係性などを勉強し、実生活では菜食中心の食生活に戻ったことをはじめとして生活習慣を変えた。
私自身の知識と経験が、接客者を正確に見極めるために必要なレベルにまで高まっている前提で、オステオパシーの先生を卓越した接客者であると判断した。

このトピックスでは、卓越した接客者として4人をモデルとしている。
その4人全てに対して、オステオパシーの先生に対するのと同等の知識と経験が私にあることを前提にした。
卓越した接客者であることは明らかでありながらも、私自身に知識、経験、判断材料、情報が不足している接客者は全て対象外とした。

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次に、卓越した接客者にはインタビューを行った。
インタビューの内容は先に作った18の質問からなるアンケートをベースにしたものの、質問は相手の状態や重視することに合わせて行った。
私の仮説中心の理論ではなく、インタビューによって卓越した接客者にだけ共通したポイントに着目することで公平さを意識した。

ただしこの方法はある欠点があった。
物事をうまく行う人の統計や共通点は、確かに私たちに大切なことは何であるかを教えてくれる。
しかし、それはエキスの抽出であり、サプリメントでしかない。
6と8の最大公約数は2なので、2が大切なエキスであると言っていることになってしまう。
確かに2は両方の要素を満たして大切だが、それだけでは6も8も形作られない。

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そこで、アンケートの共通項を元に「卓越した接客者」に共通するポイントを明らかにすると共に、なぜそのような共通項が現れたのか、彼らがそのポイントをどのように応用したのか、などの解明と解釈は私が仮説を検証して法則化した。

さらに、私が「卓越した接客者だ」と感じてから、その人の提供するサービスを3年以上受けているか、3年以上の人間関係があることを前提とした。
期間を条件に組み込んだのは、判断に十分な時間をかけたかどうかということと共に、その接客者が普遍的に卓越しているのか、それとも一瞬だけ卓越したのかを判断するためである。

実際にはサービスを直接受けたことがなく、私個人と人間関係によってつながりがある接客者は、これまでの付き合いの中で接客に対する考えや実績を深く伺い知ることができ、実績を示したということが明らかな人に限定した。そうでない人は除外した。

これらとは別に、接客者の調査は現役に限定した。
過去、接客者として活躍し、現役当時に一定の評価と実績があった人であっても、現在は接客教育などを行う立場にいる人は除外した。

これは、接客教育やコンサルティング、経営者に従事している元接客者に、教育者、アドバイザー、マネジメントの能力が含まれていることを意味する。
別の能力を持つ人には、その能力を兼ね備えた視点での接客の考え方があり、その考え方は純粋な接客の違いを判断するのに混同する恐れがあるため省くことにした。
公平な判断のために、以上の4つの条件を設けた。

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それでも偏りが生じる場合に備えて、私の視点がどのようなものであるかを先に知ってもらうことにした。
それを、このトピックスの残りを使って全体像と共に紹介していく。

まず、私が「卓越した接客者」の存在を知るようになってからのストーリーと、ここで取り上げる卓越した接客者がどのような人たちであるかの解説をしておこうと思う。
読者の皆さんは、私の考え方、物の見方の中から主観であると感じたところを差し引いて読み進め、真実を見出してもらえればと思う。

前話: 02.接客の仕事 3つの種類
次話: 04.4人の卓越した接客者

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02.接客の仕事 3つの種類

卓越した接客が何であるかを考える前に、どのような接客者が卓越した接客者であるかということを見ておきたいと思う。
さらにその前に、接客者がどのような仕事をする人であるかも少しはっきりとしておきたい。

接客者は皆さんもご想像の通り、人に接する仕事をしている人である。
文字通り、客に接する者として接客である。

ただ、人に接する仕事全てを含んでしまうと、営業マンも接客者ということになってしまう。
そこでここでは、「サービスを提供するときに人に接する人」を接客者としたい。

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営業マンはサービスを販売したり、説明したりすることはあっても、直接にサービスを提供しないので除外する。
ただし、服飾を販売する店舗の店員のように、営業も行うし、洋服を提供することでサービスも提供するという人は接客者として対象にする。

接客の仕事の種類を3つに分けることができるので、それを先に知っておこう。
接客の仕事とは、サービスをどのように提供するのかによって3つに分けられる。

まず、

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がある。
たとえば、高速道路の料金所や、映画のチケット販売や、空港の搭乗手続きなどの仕事がある。
これらの仕事は人が行わなくても構わないが、人による仕事ととしてサービスに組み込まれている仕事である。
仕事内容は単純作業が多く、1つの目的だけ(料金を支払う、チケットを発券するなど)を満たすために接客が行われる。
機械が人に代わってサービスを生み出すことも可能で、駅の自動改札や高速道路のETCなどがこれに当たる。

