卓越した接客者のほとんどは、現状に満足していない。
自分をまだまだだと思っているし、完璧に達していないと考え感じている。
彼らは人からの高い評価に対しても決して鵜呑みにせず、否定するかどうかはさておき、内心は冷静に判断する。
修行僧や山伏などとは違い、苦行が目的になっているわけではない。
ちゃんと自分の立ち位置を知っており、何ができ何が足りないかを把握している。
しかし実際には、接客の業務で不完全であることはほとんどない。
どのようなお客にも適切に対応することができる。
完璧に対応できない可能性が数万人に1人あるにすぎない。
しかし彼らはそれを知っている。
もう1つ彼らが知っているのは、時が経てば数万人に1人の割合が、数千人に1人に変わる可能性があるということである。
1つの技術を身につけても、その技術が古くなる可能性があり、仮に技術が古くならなくても「できる自分」に溺れてしまう可能性もある。
技術そのものが改善される可能性があるなら、後から発見されたものを学ばなくては取り残されてしまう。
しかし、こういった外的な要因によって自分を磨くのはむしろ素晴らしい接客者で、たとえばトレンドに影響を受けやすいサービス、競合他社との競争が激しいサービス、インターネットのように日進月歩の技術革新が起こるサービスなどでは、接客者がその影響を受けて新しい自分を作るように心がけることがある。
たとえば銀座の高級クラブでは新聞の内容はもちろんのこと、時事に通じるようにホステスは情報を更新するのが当たり前であるという。
これに対して卓越した接客者は、内的な要因でまず自分を古くする。
内的な要因というのは完璧を求める姿勢にある。
もともと強みを軸に接客を行っているので、強みを掛け合わせることによって誰も真似することができないオリジナルを持つことはできる。
しかし、オリジナルだからといって完璧に機能したり作用したりするわけではない。
まだまだ磨く余地は残る。
オリジナルを完璧にするため、という姿勢が内的な要因になる。
自分を古くするというのは、これまで歩んできた道に縛られないことをいう。
自分を古くしなくては、これまでの経験が基準となってしまう。
別ルートの道を探す努力と手間をかけなくなってしまう。
それでは1つの道にこだわってしまうことで、結局は完璧から遠ざかってしまう。
だからまず、卓越した接客者は自分を古くすることからはじめる。
次に新生する。
これは実際気の遠くなる作業で、寄り道はもちろん、役に立つか立たないかわからないルートを試すことすら真剣に取り組むことを要求する。
しかも追求している間にも接客で成果を出さなくてはならないし、お客を実験台にすることはもちろん許されない。
それでも、彼らはまず古くする。
古くすることから新生をはじめる。
そして古くしたものの
残った少数が本当の完璧に向かって役立つものとなる。
卓越した接客者であるオステオパシーの先生は、2年前と同じ技術をほとんど使わない。
新しい物好きというわけではもちろんなく、完璧を追求するために一度自分の技術を古くする。
技術はフランスやアメリカの研究者が来日した際にセミナーに参加することで身につける。
あるいは医学書やその他の情報を取り入れる。
つまり新生している。
しかし新生してもまた古くする。
実際に2年前の、あるいは4年前の彼の技術をもってしても、大抵の治療はほぼ完璧に行われる。
しかし彼は古くし続ける。
現状に満足すると学びを怠る。
学びを怠ると自分が古くなってしまう。
日々開発される新しい技術がもたらす意味から取り残される。
自分が古くならない唯一の方法は、自分で自分を古くすることであり、彼はそれを知って実践している。
そしてオリジナルはますます完璧に、成果はますます追求されていくようになる。
アメリカの開拓時代。金の発掘と所有を目指して「ゴーウエスト」という言葉が合言葉になった。
ただ金を目指して、西へ西へと道なき道を切り開く。
卓越した接客者の新生は、アメリカの開拓民が西を目指した様子と似ている。
彼らは道なき道を進む。
しかも一度開拓した道は、開拓した瞬間から古くする。
この気の遠くなる作業を延々と行う。
その方法はエジソンが電球を発明した根気強さに似ている。
エジソンは耐久性のある電球のフィラメントを探し出すのに、実に12000回も素材を替えて実験したという。
逸話には「また失敗しました」という助手の発言に対して「うまくいかない方法を発見した」と応えたという話もあり、これをしてポジティブ思考だなどと言われている。
このエジソンの根気強さを指して、物事は成功するまで続けなければならないなどと言う人もいるが、実際にはそんなことはできるはずもない。
もしあなたが電球に変わる何か画期的なものを発明したとして、そして12000回実験を繰り返せば必ずエジソンに並ぶ有名人になるとして、果たしてそれを行うだろうか。
