サービスの変化の中でも外的要因である環境適応は、必ずサービスの再定義からはじまり、サービスを再生する。
社会背景の変化によって環境適応するとき、これまでのサービス提供ではサービスを維持することはできなくなる。
サービスの再定義というのは、これまでのサービスが環境に適応できなくなったために、そのサービス提供の意味を一度捨て、環境に適応した新しい意味を見出すことを指す。
新しい意味を見出し、それを提供すると決めることでサービスは再生し、再び提供が行われる。
再定義し、再生したサービスは、以前のサービスと同じに見えることがある。
商品が変わらない場合もあれば、提供プロセスも全く同じである場合がある。
そうかと思えば、見た目も明らかに、提供する商品もプロセスも変わることもある。
サービスの「変化」は、提供する「意味」が変化することで、提供する内容が変わるかどうかではないし重要でもない。
環境適応には、技術の変化、文化の変化、嗜好の変化、人口構造の変化の4つによって社会の流れが変わり、それに応じてサービスを再定義し変化さる。
これとは別に例外的なケースが1つある。
技術の変化は、単にハイテクノロジーの発明や発展を指すわけではない。
ローテクはもとより、コミュニケーションスキルやビジネススキルなどの、スキルの変化も同じように意味する。
どの技術の変化も、その技術はサービスによって社会に提供される。
そしてどのサービスも、技術の変化に影響を受けることで変化の一歩目を踏み出す。
つまり、技術の変化をもたらす
ある
技術の変化によるサービスの変化は、その技術の支持量、社会の流通量、利用される度合いなどの影響力が大きければ大きいほど、より多くのサービスに変化を求める。
新しい技術が社会で広く受け入れられ、これまでとは社会背景のルールが変わってしまうとき、多くのサービスが変化を迫られる。
この変化の社会への普及・浸透は、短くても3年、長ければ10年ほどの時間がかかる。
鉄道の普及、電話の普及、インターネットの普及などがこれに当たる。
鉄道の普及によって、流通に革命が起こった。
物量と移動速度が増すと、提供するサービスの量や質に変化が起こる。
そして鉄道の普及という技術の変化によって、旅行業という新しいサービスが生まれた。
次にホテル業、ガイド、お土産屋などの新しいサービスも生み出された。
鉄道は距離を短くした。
それまでイギリス国内の移動ですら困難であったものを、人々をイギリスから中東までスムーズに運ぶことに成功した。
電話はその距離をさらに短くし、時間の概念を取り払った。
インターネットは世界中ではじめて、世界同時進行、リアルタイムの概念を作り出した。
インターネットという技術の変化は、数多くのサービスのルールを変えた。
例えば広辞苑や国語辞典は、これまでの紙媒体のみのサービス提供を変える必要に迫られた。
テレビ局は視聴率を維持し、視聴者に喜んでもらえる番組作りを根底から見直さなくてはならなくなった。
これまで自宅でテレビを見ていた人々が、その時間を使ってインターネットを行うようになった。
更にテレビ局は、これまで通りのコンセプトに則った正しいサービスを提供していたにもかかわらず、ある日突然IT企業に企業合弁を迫られたり、業務提携を意思表示されたりするようになった。
合弁であれ、視聴率であれ、インターネットという技術の変化にサービスは影響を受けた。
合弁の元になった株式の買収も、インターネットという技術の変化によって新しいサービスを生み出した。
インターネットは、株の売買を24時間可能にし、そのサービスに特化した証券会社も生まれた。
既存の証券会社は、この技術の変化によってもたらされた新しいサービスを無視することはできず、参入するにしろしないにしろ、サービス上の再方針を立てる必要が生じた。
ホームページを持たず、メールを使わないサービス提供者であっても、技術の圧倒的な普及に対して、多かれ少なかれサービスの変化、再定義を迫られるようになった。
これが、技術の変化である。
技術の変化は、それに聡いサービス提供者に強い恩恵をもたらす。
しかし技術には、これからスタンダードになるものとならないものがある。
これを見分けるのは容易ではない。
判断を誤ると先行したサービスの再定義は失敗に終わり、時に事業の土台を危うくする。
さらに技術の変化を、その技術が導入された初期に取り入れるのはリスクが高い。
新技術が発明されると、その技術に詳しい人は必ず「これからはこの技術が発達する」「出遅れてはならない」と言う。
この意見をサービスに取り入れるのは2つの意味から間違いである。
第1に、技術が発達するかどうかは2つの理由に依存する。
今必要とされる社会の不備を解消する役割を果たすかということと、新しいマーケットを創造できるかという理由がある。
技術によって何が便利になり、何がチャンスをもたらすかはほとんど意味がない。
社会的に必要とされる上に、いかにわかりやすく、平易で、興味を引くか、役に立つかによってマーケットが創造される。
そのマーケットの有無や規模によって技術が発達するかどうかが決定される。
または、新技術の発達はほとんどの場合距離または時間、もしくは両方の削減をもたらすものが支持される傾向にある。
これに適っているかどうかによって発達するかどうかが決まる。
しかしこれらのことは、技術の専門家でない者に見分けることは困難である。
事業としては見分けることが困難な新技術を、その導入期に先取りすることは大きなリスクがある。
第2に仮にその技術が発達するとして、その発達した後の変化がサービスのコンセプトをどのように反映するかは、初期の段階で予想は難しいという理由がある。