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この仕事は、単純作業で1つの目的だけを満たすため、お客との接触時間が短く、人に接する仕事というよりは業務を実行する仕事である。
また、機械が代わることもあるため、このタイプの接客はこのトピックスでは取り上げない。
この接客の仕事には「素晴らしい」「卓越した」も当てはまらない。機能として優れているかどうかで評価される。

次に、

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がある。
たとえば飲食店では来店からはじまって、オーダーを受け、料理を運び、会計を行う。
ウエディングプランナーは挙式相談の予約を取り、カウンセリングを行い、式全体のコーディネートから、新婚旅行後のアフターフォローまでを通じて接客を行う。
この種類の接客は、サービス全体が接客者によって生み出される。
その反面、サービスの一番の核となる「基本サービス」を、接客者は直接提供しないという特徴もある。
飲食店の「基本サービス」は料理そのものであり、ウエディングプランの「基本サービス」は式と式場によって提供される。
ということは、このタイプの接客者にとっては、サービス全体を形作ることが接客の仕事となる。

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最後は、

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である。
たとえば、ジムのインストラクターの場合、エクササイズを指導する仕事が、直接基本サービスの提供につながっている。
カウンセラーはお客の話を聞き、一緒に問題を特定したり、解決の方法を伝え実践してみたりすることが接客の仕事であり、基本サービスの提供でもある。
このタイプの接客者は、技術提供者であることが多い。
自分の経験や知識をサービスとしてお客に直接提供する。
したがって、基本サービスを提供することが接客の仕事となる。

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これからこのトピックスを進めるにあたって、「トータルサービスを形作る接客者」「基本サービスを提供する接客者」の、2つのタイプの接客者にスポットライトを当てていく。

接客者の仕事として、ターゲットとなる接客者像がイメージできるだろうか。
次に、素晴らしい接客者と卓越した接客者の違いを見ていこうと思う。

前話: 01.卓越した接客の法則
次話: 03.「素晴らしい接客者」と「卓越した接客者」のイメージ像

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01.卓越した接客の法則

最高の接客というものが、世の中にはちゃんと存在します。
このことは多くの人が知っていることであっても、その最高の接客の中に素晴らしい接客と卓越した接客があることに気がついている人はほとんどいません。

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素晴らしい接客と卓越した接客は、お客としてサービスを受けるときにその違いはほとんどわかりませんが、内実は全く違ったものです。
両者の違いを比較しながら、卓越した接客者を目指すための法則を導き出します。

「卓越した接客」「素晴らしい接客」は、源氏と平家である。
2つは相容れない。
敵である。

世の中にはまだまだ「素晴らしくない」「ずさんな」「対応の悪い」接客が数多くある。
そのような接客業の中で「素晴らしい接客」は、素晴らしいサービスを提供してくれるとしてお客の心をひきつける。
お客はその接客によるサービスを安心して受けることができる。

しかし、実際にはこの「素晴らしい接客」が接客とサービスをダメにしている。

「悪い」という物事を「良い」に変える方法と、「良い」という物事を「ベスト」に導く方法は違う。

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たとえば、病気を治すという方法と、健康にするという方法は異なる。
病気は医者が体の病原菌を取り除くなど、不備を正常に戻すことで解消される。
治療によって病気を排除する。
一方の健康は体の機能が正常な上で、有酸素運動をしたり、食生活を改善したりすることなどで促進される。
治療ではなく運動や予防によって作られる。

あるいは、広く知識をつけることが目的の小学校の教育と、専門分野を学ぶ大学の教育も方法が違う。
小学校では、担任の先生が広い分野の知識を、なるべく1人1人面倒を見ながら教えていく。
様々なことに興味を持たせることも必要とされる。
一方大学では、専門分野の教授が、ひとつのことを深く教える。
学生に興味を持たせることよりも、興味を持った学生に知識をつけることが望まれる。

同じように、「素晴らしい接客」「卓越した接客」は、それを生みだす方法が違う。
考え方も違い、行うことも、目的にするものも違う。

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ことで作られる。
たとえば、対応を良くする、サービスの提供を早くする、不満足を感じてもらわずになるべく満足や感動をしてもらう、などを行う。

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これに対して

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ことで作られる。
良くすることを無視するわけではないが、良くすることよりも追求することに力を入れる。