それは根気強さや努力の問題だろうか。
卓越した接客者が「強み」を軸とすることを思い出してほしい。
「強み」は「できてしまうこと」である。「できてしまうこと」はできてしまう。
エジソンは彼の強みを発揮し、完璧にするための行動として12000回の実験が「できてしまった」。
私たちは努力や苦労ではなく、できてしまうことを軸に成果を追求しなくてはならないことを、この話は教えてくれる。
どんなに苦労しても金を発掘するために西へ向かうのではなく、西へ向かえるから向かうということを知らなくてはならない。
卓越した接客者はできてしまうことをやる。
それができない人がその姿を見れば、口を開けるか、賞賛するかしかないように映るだろう。
そして努力と根気強さを評価するかもしれない。
確かにいくら強みを生かすとはいえ、努力や根気強さは必要とされる。
時にはつらくなることもある。
体調が悪くてやりたくないときもある。
それでも彼らはやり続けることができてしまう。
脳内にアルファ波が出ているのではないかとすら感じさせる。
卓越した接客者である幼児教育の先生は、新生をし続ける。
毎日の作業はパソコンに向き合うことに費やされる。
新しい情報、新しいことを行っている人の情報、自分の行っていることのヒントなどを毎日調べる。
収穫はあるかどうかはわからないが、継続することでどの程度続ければ、どの程度の成果に結びつくかは経験でわかるようになる。
しかし同時に、成果に直結するかどうかわからないことにも挑戦する。
たとえば、水晶などパワーストーンと呼ばれる石を知り、見て、買う。
様々なショップに足を向け、それぞれのショップ運営者から話を聞く。
持ち前の強みで運営者が石のプロであるかないかを見分ける。
石の特性、効用などを理解して応用できるかを試行錯誤する。
そして接客にはさほど生かすことができないとわかると、その行為をひとまず古くする。
他にも頭蓋仙骨という技術で体を治療する卓越者に学び、技術を習得する。
霊が見える人達にも同じように話を聞く。
これは子供に霊が見える子が多いということで、接客に生かされる。
幼児教育の手法であるドーマンメソッドを習得する。
これらは彼女の新生の一部にしか過ぎない。
そして卓越した接客者として完璧に近づくために今日も新生を続けている。
新しく道を切り開き、また別の新しい道を開拓し続ける。
たとえいくつかの道を二度と利用しなくなることを知っていても、開拓をやめることはない。
卓越した接客者が自分を古くし新生することは、彼らの住む世界観を広げることにつながる。
真摯さは古くされることで疑問を生み出す。
その真実は本当に正しいのか。正しいとして正確な基準になっているのか。
その誠実さは最も誠実なのか。
ただ単に正直なだけではないのか。
そもそも誠実と正直はどのように違うのか。
その貢献は押し付けや独りよがりではないのか。
貢献が何であるかを本当に知っているといえるのか。
このような質問は、正しいという思い込みを排除してくれる。
本当のところどうなのか、それでいいのかということを、考え追求するきっかけを与えてくれる。
そしてより真摯になるために新生される。
個別化は古くすることで、毎回新生された視点で相手に接することを可能にしてくれる。
これまで個別化した相手にわかったような気になることを避けることができる。
人を時と場合によっても個別化し、それぞれのケースに応じて判断し、適応することを可能にしてくれる。
成果の追求はこれまでの成果が一度古くなることで、今日の成果が何であるかを明らかにしてくれる。
過去の経験や結果に溺れることをたしなめてくれる。
それは既に古いことであって、昔のことで今の自分を自慢することを恥ずかしいことだと省みさせてくれる。
そして新生によって今日の成果をまた一から追及する。文字通り成果を「新」しく「生」み出す。
古くし新生することは、肌の新陳代謝に似ている。
新しく作られた肌は、生まれた瞬間に古くなる。
そしてまた新しく生まれる。
これが繰り返される。
接客では古くし新生することで、成果が生まれ続ける。
成果を一度きり示すことができただけではなく、いつかは成果を出せないかもしれないという不安に怯えることなく、お客は接客とサービスを信頼して利用することができるようになる。
成果を示し続けることができることは接客者にとって誇りであり、その誇りは完璧を追求する態度から生まれる。
たとえ一度開拓したら二度と使われないような道であっても、彼らは開拓することで自分の可能性を広げるように行動する。
そのような態度で挑む。
こうして彼らの世界観は広がり、成果の継続につながっていく。
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