まずはじめに、少なくとも私たちは自分が得意とする状況で、直感をより多く使うのか、感受性の方が得意なのか、あるいは知覚に頼っているのかということを知る必要がある。
いつの間にか新刊と返却本の本を整理する仕事を行っている書店員であれば、その仕事が「できてしまう」とき、イメージがよぎるのか、結論がわかってしまうのか、冊数やタイトル、時期などのつながりから意味を見出すことができるのかということを特定する。
それとも実際には3つのうちの2つを使っているのか、全部を平均的に使うのかということを見極める。
およその見当がついたら、どの感性に注目して磨いていくのか、卓越した接客者が行っているように試してみる。
感性はこのように「磨かれる」もので、訓練し、身につけるものではない。
習得するものでもない。
既に自分に備わっている感性を、卓越者が行っているように行ってみることで磨かれる。
強みのようにはじめからできてしまうという特徴が、感性にもある。
はじめからできてしまう感性を様々な場面に当てはめることで磨いていく。
直感をよく使う人は、日常生活でも直感を働かせている可能性が高い。
普段接する様々な物事や人に対して、見るとはなしに見ている。
観察するのではなく、印象としてイメージ化できるものを見る。
それは彫刻の指先が気になった美術史家のように、物理的に目に見えることもあれば、「ファ」の音が緑に見える音楽家のように、目に見えないものが見える場合もある。
誰でも生活をしていると、そのときは目に止まっただけのものが、後から何だか気になってしょうがないということがある。
または久しぶりに友人に会って、明るく元気そうな様子に安心しながらも、何だか印象が違うように感じることがある。
たとえば両頬にモヤのようなものがかかっているように見えるかもしれないし、以前よりも体重が軽くなったような印象を受けることがあるかもしれない。
直感を使う傾向があるのであれば、日ごろ見ているものに対して「印象の度合い」に注目してみることからはじめてみる。
良く見える(わかる)ものは直感力に優れた物事だろうし、取り立てて気にならないものは特に意味がないか、その分野においては直感を働かすことができないかのどちらかということになる。
強い印象、良く見えるというものは、それがどのような意味を持つのか考えてみるのもいいし、他の感性を使って判断を下してみてもいい。
まず見えてしまう印象を特定し、次に卓越者が行っているようにその意味を「もっとよく見る」ようにする。
感受性が強い人は、聞こえてくるものに注目する。
たとえば動物と話をすることができるという人がいる。
もちろん動物が言葉を交わすわけではない。
彼らにとっては「わかる」という結論なのだろうが、感受性のプロセスには「聞くことでわかる」ということが多くあるらしい。
「聞く」というのは、耳から音が入ってくるということに限定されない。
もちろん耳から聞こえるもの、たとえば使う言葉や音の高低などを手がかりに「わかる」こともあるだろうし、そうではなく答えが脳裏に浮かぶという形(映像が浮かぶのではなく、直接わかるという感覚)で聞こえるという場合もある。
自分の心の声が聞こえるという人もいる。
「私」が心の中の「もう1人の私」に問いかけをすると、本当の自分が自分らしい真実の答えを返してくれるという人もいる。
ダイレクトに答えがわかってしまう、という感受性を自覚し磨くために最初に行うことは、「イエス」「ノー」を特定してみることである。
人に対して感受性を発揮することができるのであれば、口で言っていることと本心で思っていることが一致しているのかいないのか、という答えを印象で判断する。
このときに相手をまじまじと観察しない方がいい。
シャーロック・ホームズのように小さな情報を見つけようとしない方がいい。
そのやり方は知覚を働かせる場合に行う。
様々な実験で、たとえば会ったことのない人の部屋を見せればその人がどんな人であるか、ある大学教授の授業を録画したビデオの二コマを見せればその教授は有能であるかどうかなど、かなり正確に「わかる」ということが明らかにされている。
一瞬の判断で「わかる」ように努めてみる。
それができるようになったら、やはり卓越者が普通に行っているように、そのわかった物事をどのようにするのがベストであるのかを、感受性によって判断してみる。
答えは「イエス」「ノー」ではなく、具体的に何をどうすると良いのかということを判断してみる。