しかし現場の接客は実際には「良くする」ことに力を入れる。
具体的にいうと、顧客満足や感動を喚起し、ホスピタリティ溢れるサービスを実行しようとする。
コミュニケーション力をアップし、適切な敬語の使い方や礼儀作法などを大切にする。
この方法で卓越した接客を目指すとき、健康な人が治療をし、小学校の先生が大学生に教えるのと同じで、それはかなりの間違いを含んでいる。

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「素晴らしい接客」自体が間違いであるわけではない。
悪い状態は「素晴らしい接客」を目指すことで克服されなければならないし、そうでなければサービスの程度は低いものになってしまう。

しかし素晴らしい接客者が増え、店舗や会社が良いサービスを提供することができるようになったら「卓越した接客」を追及するようにする。
なぜなら「悪い」「良い」に変える方法は、たとえそれが相手を満足させることであるとしても、背景に「悪くしないため」という考え方があるからである。

たとえば「心配り」は、それを行わなかった時に感じる顧客の不満足を避けるという前提がある。
クレーム対応は、クレームによって問題が拡大しないようにするという目的を持つ。
物事を行うとき、この「悪くしないため」という前提は、長い目で見てその物事を失敗させる。

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ダイエットを太らないために行うことと、痩せるために行うことは違う。
同じように病気にならないために気をつけることと、健康になるためにはじめることは違う。
テストに落ちないように勉強することと、深く学ぶために勉強することも同じではない。
スポーツで相手に負けないために練習することと、勝つために練習することは異なる。

「悪くしないため」に何かを行うと、目先はクリアに見えるものが、長い目で見ると何を目指しどこに行こうとしているのか、なぜそんなことをやっているのかがわからなくなってしまう。
もっと悪いことに、その方法が習慣となって、もっとも正しい方法だと錯覚しはじめる。
成果が出ない原因を、努力不足や経験不足など目に見えないものに求めるようになる。

どうしてこのようになるのか、そのメカニズムは順を追って見ていくけれども、しかしそれは、お客としてサービスを経験している人であれば誰もが知っていることでもある。

「素晴らしい接客」がサービスや接客をダメにしてしまうのは、新しい考え方でも発見でもなく、世の中のお客がみんな知っていることの再確認でしかない。
だから実は、お客の声に真剣に耳を傾ける接客者やサービス事業者はこの事実を知っている。
数は少ないにしてもちゃんと存在している。

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ただ、平家の天下はうんざりだけど(「素晴らしい接客」では限界があることはわかっているのだけど)、では誰が天下を治めたらいいのだろう?という疑問を感じていて、その答えがわからないことに悩んでいる。

答えである、天下を治めるのは源氏なのですよ(「卓越した接客」が接客をベストに導くのですよ)という事実の全体像を、これからひとつずつ明らかにしていきたい。

前話: 第17章 05.相互の関係で生まれる明日
次話: 02.接客の仕事 3つの種類

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05.相互の関係で生まれる明日

サービスが個人に感情をもたらす。
サービスによってもたらされる感情には、満足、感動、感謝がある。
ではサービスが個人にこれらの感情を生み出すとして、サービスの明日に何がもたらされるのか。

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サービスに満足した利用者は、そのサービスを利用し続ける。
利用し続けることでサービスが機能し続け、そのサービスがもたらす社会貢献は促進される。

サービスに感動した利用者の中には、感動の伝達者になることで、そのサービスを促進する働きかけを行う人が出る可能性がある。
この心理の展開によってブランドは強化され、社会的にサービスが正しく認知される。
あるいは、感動のサービスにヒントを得たサービス事業者が、自社のサービスのしくみと接客を改善したり、コンセプト中心のサービスを見直したりするきっかけを持つことにつながる。

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サービスによって感謝をもたらされた利用者の中には、そのサービスを提供する側に立ちたいと考える人が出ることがある。
医者によって命を救われたので、命を救うサービスに携わろうとする人が生まれる。
サービスを必要としている人に次は自分が提供することで感謝してもらい、感謝した人がまた人の役に立つサービス業に就くという、サービスによる貢献の循環を作り出すことも不可能ではない。

サービスが個人にもたらす感情は、このようにしてサービスの明日を促進させる効果がある。

サービスは社会に対して活動する。
しかし利用者は個人であり、私的にそれを利用する。

お客が私的にサービスを利用するとき、サービスはお客に感情の喚起をもたらす。
その感情は私的にサービスを利用しながら、公的に社会に還元する作用となって反映される。
私的利用と公的貢献が相互作用しはじめる。

