09.サービスは奴隷制から生まれた?

サービスの歴史を調べてみると、とても興味深いことがいろいろとわかる。
たとえば、日本語にはサービスに当たる和語の単語がない。
このことだけを見ても、サービスは西洋で発達し、東洋(少なくとも日本)では発達しなかったということが読み取れる。

サービスの3つの本質も、徐々に形作られてきたことがわかる。

サービス(service)の語源を探ってみると興味深いことがいくつかわかる。

サービスの語源は、ラテン語の”servire”で、「仕える」「召使」の意味を持つ。
実はサービスとして、この「セルヴィーレ」の元となる実際のサービスがあった。
それが奴隷である。

奴隷が「仕える」「召使として奉仕する」というのが、語源的に最も古いサービスの原型で、奴隷のシステムは最初からサービスの考え方ではじまった。
つまり「仕える」「召使」の意味そのものだった。

古代ギリシャの有名人、哲学者アリストテレスは「奴隷は生きた財産である。・・・奴隷と家畜の用途には大差がない。なぜなら両方とも肉体によって人生に奉仕するものだから・・・」と言っている。
現代の感覚で聞くと腹立たしさを覚えるかもしれないけれども、この発言で、社会通念的に奴隷が(家畜同様に)システム化されていることがわかる。
「仕える」という意味でのサービスの事実が、記録上明らかになったおそらくもっともはじめではないかと思われる。

最初の奴隷は差別や貧富の差から生まれたのではなく、戦争の捕虜だった。
紀元前数千年ごろの話で、詳しい時期はよくわかっていない。

捕虜を牢屋に入れて食事を与えるだけでは、社会的にコストがかかってしまう。
そこで労働に従事させ、主人に仕えさせるようルール化したのが奴隷のはじまりである。
この労働が体系化されて家内作業を行うようになり、奴隷制度という社会のシステムになった。

ちなみにこの頃の奴隷は住居も食事も与えられ、逃亡さえしなければある程度の自由は許されていた。

一度社会のシステムとなると、奴隷がいなくては社会が機能しなくなる。
この制度としての労働力が、最も古典的な「サービス」となった。
最も古いサービスの時代から、既にサービスが社会システムであり、社会に貢献していたことがわかる。

奴隷は家内作業に従事していたものが、古代エジプトの頃から強制労働に駆り出されるようになる。
それまで戦勝国の市民の家庭で働いていた奴隷が、この頃から一気に政治的な労働をすることになった。
たとえばピラミッドの建設には多くの奴隷の労働があったことはよく知られている。

この、労働力を使う「場所」の変更が、そのままサービスの特徴の変更となった。
奴隷が行うという意味では何も変わらないものの、より直接的に社会を構成するようになった。
そして一度労働力として奴隷が使われるようになると、サービスは公共事業を行うためのものという特徴を持つようになる。
そして長い年月をかけて、社会的な公共事業(つまり贅沢な王の墓などではなく、道路や貨幣など)こそがサービスそのものである時期が訪れる。
奴隷の労働力による社会システムををサービスの第一期とするなら、サービスの第二期が訪れようとしていた。

ちなみに、紀元前の東洋(主に古代中国)では、奴隷は生け贄と考えられていたこともあるし、戦勝国の将軍が食料を消費しないために数十万人を生き埋めにしたケースなどもある。
つまりサービスとして社会のシステムにはならなかった。
奴隷は人ではなく、どちらかというともてあます存在だったようだ。

古代中国の文献を読んでいると、(戦争捕虜になっても)恨みを忘れず、義を果たすというようなケースも多く、システムにしようにもうまく機能しないことがあったのかもしれない。
さらに奴隷や料理人(地位が低かった)から出世したという例もあるので、上下間の移動も不可能ではなかったことも、社会システムとして奴隷制が定着しなかったということもあるのではないだろうか。



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