このとき、直感は未来図を「見る」ことでどうすればいいのか判断する傾向が強いのに対して、感受性では未来のイメージではなく「良い」ことを特定する。
自分が良いと思うことではなく、相手や現象に対して「これしかない。なぜならそれが良いからだ」という答えを導き出すようにする。
知覚は直感や感受性よりも、前提となる知識や情報を必要とする。
しかしそれでもその量は知性で判断する場合に比べてはるかに少ない。
前提となる知識というのはアルファベットや単語のことである。
たとえば英字の洋書を読む場合、知らない単語があっても辞書を調べたりせず、全体の流れから意味を見出すという方法は、英語を学ぶ上でも有効だとされている。
この「意味を見出す」というのが知覚にあたるのだが、英文の全体を知覚するには、前提にアルファベットと基本的な単語を知っているという知識を必要とする。
したがって知覚を磨くには、まず基礎知識を身につける必要がある。
知覚に必要な情報というのは、意味が「つながる」ために必要な最小限の情報のことである。
直感や感受性は印象という限りなく少ない情報を総て理解するが、知覚では結びつきから答えを導くので、直感や感受性よりは判断するための情報量は多くなる。
接客の仕事の場合、お客の言葉の内容、口調、ゼスチャー、顔色、表情などから本当に欲することは何であるのか知覚することができる。
接客力が上がれば上がるほど、判断に必要な情報量は少なくて済むようになる。
知覚に必要な情報は「予兆」に似ている。
何か違うと感じる情報をその他の情報と結びつけることで答えを見つけ出す。
シリーズ三部作の映画「ファイナル・デスティネーション」シリーズでは、死の運命を偶然逃れることができた人たちに、死神が後追いで迫る。
そして生き残った人々に残酷な死を与えようとする。
その死が訪れる前には死に方を特定する「予兆」が表れることになっている。
たとえば窓にいるはずのない鳩が映ったとすると、鳩が死の引き金を引くことになる。
しかしその予兆を読み取り、回避することで死は避けることができる。
このシリーズ映画では生死がかかっているために、登場人物は必死に予兆を見分けようとする。
卓越した接客者は、普段の情報や、いつもの組み合わせとは違う予兆を、普通の生活の中で見ている。
私たちも「違う」情報は何なのかを見ることで知覚は磨かれる。
シャーロック・ホームズが微妙な違い(予兆)から何かおかしいと気がつくように観察する。
次に、ホームズが最終的にアリバイや謎を解くだけではなく全体像を明らかにするように、全てが「つながる」ことで意味を見出すように行ってみる。
このプロセスを磨くことができたら、必要とされる情報量をどんどん減らし、いち早く予兆や違いを探し出し、全体像に結びつけることができるかを試みる。
感性が磨かれると、本質や結論などがダイレクトに理解できるようになる。
これまでは技術やスキルを使って、モデルケースやタイプに当てはめることで何かを理解していた行動が、煩雑なプロセスを踏まなくても答えに行き着くことを可能にしてくれる。
瞬時に答えがわかってしまうということは、卓越者の世界観の中で接客者の頭の中をクリアにする。
迷いをなくす。
物事もクリアにしてくれる。
速くて、正確な接客を可能にしてくれる。
感性はまず、真摯さをよりクリアにする。
真実を明らかにするし、誠実さを発揮する機会を増やす。
その機会を貢献によって速く、正確に対応することを可能にする。
お客から見た接客者のこの姿は、明確な真摯さとして映る。
感性を磨くことで個別化はよりクリアになる。
個別化は相手に対する部分や全体の理解なので、感性によってダイレクトに答えを導くことができると、相手の人間像がクリアになる。
成果の追求もまた、感性によってより明らかで正しい成果を出すことが期待できる。
あるいは出した成果が本当に完全であるのかどうかということを、感性によって確認することができるようになる。
やはり成果がクリアにされる。
卓越した接客者は、彼らだけが見て、感じる世界に住んでいる。
その世界観は、
の3つから成り立っている。
この世界観の中で彼らは、3つの行動を取る。
1つ目は
ことで、これは世界観を広げる。
2つ目は
で、
行動が世界観を深める。
3つ目は
ことで、
によって世界観はクリアにされる。
こうして成り立つ、3つの条件を備えた世界観と、3つの行動によって卓越した接客者は自分の強みを余すところなく発揮する。
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