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人は、社会で自分の役割や位置を確認することができなくなったとき、生きていることの意味がわからなくなる。
サービスが個人に感情をもたらすとき、人はサービスを利用することで社会での自らの位置を見出し、役割を知り、かかわっていくことができるようになる。
そして自分の役割を、サービスを通じて社会に還元することで提供者となり、再び利用者に感情をもたらす。

これが、サービスが個人にもたらす明日であり、サービスの明日はその個人によって作り続けられる。

前話: 04.サービスがもたらす感謝
次話: 第18章 01.卓越した接客の法則

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04.サービスがもたらす感謝

サービスはそれを提供した後、個人に対して感謝をもたらす可能性がある。
ただし感謝だけが満足・感動とは異なり、戦略的にサービスに取り入れることはできない。

満足と感動は、行動としての不満足の解消に直接結びつく。
不備を解消するサービスが不満足を解消する。
その不満足の解消が、そのまま満足と感動につながるように、プログラムすることができる。

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しかし感謝は、不満足の解消行為だけでは直接結びつかず、同時に別の条件が満たされる必要がある。

感謝は、ありがたいと感じたときに生まれる感情である。
では人は、どのような場合にありがたいと感じるのか。

生命に関わるなど強度の不備に対して、同じく強度の不満足を感じている状態を解消するとき、感謝される可能性が生まれる。
強度の不備と不満足。
両方が解消されることが、感謝をもたらす前提条件になる。

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たとえば、不治の病という不備を解消する場合であっても、患者がこれ以上生きる希望を持っていなければ、病気が完治しても感謝は生まれない。

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である。

逆に生きる希望を与えることで不満足を解消している状態であっても、病気が治らないことで感謝が生まれない可能性は残る。

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である。

サービスが感謝をもたらすには、強度の不備の解消、強度の不満足の解消という2つの条件を満たすことが前提として必要になる。

しかし両方の条件を満たしていても、感謝されないことはある。
この場合は、第3の条件を満たす必要が生まれる。
お客はサービスに効用を求める。
この効用と、不備の解消、不満足の解消の3つが完全に一致しないと感謝は生まれない。
効用が合っていない場合や、弱い場合に感謝は生まれない。

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重い病気という不備・不満足を完治することで解消したとしても、たとえば代償として片足を失うことで人生に失望する場合などに感謝されないことがある。
それは患者の効用が「五体満足で元の生活に戻ること」であるときに起こる。

これら3つの条件がクリアされたとき、サービスを通じて感謝が生まれる可能性が生まれる。
実際に少なからず感謝を生み出すサービスは、前提として強度の不備を解消するサービスに多く見られる。
医者、弁護士、製薬会社、介護関係、保険などがこれに当たる。
しかしこれらのサービスのどれも、必ず感謝されるとはいえない。

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同じ状況で、同じ不備、不満足を解消し、効用が一致していたとしても、確実に感謝をもたらすとはいえない。
病気が完治し、それによって不満足も解決し、五体満足で退院することができても、お客の心理を将来の不安が占める場合などに感謝されない可能性はある。

逆に小さな不備、不満足を、それとなく解決することで大きな感謝をもたらすこともある。
感謝をもたらすことができるかどうかは、最終的に相手次第である。
サービスによって感謝してもらうことができるという発言は、自意識過剰であるだけでなく、無責任である。

感謝は不備、不満足、効用の前提条件によってはじめて可能性が生まれる。
しかも最終的には相手に依存する。

よって戦略的にサービスに組み込むことは困難である。
部分的に組み込むことができるのは、強度の不備、強度の不満足、効用の一致の、3つの条件が重なり合う分野だけである。

その他のサービスで感謝が生まれるのは、お客が何らかの理由で突然不備・不満足の状態に陥り、接客者がサービスの範囲を超えて緊急的にそれを解消する場合か、感謝する気持ちを持った人間味のあるお客の場合だけである。

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したがってしくみ構築の条件でもある緊急時の対応は、このような状況を想定してマニュアル化される必要がある。
しかし、サービスは接客によって作られるものではないので、これは信頼活動(人間的役割)によってもたらされる特殊なケースと考えた方がいい。

前話: 03.サービスがもたらす感動
次話: 05.相互の関係で生まれる明日

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03.サービスがもたらす感動

サービスは、個人に感動をもたらす可能性がある。

社会に対しては感動を生み出さない。機能を生み出す。
人に対しては効用を満たし、不満足を解消することで同時に感動を生み出す可能性がある。

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感動は瞬間的に感情が高まることをいう。
感情の方向は喜びであって、悲しみや怒りではない。
感動を生み出すプロセスは2つある。

