04.卓越した接客者個人の特徴

卓越した接客者に仕事もプライベートもない。
これは素晴らしい接客者が仕事とプライベートを分けることとは様子が違う。
なぜ卓越した接客者が仕事とプライベートを分けないかというと、強みの特徴にその理由がある。

強みというのは「できてしまうこと」を指す。
この「できてしまうこと」は、当たり前のようにできてしまうので、心の中で上がったり下がったりする感情を生み出さないという特徴がある。
好きではないけれども嫌いでもなく、充実することはないがストレスを感じることもない。

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少し想像力を働かせてみてほしい。
利き手を使って字を書くとき、私たちは好き嫌い、充実やストレスを感じる人がいるだろうか。
「できてしまうこと」とはつまり、利き手で字を書くことと同じで、そこにはどのような感情も生まれない。
ということは、卓越する接客者は起きている間中(あるいは夢の中でも)それを当たり前のように「こなしている」のであって、仕事もプライベートもはじめから存在しない。

人は仕事でもプライベートでも当たり前のように聞き手で字を書く。
誰も、仕事では利き手で字を書き、プライベートでは利き手を休ませるなどということをしないのと同じで、仕事とプライベートを分けることすらしない。
しないというより、

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つまり個人としての卓越した接客者は、四六時中強みを発揮する。
彼らの強みには仕事もプライベートも、その境目もない。

しかし強みを生かす人も、個人として問題がないわけではない。
そもそも強みは、本人が気づきにくいという特徴がある。

強みを知らない人はたくさんいる。
強みを知らなくても無意識で生かしている人はいるので、強みを知らない人は強みを生かしている人よりも多い。

強みを知らない人は往々にして「自分には何の取り得もない」「私はなんて平凡なんだろう」などと思い、能力が低くて上手くできないことが起こってしまうと、自分はなんて駄目なんだろうと思ってしまう。
悪いことに、なんとか能力を身につけ、努力をして自分を価値のある人間にしようとする。
それすらままならない人は、お酒に溺れるなどして現実逃避をすることもあるし、ひどい場合だと自殺を選ぶこともある。

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自分の宝石箱にいくつかの素晴らしい輝きの宝石が入っているのに、外の世界で砂金を掬う技術をうまく身につけることができないと失望する人は多い。
能力を身につけようとすること、努力することは、どちらも生きていく上で必要なことではあるけれども、能力がなければ自分に価値がないと思うことは本末転倒である。
これはスパイダーマンになろうとする努力である。

バイオレンス映画監督として名高いクエンティン・タランティーノの映画に「キル・ビル2」という作品がある。
この映画は1と2を通じて主人公ベアトリクス(ザ・ブライド)が、ビルとその仲間に復讐するストーリーで、その最後のシーンでビルがこのようなセリフを口にする。
このセリフに、強みを生かさず、能力を身につけようとする人の、心のメカニズムを考えるヒントがある。

「スーパーヒーローのキャラの根幹を成すのは――彼らに対する別人格の存在だ
バットマンはブルース・ウエイン スパイダーマンはピーター・パーカー

彼が朝 目覚めた時はピーター・パーカーだ スパイダーマンになるには衣装が要る
この点が スーパーマンは逆で 彼の孤高たるゆえんだ

彼はスーパーマンになったのではなく そう生まれついた
朝 目覚めた時もスーパーマンだ 別人格はクラーク・ケント

Sと記された赤い衣装は――赤ん坊の彼をくるんでた毛布だ
それこそが彼の服で――ケントの時のメガネやスーツは仮装にすぎない
我々 市民の中に紛れ込むための変装だ

スーパーマンから見た人間の姿 それがクラーク・ケントだ
弱くて――自分に自信の持てない臆病者 ケントはスーパーマンが評する人類そのものだ」

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スーパーマンははじめからスーパーマンであるというのが、強みを説明してくれる。
私たちは皆スーパーマンな部分を持って生まれてくる。
はじめからスーパーマンの素質がある。

なのにもかかわらず私たちの多くは、自分がスーパーマンであることを知らず、貧弱で弱い人間だと思い込んでいる。
そして自分はそもそもスーパーマンではないのだから、強くなるためには能力を身につけ、コスチュームを買ってスパイダーマンにならなくてはならないと努力する。
うまくスパイダーマンになることができなければ失望する。
やはり自分は駄目なんだと思ってしまう。
これが強みを知らないために、能力に走る人間心理である。

自分の強みを知らない人は、心の葛藤が引き金となって一生懸命能力を高めようとしはじめる。
そうすることで安心を得ようとする。
しかしこの行為が、無意識で行っている強みの実践までをも止めさせてしまうことになる。
誰もができると思い込んでいること(実は自分だけが秀でていること)は脇に置いて、私も能力を使いこなす素晴らしいスパイダーマンになろうとする。
これは卓越を目指す人にとって危機である。

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素晴らしい接客者がスキルや技術などの能力によって、少なからずお客に満足、感動、感謝などを呼び起こすことがあるのに対して、卓越した接客者のサービスはそのような感情を生み出さないことはよくある。

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ある新幹線の接客者である添乗販売員は、本日の新幹線のお客がどのような人たちであるのかを観察する。
夏休みであれば子連れの家族が多いだろうし、紅葉の季節であれば主婦のグループや高齢者が多くなるだろう。
その添乗販売員は、子連れの家族が多ければカート上段の目立つ場所にお菓子類を配置するように並び替える。
高齢者が多い場合はその同じ場所にお弁当が目立つように配置する。
これによって売上高の成果では他の添乗販売員の3倍という結果を出す。

これはあらかじめ考えられた接客である。
子供が買いやすいお菓子を買って、高齢者もやはり買いやすいお弁当を買って、誰かが満足したり感動したりするだろうか。
満足や感動を生みたければ配置を変えるのではなく、一声かけ、気遣う方がよほど効果がある。

 「ちょうど名物のお弁当を用意していますが、いかがですか」
「お菓子も用意していますが、ご入用でしょうか」

などと一声かけた方がお客の感情を生みだす。
しかし、それでは販売に時間がかかってしまうし、飲み物やお弁当を必要とする他のお客はサービスを受けることができないか、受けるまでに時間がかかってしまう。

満足や感動を生み出さなくても、ちょっと気の聞いた一言を口にすることがなくても、あらかじめお客のニーズに応え、的確にサービスを提供する添乗販売員の方が接客者として優れていることは間違いない。
したがって、卓越した接客者が必ずしもお客に喜んでもらえるというわけではない。

その一方で、卓越した接客者は圧倒的な成果を生み出す。
売上が他の販売員の3倍であることで接客は評価できないが(営業は評価できる)、お客が欲するものを的確に手元に届けていることは圧倒的な成果だといえる。
たまたまその販売員の乗る新幹線に、お菓子やお弁当を欲するお客が多かったということにはならない。

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欲しいものや必要性がある人に、「必ず」サービスを提供するという成果を生み出すことが、卓越した接客の生みだすサービスになる。



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