卓越した接客者のキャビンアテンダントは、自分の仕事をしたにすぎない。
彼女からすれば小さなミスや、まだまだこれではいけないと感じることがあったに違いない。
お客の中には多少の不満を感じた人がいたかもしれない。
しかしそれでも、彼女がサービスを最高に感じてもらうための接客を行い、それが見る人から見て「やはりこれは尋常ではない」と感じさせたことは事実として間違いない。
卓越した接客者は全員、自分がまだまだだということを知っている。
小さくてもミスがあり、100回のうち99回しか完璧にできないことを恥じであると信じている。
他の接客者と同じように、不備があればくよくよすることもあるし、誰かに話を聞いてほしいと思うこともある。
しかし卓越した接客者は本人がどう思おうとも、必ずある特定のお客によって客観的に観察されて評価される。
その人個人の感情によって感謝されるのではなく、その人が持つ「見る力」によって理性で評価される。
そのような判断のできる一流の顧客を、卓越した接客者は必ず生み出す。
生み出そうと思って生み出せるものではないが、必ず生み出される。
これが卓越した接客者の最後の条件になる。
彼らは結果として一流の顧客を生み出す。
それは卵と鶏の関係に似ている。
卓越した接客者の条件を満たし実践できるから一流の顧客がそれを評価するのか、一流の顧客に評価されるから卓越した接客者となるのか、厳密にはどちらが先であるとはいえない。
しかしここではっきりいえるのは、卓越した接客者は必ず一流の顧客を生み出し、彼らによってその存在が明らかにされるということだけである。
接客者自身が一流の顧客の存在を知っているか、知らないかは重要なことではない。
問題は一流の顧客を生み出していない接客者は卓越した接客者ではないというところにある。
それでは一流の顧客とはどのような人のことを指すのか。
卓越した接客者が必ず一流の顧客を生み出すように、素晴らしい接客者も彼らを「素晴らしい」としてくれるお客を生み出す。
しかし、素晴らしい接客者のことを素晴らしいと評価するお客が一流ではないということではない。
そもそも、お客として一流であるとか、二流であると決めるのは難しいだけではなく不可能だといえる。
一流と二流、二流と三流を分ける基準はないし、そもそもお客をそのようにランク付けすることが正しいとも思えない。
ここでは便宜上、卓越した接客者を見分けることのできるお客が稀であることから、そのようなお客だけを指して一流の顧客と呼ぶことにする。
そして彼らは、卓越者を卓越していると評価する一方で、素晴らしい接客者をやはり素晴らしいと評価する。
単純に「感動した」と伝えるだけのお客ではないと考えてほしい。
したがって彼らの最も大きな特徴は、接客者を観察し
ことで卓越した接客者を見分けるということにある。
このことを軸にして、一流の顧客は3つのことを知っているという特徴がある。
第1に一流の顧客は、喜びが生まれることを知っている。
一流の顧客は、自分が素晴らしい接客を受けたときに喜びを感じるだけではなく、他のお客にも喜びが生まれることを知っている。
他の人も自分と同じように喜ぶということを知り、ときには自分はそれほど喜びを感じないことであっても、他の人は大きく喜ぶことがあると知っている。
大きな喜びが生まれれば、小さな喜びが生まれることを知っており、目に見えやすい喜びがあれば、目を凝らさなくては見逃してしまいそうな喜びがあることを知っている。
1人の人に感動を与えることがあれば、複数の人に同時に大きな満足を感じさせることがあることを知っている。
つまり喜びには種類があることを知っている。
第2に彼らは、喜びは接客者によって使いこなされることを知っている。
もっとも見どころがないのは、サービスで決められたことだけを行うことで喜びを生み出している接客者で、喜びを使いこなすどころか、決められたことしかできないという意味で、このような接客が最低であることを知っている。
次に深い喜びを生み出すことができる接客者がいることも知っている。
サプライズやストーリを作ることでお客を感動させる接客者や、単純作業の仕事でありながら、お客の様子を見て気の利いた一声をかけることで満足を生み出す接客者がいることを知っている。
その接客者はお客を深く喜ばせるために、1人1人に対して喜びを使いこなすこととを知っている。
だからこの接客者が、1人1人に対して喜びを使い、それを継続するタイプであるということを知っている。
逆に、全体に対して喜びを使いこなすことができる接客者がいることも知っている。
お客個人の喜びを目的とせず、新幹線の添乗販売員のように、その日の客層によってトレイの商品を組み替えることで満足を生み出すことや、キャビンアテンダントが全員の名前を覚えるなど、はじめからお客全体にストレスを感じさせない方法で接客を行う者がいることを知っている。
それは1人1人に喜びを与える接客者とは違い、見分けるのが難しいことも理解している。
この理解はつまり、卓越した接客者を見分ける目になる。
最後に一流の顧客は、卓越した接客者によって一流の顧客が生み出されるということを知っている。
卓越した接客者によってサービスを受けたとき、感性の高いお客は喜びの種類が違うことに気がつく。
そしてそのような喜び(たとえば全体に対しての喜びや、準備によってストレスを感じさせない喜び)があるということを知る。
多くの喜びを知り、それをどのように使いこなすタイプの人(接客者)がいるかということを知れば、そのお客は一流の顧客になる。
こうして一流の顧客が生まれるということを知っている。
そして、この方法で一流の顧客が生まれる前提にあるのは、卓越した接客者の接客である。
ともあれ、一流の顧客は卓越した接客者の下で生まれるということ(あるいは、生まれているということ)を知っている。
全ての卓越した接客者は、このような一流の顧客によって支えられている。
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