ひとつは、予想すらしなかったことが起こったとき。
もうひとつは、ストーリー性のあるドラマが明らかにされたときである。
前者は一瞬で起こり、後者は徐々に起こる。

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誕生日に友人数名と、イタリアンレストランを利用するとする。
一通り出る料理の中で、母親の味噌汁にそっくりな味の味噌汁が提供される。
友人が、「主賓は母親の味噌汁が一番好きだ」とレストランに伝え、レストランはその友人を介して主賓の母親にあらかじめレシピを聞く。
そしてそのレシピに忠実な味噌汁を作り、イタリアンであるにもかかわらず味噌汁を出す。
このようなときにサービスの受け手は感動する。
可能な限り全ての予想範疇に入っていない物事が起こったからである。

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ただしサービス提供者はこのような感動の喚起を、しくみで定めた範疇で行う。
そしてベテランの接客者によって提供される必要がある。
少なくとも特別利用者を相手にすることのできる、レベル3の接客者である必要がある。

しくみで定める理由は、感動を提供する際に利用者によって提供するサービスに差が出るのを防ぐためであり、ベテランの接客者が行うのは、このようなサプライズをサービスの枠を超えて例外的に提供するからである。

予想しない物事を起こすとき、それは感動をもたらすことを目的とするが、必ず感動するわけではないことも同時に予想しておく必要がある。
そのような場合には、別途対応をしなくてはならない。

また、予想しない物事を起こす方法で感動を喚起する場合は、あらかじめ経験上確率の高いものを体系化してしくみに落としておく。
毎回接客者の臨機応変に頼るのではなく、確実に感動してもらうことができる方法を戦略的に行うことを基準にする。

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人はストーリーに引き込まれる。
興味があればなおさらである。
そして、そのストーリーにドラマがあるとき、人は感動する。
ドラマがないストーリーは感動をもたらさない。

映画、本、テレビドラマなどの番組は、このルールに直結したサービスである。
その他のサービスにもこのルールを応用することができる。
結婚式を提供するサービスは、新郎新婦の出会いや子供のころからのストーリーをドラマ化して、式場で映像を流すことがある。

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人は感動するドラマに必ずメインテーマがあることを知っている。
つまりサービスによってストーリーが提供されるとき、お客はこれからドラマが展開するということを心のどこかで予想する。
したがってストーリーとドラマによる感動は、感動することがあらかじめわかっているお客に対して、徐々に感情を高ぶらせ、クライマックスで頂点に達するようにしてもたらす。

ストーリーとドラマによってサービス利用者が感動しながら、それがサービスによってもたらされる感動ではない場合がある。
たとえば提供するサービスの歴史や、商品へのこだわりがドラマ化されることがある。
サクセスストーリーである。

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それを見て感動した人が、そのサービスを利用しようと考えることがある。
これはマーケティングによるブランド構築の一環で、サービスではない。

サービスが個人にもたらす感動は、サービス提供のプロセスを通じて行われる。
サービスが直接感動を提供するのであって、サービスの(立ち上げや、こだわりの)ストーリーに感動してもらうことで生み出されるものではない。

サービスの展開に、

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むしろ提供するサービスの種類や、規模によっては不必要ですらある。
サービスは社会機能である以上、サービスそのものが常態になることを目指す。
人が当たり前に利用するものは感動を呼び起こさない。

水道をひねれば水が出るというのは、技術的にも社会的にも文明的にも素晴らしいことだが、誰も感動はしない。
社会で大きな役割を果たすサービスとはこのようなものである。
しかし、蛇口をひねれば水が出るというサービスも、最初は大きな感動をもって迎えられたに違いない。

感動をもたらすサービスは展開の可能性がある。
しかし、(特に量の)展開に比例して感動は薄れ、徐々に満足に移る。
それも

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反対に、感動の提供をサービスコンセプトにしている場合、感動を軸にサービスを展開し、規模の拡張に注意を払うことで感動が薄れることを防ぐ。
富裕層など、社会的に数%の利用者に対して役割を担う高級ホテル、宝石販売、料亭などがこれに当たる。

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これらのサービスでは、展開よりも感動を維持する「規模」が重要になる。
だから提供するサービスは物理的に少数になる。
展開する場合はあらかじめ限界を見越して行うようにする。

前話: 02.サービスがもたらす満足
次話: 04.サービスがもたらす感謝

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