サービスはそれを提供した後、個人に対して感謝をもたらす可能性がある。
ただし感謝だけが満足・感動とは異なり、戦略的にサービスに取り入れることはできない。
満足と感動は、行動としての不満足の解消に直接結びつく。
不備を解消するサービスが不満足を解消する。
その不満足の解消が、そのまま満足と感動につながるように、プログラムすることができる。
しかし感謝は、不満足の解消行為だけでは直接結びつかず、同時に別の条件が満たされる必要がある。
感謝は、ありがたいと感じたときに生まれる感情である。
では人は、どのような場合にありがたいと感じるのか。
生命に関わるなど強度の不備に対して、同じく強度の不満足を感じている状態を解消するとき、感謝される可能性が生まれる。
強度の不備と不満足。
両方が解消されることが、感謝をもたらす前提条件になる。
たとえば、不治の病という不備を解消する場合であっても、患者がこれ以上生きる希望を持っていなければ、病気が完治しても感謝は生まれない。
である。
逆に生きる希望を与えることで不満足を解消している状態であっても、病気が治らないことで感謝が生まれない可能性は残る。
である。
サービスが感謝をもたらすには、強度の不備の解消、強度の不満足の解消という2つの条件を満たすことが前提として必要になる。
しかし両方の条件を満たしていても、感謝されないことはある。
この場合は、第3の条件を満たす必要が生まれる。
お客はサービスに効用を求める。
この効用と、不備の解消、不満足の解消の3つが完全に一致しないと感謝は生まれない。
効用が合っていない場合や、弱い場合に感謝は生まれない。
重い病気という不備・不満足を完治することで解消したとしても、たとえば代償として片足を失うことで人生に失望する場合などに感謝されないことがある。
それは患者の効用が「五体満足で元の生活に戻ること」であるときに起こる。
これら3つの条件がクリアされたとき、サービスを通じて感謝が生まれる可能性が生まれる。
実際に少なからず感謝を生み出すサービスは、前提として強度の不備を解消するサービスに多く見られる。
医者、弁護士、製薬会社、介護関係、保険などがこれに当たる。
しかしこれらのサービスのどれも、必ず感謝されるとはいえない。
同じ状況で、同じ不備、不満足を解消し、効用が一致していたとしても、確実に感謝をもたらすとはいえない。
病気が完治し、それによって不満足も解決し、五体満足で退院することができても、お客の心理を将来の不安が占める場合などに感謝されない可能性はある。
逆に小さな不備、不満足を、それとなく解決することで大きな感謝をもたらすこともある。
感謝をもたらすことができるかどうかは、最終的に相手次第である。
サービスによって感謝してもらうことができるという発言は、自意識過剰であるだけでなく、無責任である。
感謝は不備、不満足、効用の前提条件によってはじめて可能性が生まれる。
しかも最終的には相手に依存する。
よって戦略的にサービスに組み込むことは困難である。
部分的に組み込むことができるのは、強度の不備、強度の不満足、効用の一致の、3つの条件が重なり合う分野だけである。
その他のサービスで感謝が生まれるのは、お客が何らかの理由で突然不備・不満足の状態に陥り、接客者がサービスの範囲を超えて緊急的にそれを解消する場合か、感謝する気持ちを持った人間味のあるお客の場合だけである。
したがってしくみ構築の条件でもある緊急時の対応は、このような状況を想定してマニュアル化される必要がある。
しかし、サービスは接客によって作られるものではないので、これは信頼活動(人間的役割)によってもたらされる特殊なケースと考えた方がいい。
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