サービスはコンセプトの反映であり、画一的なものである。
見えないものを根本として、予想でサービスを提供するのはサービスの信頼を失う可能性が高い。
技術そのものを扱うサービスでない限り、サービス提供者は技術を先取りしてはならない。
行うべきことは
であり、観察しながら
にある。
そしてその新技術がどの程度浸透したときに、どの程度の知識があるときに、どのようなコンセプトを、どのように反映するかを計画する。
技術そのものを提供しない全てのサービス提供者は、変化の状況に対応する
を最も必要とする。
勇猛果敢に技術を取り入れることではない。
写真の現像を専門に提供するサービスがある。
デジタルカメラと家庭用プリンターが普及するまでは、これまで通りフィルムの現像を提供していれば、サービス提供は完結していた。
それは毎年春に稲を植えれば、間違いなく秋に収穫できるようなものだった。
デジタルカメラと家庭用プリンターが普及しはじめると、変化に対して観察とプランニングを行う写真の現像店と、変化に対応しない現像店が出た。
これまでの現像のサービスを再定義するサービス提供者と、そうでない提供者が出た。
最盛期に60億円を売り上げたある現像店メーカーでは、状況に対する観察とプランニングを怠り、10億円レベルまで規模を落とした。
商売では顧客ニーズによって変化しないことは致命的である。
同様にサービスでも、環境適応すべき状況が迫っているときに、対応する観察とプランニングを立てないことは致命的になる。
サービスでは提供者が何を提供するかを決める。
これまでの現像サービスを提供し続けると決めることもできる。
家庭用プリンターとデジタルカメラを売ると決めることもできる。
デジカメ専用の現像機を販売し展開するということを決めることもできる。
ただし、これまでのサービスを再定義するのは、技術の革新によってもたらされた環境の変化に沿って行う。
技術の革新そのものに沿っては行わない。
このケースでは「デジタルカメラと家庭用プリンターの『普及』に対して、自らのサービスをどのように再定義させるべきか」が質問として正しい。
技術の変化は、サービスが変化するきっかけとなる。
正しい質問を探し、環境を観察し、プランニングを立て定期的に見直すことで、このきっかけを次のサービス提供に生かすことができる。
指をくわえて見ているだけでは、サービスは停滞し、衰退してしまう。
逆のプロセスをたどる方法もある。
技術の革新によってもたらされる環境の変化に注目するのではなく、プランニングを優先してサービスを再定義し、その再定義に合致する技術を取り入れ、合致しないものを取り入れない方法である。
この方法でサービスを提供し続ける好例に郵便事業がある。
近代に入って通信事業は飛躍的に成長した。
その中でも古典的といえる郵便事業は、技術の変化に対応して電報を取り入れ、通信技術としての電話、FAX、メールは基本サービスに取り入れなかった。
再定義と根底にあるコンセプトを守り、必要であれば取り入れ、必要でない可能性のあるものはじっと観察し、必要がなければ採用しなかった。
郵便の発達にはじまった通信事業は、まずモールス信号による電報を基本サービスに加えた。
電報が登場した時代に、郵便事業はサービスの再定義を迫られなかった。
郵便と電報は競合せず、特性(個性)の違いからサービス提供に不備をもたらさなかった。
郵便は長文であり礼儀であり、人々が通信を利用する常套手段であった。
一方の電報は危急時の通信手段で文字の量も限られていた。
高額でもあった。
郵便は、技術としての電報を取り入れればそれでよかった。
なぜなら、そもそも電報は郵便局員が配達するような状態にあったからである。
郵便局員以外に電報を配達することのできる流通網を持つサービスも存在しなかった。
ところが後に、電話の発明と普及によって郵便事業はこう評価された。
「リアルタイムで直接話をすることができるのであれば、手紙を書く必要はもうない」
しかしそうはならなかった。
郵便事業は電話普及の時代にあって、これまでのコンセプトに沿ったサービスを守った。
速達、国際郵便、小包などのサービスの展開を行ったことで対応したこともある。記念切手などの嗜好に訴えたこともあり、保険の加入など金融商品を扱うようになったこともある。
それらが郵便事業の地位を守ることに役立ったとはいえるかもしれない。
しかし、むしろ郵便と電話のコンセプトの違いが、社会の役割の違いとして郵便を生き残らせたという方が正しい。
郵便は自らのサービスを、電話という技術の普及によって再定義した。
郵便事業の意味を再構築し、これまでどおり郵便を提供すると決めた。
現代に入ってまた、郵便は電話が普及した頃と同じ評価を受けた。
「インターネットの普及に伴い、今度こそ郵便事業は致命的なダメージを受ける。メールを無料で送信できるのなら誰が手紙を書くのだろうか?」と考えられた。
しかし今度もそうはならなかった。
このようして郵便事業がその都度生き残ることができるのは、郵便事業というサービスを常にプランニングし、新技術が登場する度に必要なものを取り入れ、必要でないものを取り入れない姿勢を取ったことにある。
この姿勢が郵便を必要不可欠なサービスとして存続させている。
サービスは最終的に社会貢献である。郵便事業の長い歴史で、そのコンセプトは社会と密接なかかわりを持って生き続け、技術によるサービスの変化に対応してきた。
このようなサービスがなくなることはない。
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